若林さんの自己紹介の後、お話は、「ちいさな風の会」に移っていきました。きっかけは新聞記事で、ゆるやかなつながりを続けてこられました。
 「人はそれぞれに違う、その違いを認めた上で、それでもなお共通のものを求め、認め合い、分かち合うことでこの会は育まれて来たように思う」というところに、僕は惹かれます。

ちいさな風の会と私
                        若林一美
.ちいさな風の会

新聞記事がきっかけで
 1988年の1月から半年間、毎日新聞に、《様々な死の周辺》についての話を連載しました。それを読んだ読者の方から、子どもを亡くした親の会を作れないだろうかという呼びかけがきたのです。
 いろいろな闘病者の会や、子どもが難病で闘病されている親の会はあるけれども、子どもを亡くした親の会はないから、作れないだろうかということでした。
 1988年の夏に「ちいさな風の会」というグループは生まれました。
 会の文集の最初に次の文があります。

 『ちいさな風の会は、子どもを亡くした親の会です。同じ体験を経た者同士が集うことで、悲しみを見つめながらも一筋の光を見い出すことにつなげたいと願っています。一人一人の生き方を尊重し合い、宗教や政治といったものに特定されず小さな交わりの場を育んでいきたいと思います』

 文集やお便りの発行の他に集会を開いています。
 2か月に1度、東京で定期的に開く他、大阪や広島などでも開いています。
 この会は、子どもを亡くしたということだけが共通の核にして人が集まっている会で、子どもを亡くした親たちの切実な思いから生まれた自助グループです。勉強会でも知的なことを追及する研究会でもありません。お互いがあるがままに正直な自分を語る中で、改めて自らを顧み、それと同時に他者への思いやりやいたわりが生まれてきたように思います。
 8年間の歩みはゆっくりしたペースで、互いの中で体験し、実感してきました。
 百人百様の顔があるように最終的にその人が歩んで来た道程はその人のものです。そのことを認めた上でそれでもなお共通のものを求め、認め合い、分かち合うことでこの会は育まれて来たように思います。

何故私が世話人を
 私は、きっかけになった記事を書いていたということがあって、会の雑用を引き受けるような形で、この会と一緒に歩んできました。
 それぞれ痛みを抱えていらっしゃると、365日、ある意味で1日1日すべてにご自分のいろんな辛さとか、裏返せば喜びにもつながるようなものであるとしても、気持ちの揺れ動きがあります。その揺れがあっても、会は続けて行くことが大切ではないかと、経験者ではないが、その揺れのない、私がお手伝いしてきました。
 「あなたは体験者ではないが、どんな人か知っている」と、記事を読んで下さった方たちが信頼して下さいました。また、取材で出会った人からも、すごく親しみっていうか、“sympathy”って言葉でおっしゃった方もいらっしゃったのですが、そんなものを感じると言われたこともあります。不思議な出会いだと思います。
 死をテーマに、取材者としていろんな方たちにお会いし、その人にとって一番辛いことをきっかけに出会った方たちが、私にとっても大事な人たちになったのです。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/27