コロナの影響も多少はあって、普段、ニュース以外はテレビはほとんど見ないのですが、録画しておきながら観ないまま溜まっていたDVDを、食事中に観ることが多くなりました。
 僕は、高倉健のデビュー作から遺作までをほぼリアルタイムで観ています。一人の俳優をデビュー当時からずっと追いかけてきました。健さんの映画がテレビなどで放映されたときには録画をして、高倉健のDVDオリジナルコレクションをしてきました。今、健さんのデビュー作「電光空手打ち」から遺作となった「あなたへ」までを年代順に整理し、順番に見始め、その変化・成長を楽しんでいます。
 また、今年初めから、「土曜は寅さん」の合い言葉で、渥美清の「フーテンの寅さん」が第一作から放送されています。それも第一作から見始めました。

 中学生から映画館に入り浸っていた僕ですが、欧米の映画がほとんどで、日本映画は高倉健さんの映画以外はあまり観ていませんでした。
 歌舞伎が好きだったこともあって、テレビでは、中村吉右衛門さんの「鬼平犯科帳」の再放送を観るようになりました。今まであまり見ることのなかった時代劇を見るようになったのは、大好きだった中村吉右衛門さんの「鬼平犯科帳」が追悼番組で流された頃からかもしれません。
 「鬼平犯科帳」とは全く趣は違うのですが、市井に住む人達の優しく温かい生き方に触れることのできる藤沢周平さんの作品も、小説は読んでいたものの、映画は観ていなかったのですが、今、観るようになりました。コロナ禍の影響のひとつです。
 藤沢周平さんとは残念ながら、直接お会いすることはできませんでしたが、同じようにどもる人としての交流はありました。僕たちからお手紙を差し上げたのですが、丁寧に誠実なお返事をいただきました。
 今回紹介するのは、藤沢周平さんがお亡くなりになったとき、特集を組んだ「スタタリング・ナウ」です。1997年2月の、まず、巻頭言から紹介します。

周平さんの生き方
              日本吃音臨床研究会 会長伊藤伸二

 角を矯めて牛を殺す、ということばがある。
 少しの欠点を無理に治そうとして、かえって全体をだめにしてしまうという意味だ。
 吃音で悩んできた人と接すると、とても優しい人が多いと感じる。長年吃音の心理的側面から研究を続けてこられた昭和女子大学内須川洸教授も、どもる人の特徴として、優しさ、敏感さ、真面目さ、などを挙げている。いじめられることがあっても、決していじめる側には立てない。人柄の良さを言って下さることも多い。どもる子どもをもつ親も、子どもの中に優しさを見ている。
 このような面をもっている人が、どうすれば、吃音の悩みから解放されていくだろうか。その道筋は、人それぞれに違うが、一番てっとり早い方法は、図々しくなることだ。人を人と思わず、人を見下し、相手を練習台と思い、喋りまくることだ。しかし、多くのどもる人は、そうはできない。
 ある時出会った、大阪の上場企業の創業社長は、それができた人で、実際そのことをすすめていた。
 私たちの合宿に参加し、ひとり喋りまくった。どもりは治ると、自分のノウハウを私たちに押し付けもした。吃音相談会などを開くと、必ずといっていいほど、一方的に攻撃的に喋りまくる人がいる。喋れるようになると、喋り過ぎるようになり、引っ込み思案がなくなると、攻撃的になることがあるのだ。
 一時、大阪でも、いわゆる人間改造セミナーが流行った時があり、私たちの仲間にも参加した人がいた。人が変わったように元気になった。そして、私たちを強引にそのセミナーに誘った。以前の穏やかな、相手を尊重する態度は、消えていた。
 たとえ、吃音の悩みから解放されたり、吃音が軽くなったとしても、せっかく持っているその人らしさ、良さがなくなってしまうなら、当人には大きなお世話かもしれないが、残念なことだ。
 どもりに悩んだことが、小説家になるきっかけになっているという藤沢周平さん。
 どもっていた時の感性をそのまま持ち続けた人だ。
 怖がっていた教師が担任に決まったことで、その恐怖感から、周平さんはどもりになったという。
 敏感で、真面目で、やさしい子どもだったのだろう。怒鳴ったり、人を叱りつけたり、人を欺いたりできる人ではなかった。
 小説に出てくる主人公は、その藤沢さんがそのままに出ているかのようだった。波瀾万丈の人生を生きた人や、豪傑では決してない。どこにでもいる、江戸の町に息づく市井の人、下級武士、浪人であった。ごく普通の人間の、ごく普通の生活の中での哀歓を、端正な文章で描いていく。
 その目は、常に温かいまなざしをもっていた。
 暗い話も、結局は、「人間っていいな」と、読者にメッセージを送り続けていた。
 藤沢さんは、私の著書『吃音者宣言』をずっと手元に持っていて下さったようだ。どもりに関心を持ち続けて下さり、《治す努力の否定》の問題提起に対し、全面的に賛意を表しながらも、「治るという希望は捨てないで」と言っておられた。
 小学校5年、6年の吃音体験が、よほど辛いものであったのであろうことがうかがえる。
 このメッセージは、暗い、辛い中にも、常に希望を失わない、藤沢周平さんならではの私たちへの思いやりであったのだろう。
 「周平さん、今、私たちは治るということに、あまり希望はもっていないんですよ」
 どもりが治らなくても、希望はもてることを、もっと藤沢さんとどもりについて話したかった。
 語り合えば、23年前にいただいたメッセージとは違うものを返して下さるのではないかと思う。
 どもりに悩んだ頃の感性をそのまま持ちつつ、その人なりの人生を歩むことの素晴らしさを、藤沢周平さんは、自分の人生、小説を通して語りかけてくれているようだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/03/13