1996年9月21〜23日、滋賀県・大津市で開かれた吃音ショートコースのテーマは《からだ・ことば・こころ》でした。特別講師に竹内敏晴さん(名古屋聖霊短期大学教授・演出家)を迎え、日本吃音臨床研究会顧問の内須川洸さん(昭和女子大学教授)を交えて、からだについて、ことばについて語り合いました。最終日の午前中のプログラムは、竹内さんと内須川さんの対談でした。伊藤伸二が司会をした3時間は、前半はおふたりを中心に話が進み、後半は参加者の声を拾いながら全員参加のディスカッションで、テーマ通りの興味深い話し合いとなりました。その冒頭の部分、今日は、内須川さんの話を紹介します。どもらない内須川さんが、長年、どもる人の心理を研究されてきた中で考えたことが凝縮されています。

からだ・ことば・こころ

                内須川洸さん(昭和女子大学教授)

 私の見る限りはどもる人は、要求水準が高いようです。なかなか下げられない。下げるとなると、カタンと下げ、ガクッときてしまう。
要求水準というのは、上げたり下がったり、適応して上げ下げするのがノーマルと言われますが、どもる人は、そういう意味で、あるいはサブノーマルかなと思ったんです。
 私は、卒業論文にこの吃音の人の性格研究を取り上げました。いろいろどもる人に接しておりますと、どうしてこんなに自尊心が高いのだろうと思うくらいに、自尊心が高い。要求水準でいうと、高くて、これが下げられない。こういう問題がどうも性格的にあるんじゃないかなとうすうす感じてきたんです。
 吃音は、確かにことばの現象で、言語障害のひとつと考えられているけれども、私の考えでは、もともと吃音というのは言語障害ではないと思っています。それが言語障害になっていく。
 言語障害には、もともとの言語障害があるんです。例えば脳性小児マヒの方の言語は、初めから言語障害です。ところが、吃音はそうじゃなくて、言語障害でもなんでもない、多少ことばの話し方が一風変わっている程度のものから始まるんです。それがだんだんと言語障害になり、最後は、まさに言語障害で、コミュニケーション障害になってしまう。
 普通は幼児期に大半のどもりが始まります。小学校から始まるというのもありますが、私の見る限りは学童期から始まるというのはそれほど多くない。本人も気づいていないし、周りの人も気づいていないという場合もあります。周りの人の気づきの最初の発見者はお母さんで、これは当たり前ですね。お母さんが一番子どもをよく知っているんだから、当然なんです。そういう形で始まるということを最初に指摘したのは、私の恩師であるウェンデル・ジョンソンです。
 ジョンソンのえらい所は、そこを取り上げたというところです。当たり前のことだと思っていることを、普通は取り上げない。当然のことを、当たり前じゃないというふうに見たところが素晴らしいんです。
 どもる人は、ことば、ことばと言うけれど、その前に人間関係に問題があるのではないか、問題があるというと語弊があるんですが。人間関係の中で、何かが足りないと思います。
 それは、相手に向かっていくということです。これを攻撃性というと極端ですけど、どもる人は、相手を攻撃しないんです。攻撃できない人間は相手を受容もできないんですよ。受容したつもりでいるだろうけれども本当の受容ではない。本当の受容は、相手に向かっていかなきゃいけない。そこで、受容というものが起こるんです。
 攻撃の一番最初の頃は、友達とけんかをすることです。小さいときに友達とけんかをしないで成長すると、立派な大人になっても、本当の人間関係ができない。本当の友人を作ることができない。
 最近の若い人、本当の友人っているだろうかと、非常に心配に思うんです。友人がたくさんいて、互いに友人だと思っているけれど、本当の友人ではない。なぜかというと、人間関係ができていないからです。どもる人は、ことばをうまく喋れないという前に、人間関係という点において問題があるんじゃないかと感じるんです。
 もうひとつ、人間関係で問題になるのは小さいときから、人に対して非常に過敏だということ。どうして過敏になったかは、環境的なものを私は中心に考えます。体質的なものもあるかもしれませんが、ほとんどこれは、子どもの時代から成長する過程の中でそういう環境が与えられてくることが重要なんじゃないかと考えます。
 そこで、ご承知のように、私が提唱した仮説ができるんです。
 どもる子どもの家庭には温かい雰囲気がある。つまり、温室育ちです。その上に規範が与えられると、やらなければならない、ねばならないという意識が育つんです。これが真面目さなんです。
 どもる人の性格は、真面目が過ぎている、いわゆる生真面目です。非常に温かい所で育ったんで、相手のことを感じ取る感受性が豊か、といえばいいけれども、豊かすぎるんです。
