1995年11月19日(日)、大阪セルフヘルプ支援センター主催の第7回セルフヘルプ・グループ・セミナー〜今、再び生きる力を!〜が開かれました。その年の1月17日は、阪神淡路大震災があり、関西を中心に活動していた僕たちの仲間は、大きな被害を受けました。そのことを心に刻みながら、神戸バプテスト教会で開催しました。
震災で子どもを亡くした男親の会ができるなど、これまでなかったセルフヘルプグループができた年でもありました。
子どもを亡くした親の会《ちいさな風の会》の世話人・若林一美さんのお話は、同じ体験をした者同士が集うことで、悲しみを見つめながらも一筋の光を見い出すことにつなげたいとの願いがあふれたものとなりました。若林一美さん、大阪セルフヘルプ支援センターの了解を得て、日本吃音臨床研究会のニュースレター『スタタリング・ナウ』(1996年12月)に紹介した若林さんのお話を、紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/24
震災で子どもを亡くした男親の会ができるなど、これまでなかったセルフヘルプグループができた年でもありました。
子どもを亡くした親の会《ちいさな風の会》の世話人・若林一美さんのお話は、同じ体験をした者同士が集うことで、悲しみを見つめながらも一筋の光を見い出すことにつなげたいとの願いがあふれたものとなりました。若林一美さん、大阪セルフヘルプ支援センターの了解を得て、日本吃音臨床研究会のニュースレター『スタタリング・ナウ』(1996年12月)に紹介した若林さんのお話を、紹介します。
ちいさな風の会と私
若林一美
はじめに
「ちいさな風の会」という、子どもを亡くした親の会でいろいろお手伝いさせていただいております、若林一美です。
私自身は体験者ではありませんし、専門家でもありません。そういう人間が何故このような会に関わっているのか? 私の自己紹介のようなものを兼ねながら、会についてのお話をさせていただきます。
1.死について考える
仕事の中で「死」と出会う
《様々な人間がいて、いろいろな価値観や考え方がある。どうしたら人間が互いに分かり合えるのだろうか》
私が、教育学を専攻した大学と大学院での中心課題でした。卒業後の選択として、人間と実際に触れ合う仕事がしたいと、ジャーナリズムの世界に入り、月刊雑誌の記者になりました。いろいろな生き方をしている人たちに、インタビュアーとしてお会いし、話を聞くという仕事を始めたのです。
「人間って、病気って何だろうか。病気は、ひとりの人の体の一部分が故障することだけではなくて、その人の生き方、社会的な生活の場とか、その人と生活を共有している人たちの生き方も全部根底から覆してしまうのではないか」
ガンの最新医療の現状を特集する医療取材班の一員となって、ガンの最新医療の現場を歩くようになり、病気のしくみ以上に、これらが重い問題として、自分の中に残ってきました。
私のホスピス体験
ちょうどそのような時に、ホスピスが、私がいっぱい抱えている疑問点を解決する糸口になるのではないか、これまでの医療とは少し違ったものなのではないかと感じ、1970年の暮れからアメリカ、ヨーロッパのホスピスを見に出かけました。
ニューヨークで、若い一人のガンの患者さんに出会いました。20代の男性で、リンパ系のガンでした。治療の術がなく、ホスピスチームの人たちがその人の介護にかかわっています。そのチームカンファレンスの中で、その男性の患者さんの話が出てきたのです。
薬や放射線を使ったガンの治療で、夫がインポテンツになり、性行為がもてなくなりました。
「治療でこの結果が起こり得るなら、なぜ事前にきちんと私たち夫婦に話してくれなかったのか、夫も苦しみ、私もとても満足できない、納得できない」
妻が夫の担当である看護婦さんに訴え、カンファレンスに出されたのです。
死ぬか生きるかという、命の尊さとか、どう支えるかという話が交わされる場で、突然、性行為の話が耳に入ってきました。一瞬これは聞き違えていると思いながら一生懸命神経を集中して聞いていると、やはり、その話題なのです。
私自身は、大学院で学んだのは性心理学という分野で、大学の中ではセックスという言葉は比較的頻繁に口にし、性の問題を、変に偏見なく、語ったり考えられたりする人間だと思っていたのですが、ホスピスの取材で、突然思いもかけないところでセックスの話題がでてきたので、私は非常にとまどいを感じました。
「少なくともその人の残された時間を長くさせるために、セックスが犠牲になっても、仕方がないのではないか。ましてその不満を本人でなく、元気な妻がどうこう言う筋合いのものではないのじゃないか」
あまり明確ではないけれど、このようなものが違和感としてあったのでしょう。
そのカンファレンス後、その看護婦さんに素直に自分の思いを伝えました。
すると、私とほとんど年齢の変わらない若い看護婦さんが、この人は何を言っているのだろうといった表情で言いました。「だって、死にそうな人だってごく普通の人間ですよ」これを聞いたとき、はっとして、「あー、そうなのだ」と思い致りました。
英語では、dying patientといってdieに、進行形のingをつけて末期患者と呼びますが、dying patientの状態になっても、私たちと同じ人間なのです。
当たり前のことなのですけど、確かにそのとおりだと、その時初めて私は気づかされたような気がしました。
どんなに病気が重かろうと、残された時間が短かかろうと、やっぱり生きている人間なのです。その人それぞれの好みや生き方、考え方があります。例えば性に関しても、セックスライフを取ってしまえば生きている価値がないという人もいれば、あまり関係ないという人もいるかもしれません。それはその人の感じ方や生き方のことであって、他人がそこに分け入って、そんな状況にある人が、こんなことについて話すなんておかしいということ自体、とても僭越なことなのだと思ったのです。
医療の現場でも、クォリティ・オブ・ライフとか、人間の尊厳とか、難しい言葉が使われて、こういう言葉が使われるとなんとなく納得してしまうようなところがあります。言葉では理解しても、自分自身に置き換えたとき、抽象的な言葉になればなるほど中身が薄れていって、よく分からなくなります。こういう言葉を他人と交わしてしまうと、その人との間に溝が生じてしまういう気さえするときがあるのです。
1970年代の半ば頃から、私は、現在の医療では治せないと言われ、死と対峙して生きている方たち、その生活を支えている人たち、大事な方を亡くされた遺族の方たちに、お会いしてお話を伺うことが仕事の中心になり始めました。この20年で、250人ほどの遺族の方たちとお会いしてきました。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/24