 それを少しずつ変えていく。もともとどもる人は鈍感にはなれないので、過敏の過をとって敏感になればいいんですが、それがなかなかできなくて、苦労しているんじゃないでしょうか。
 どうしたらそういうふうになるかというと、これは一人で黙想したり、一人の生活をしていたのではなれないんです。やっぱり人の中に入らなきゃなれない。人とぶつからなきゃならない。
 人とぶつかる手初めは、相手を攻撃することです。自分の方から相手にぶつかっていくことなんです。それを通して学習していく以外はできないんじゃないかというのが私の考えです。人と接するときの姿勢ですが、皆さんは、相手を見るということをどのくらいしますか。じっと相手の顔を見るというのは相当図々しくないとできない。どもる人は、見ながら相手の視線が向かってくると、すっと外してしまう。これは、弱さです。相手の視線が向かってきたらその視線をじっと見るということが必要なんです。ただ見ればいいということではなくて、こちらから向かっていく、攻撃性が必要です。その意味ではもっと攻撃性を出していいんじゃないか、もうちょっと野蛮になったらいいと思うんです。
 どもる人は野蛮になれない。非常にみんなジェントルです。そんなところは、私大好きなんですが、もうちょっと相手に向かっていくということが非常に重要です。向かって、相手とぶつかると、争いが起こります。だから、争いを避けると、そういう学習はできない。恐らく、皆さんはこれまでそういう争いを避けてきたんじゃないでしょうか。避けるのが得意なんですね、どもる人は。避け過ぎては問題が起こります。
 回避すること自体は問題でもなんでもない。昔の人は、逃げるが勝ちといいました。逃げるが勝ちっていうのは、逃げるべきときには逃げる。逃げてはいけないときには逃げない。これができるのを逃げるが勝ちというのです。
 ところが、何でもかんでも逃げてしまうと、アブノーマルな回避行動となります。吃音の問題で悩んでいる皆さんの心の中にあるものはそれじゃないでしょうか。
 ことばが不自由だから、ことばをできるだけ使わないところに勤めようというのは、回避の典型です。ことばが不自由なら、本当は、ことばを使わなければいけないところに就職することがいいんです。そうすると吃音はよくなってきます。逃げ回っていると、一生逃げ回って、吃音状態から解放されないんです。
 まず人間関係の中で、体当たりをすることを勉強していただくといい。けんかを売っていこうと決心して、どんどんとおやり下さい。向こうからの攻撃に対するだけでは、けんかを売ったことにならない。自分の方から向こうに噛み付いていかないと。だから、噛み付き精神が少し足りない。
 仲良しは見かけ上の受容性です。どもる人は見かけ上の受容性がたくさんありますが、本当の受容性は、けんかを売ってそこでぶつかって、互いを認め合う。これがほんとの受容性なんですよ。
 人間関係の面から考え直さないと、吃音のことばというものは了解できないんじゃないか。
 コミュニケーションのために言語を学ぶのは、そのとおりで、私は言語の最大の機能はそういうところにあると思います。しかし、むしろことばの大事な点は、心の問題だと思うんです。
 心とは、見えない、聞こえない世界です。つまり、精神世界、抽象的世界といってもいい。抽象的世界にはいろんなものがあります。例えば、ものを考える、思考も抽象的世界です。感情というのも、抽象的世界でしょう。特に感情、情緒の問題は非常に重要です。情緒なしで人間関係はできない。必ず人と接する場合には感情が動き、感情が触れます。感情を出して、相手に触れるというところを前向きに学習しないと、いわゆる吃音の状態みたいな状態が起こるんじゃないか。
 これが自己主張ができない、できにくいということではないかと思います。だから、人に接して自分の感情を相手に伝える、感情を出す。その時どもる人は、自尊心が高いということが邪魔して、感情を出すと、自尊心が許さないみたいところがあって、出せない。これなら出せるという状況は極めて限定されてしまう。限定されるというのは、人間関係を遮断するということです。
 特殊な人にしかできない。場合によっては旦那さんが奥さんとだけ、また場合によっては夫婦でもその感情が出せない、なんていう問題だって起こるかもしれません。
 だから、夫婦間に限らずいろんな人に、自分の感情を出していく。前向きの感情表出ということを勉強するといいんじゃないか。どうも感情表出というのは、大人になると誰でもできるように思うけれども、そうじゃなくて、それにはやっぱりプロセスがあります。
 最初にそれを出すのが2歳くらで、母親に対する反抗期という形から出すんです。だから、必ず感情というのは、ネガティブな感情なんです。ネガティブな感情が出せないというところが問題なんです。自分の否定的な感情を出せるようになると、肯定的な感情もその次に出てくる。肯定的な感情をいきなり出そうたって無理です。否定的な感情を豊かに出すことが必要です。小さい時は、いわゆる情緒的な成長が普通ならば、みんな出します。それが第一反抗期です。
 第一反抗期は、どの子でも例外なく本来は出るもので、当たり前のことなんです。現代は、それが出しにくいような環境が出てきて、最近では半数近くの幼児は、第一反抗期がないと言われています。第一反抗期がない子どもは、ちょうど吃音の子どものように非常におとなしい。親の言うことをよく聞く。すなおなんです。ひねくれ者がいない。ひねくれるだけのエネルギーを出せないから、悪いことをしないんです。
 なぜ悪いことをしないかというと、親が大体悪いことを教えないからね。どもる子どもの親は模範的な親ですから、悪いことはしていけませんよと教えるわけで、これが規範なんです。そうすると、規範にのっとりながら、行動的には悪いことを何もしないで、模範的な子どもになるんです。
 感情的な面からいうと、感情の成長は模範生じゃだめなんです。つまり、反抗する子どもでないと。そして、それを出しているうちにいろんなものが出る。
 否定的感情を出す一番最初は、ことばじゃなくて、行動なんです。幼児の行動を見ていますと、非常に行動的でしょ。そして、その行動は、いい行動だけやってません。大人のことばでいうと、いたずらです。
 幼児は、いたずらなんかやってるつもりはないんです。感情を出しているんです。それは、大人の世界から見ればいたずらだけど、子どもの世界から見れば当たり前のことをしているんです。それを思う存分やるようになると、行動的になる。子どもってじっとしていませんね。行動が大きく触れる、これを私は運動反応で感情を表出する、と表現します。
 いろんな出し方があって、更にレベルが高まると、人間の音声を使う。声でもって感情を出す。声で一番感情が表出されるのは、大人の世界ではけんかですよ。ですから、「このやろう、てめえ」こういうことばが出ないとだめなんです。竹内先生のレッスンの中で、前にことばが出ないというのは、それなんです。
 「このやろう!」という時、「このやろう」と自分に言ってもしようがないんで、相手にぶつけなきゃいけない。「このやろう!」こういうことばがどんどんどん出るときはどもらないでしょう。
 しかし、けんかしそうな雰囲気が出てくると、すうっと逃げちゃう。だから、好んでそういう雰囲気の所に出掛けていくようにすると、これは大変にいいんだけど、それを皆さんやりなさいと言っても大人になったら無理だから、無理しない方がいいですよ。
 こういうのを小さいときからやりなさい。本人がやるわけにはいかないから、お父さんやお母さんがそういうふうに子どもを育てなきゃいけない。
 そういふうに育てると、簡単に「このやろう!」というのができるわけです。けんかなんかすぐできる。そういう感情を前に出すことができると、行動面から、やがてはことばを使うわけです。
 人間が成長すると、今まで行動的なものが言語の領域に込められて言語で処理できるようになる。これは、大人になる、つまり利口になる、最も能率的になる、一番いい方法でしょ。そこで、ことばを学習する。そうすると、ことばの中には、いろんな操作があるんで、その中で、感情を表現するということは、つまり対人関係の中で生きたことばを話すということになるのです。
 ことばだけを、どもらないよう話そうとすると、ことばの命がなくなるんです。なぜなら、感情がどこかにいっちゃうんです。形だけが残るんです。これが、竹内先生がおっしゃった、いわゆる情報ですよ、情報伝達言語になる。情報伝達というのは、一方的でいいんです。相手いらないんです。
 本当に生きている人間との心のふれあいというのは、相互関係ですから、相手がいないとできない。こういう中でのことばが、生きたことばで、生きたことばというのは必ずことばの中に感情というものが込められています。
 この感情で言語を表出する。小さい子どもを対象として治療を試みて改善をしていくプロセスを調べてみると、一番最初は感情表出が行動面でまず出るというレベルであって、それからそれがだんだん上手になると言語のレベルに達する。言語のレベルに達して初めて吃音にかかわりを持ってくるんですよ。だから、言語のレベルに達すると、おしゃべりになるんです。
 今まで、あまり喋ったことのない子どもがぺちゃくちゃぺちゃくちゃ喋る。ぺちゃくちゃ喋るということは、ただ、発話量が増えたということではなく、それだけ感情が容易に出るようになったということです。結果的に発話量が増えて、ぺちゃくちゃ喋っていると、吃音の症状という面から見ると、症状はだんだんだんだん変化する。
 ブロックという状態から、延ばす、繰り返す。最後は繰り返しながら、滑らかなどもりになる。これでもってどんどん話していると、変わっていくんです。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/03/10