社会には、さまざまなセルフヘルプグループがあります。僕が、どもる人のセルフヘルプグループ言友会を創立した1965年頃にはまだ少なかったのですが、その後、さまざまなセルフヘルプグループができ、そのセルフヘルプグループを支援するセルフヘルプ支援センターも作られました。僕は、その中のひとつ、大阪セルフヘルプ支援センターで活動していました。そこでさまざまなセルフヘルプグループと出会いました。
今日は、そのひとつ、「ちいさな風の会」というセルフヘルプグループを紹介します。子どもを亡くした親の会です。代表の若林一美さんを講師に迎え、1995年にセルフヘルプ支援センター主催の講演会を行いました。そのお話を掲載している「スタタリング・ナウ」(1996年12月)の巻頭言からまず紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/23
今日は、そのひとつ、「ちいさな風の会」というセルフヘルプグループを紹介します。子どもを亡くした親の会です。代表の若林一美さんを講師に迎え、1995年にセルフヘルプ支援センター主催の講演会を行いました。そのお話を掲載している「スタタリング・ナウ」(1996年12月)の巻頭言からまず紹介します。
悲しみと居場所
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二
どもりに深刻に悩んでいた時、何処にも私の居場所はなかった。学校ではいつもひとりぼっち、家族の中でも孤立していた。授業でどもってどもって読むその時も辛かったが、休憩時間や遊びの時間、運動会、遠足など皆が楽しくしている場で、自分の居場所がないのが辛かった。
小学校2年の秋から悩み始め、学校では孤立していたが、家庭には居場所があった。しかし、中学2年生の夏、どもりを治そうと発声練習に励んでいた私に、「うるさいわね。そんなことしてもどもりは治りっこないでしょ!」と、母親からこのことばが投げかけられた瞬間から、家庭でも私の居場所はなくなった。夜の町を彷徨い、中学生から映画館に入り浸った。夜の町、映画館だけが、人の目を気にせずに、悲しい時には泣き、どもらずにすむ僕の居場所だった。
ひとりぼっちで生きるのは寂しいし、辛い。誰かと触れ合いたい、誰かに話を聞いてもらいたい。孤独の生活の中で、常に他者を求めていた。この思いが、30年前、セルフヘルプグループを作る原動力となった。
《ちいさな風の会》の人たちも、居場所がなかったという。誰にも悩みを話せずに、一人で閉じこもっていた頃、同じような体験をもつ人と、出会いたかったであろう。そして、実際に出会うことができ、言い知れぬ安らぎを得たことだろう。
「悲しんでもいいんだ。泣いてもいいんだ」。
悲しむことが、涙を流すことが、あたかも悪いことであるかのように思い込まされて、悲しみを押さえてきた人々にとって、悲しみを語り、思い切り泣けるのはなんとうれしいことか。悲しい時は悲しみ、泣きたい時は泣く。こんな当たり前のことが、できないのはどこかおかしい。
ユーモアや笑いはとても大切なことなのに、それとは異質なものが、それらしく、大手を振って歩いている。例えば、『脳内革命』がその一例だ。明るく前向きに考えれば、脳内モルヒネが出るなどという主張のこの本が、大ベストセラーになること自体、いびつな社会といえないか。
この本が、読まれれば読まれるほど、悲しい顔、憂鬱そうな顔をしていると、《暗い》と敬遠されることになりはしないか。お笑い系統のタレントがテレビを支配して久しい。どの番組でも、必要以上に、笑い声と笑い顔が満ちあふれている。
暗いと言われることを恐れ、悲しみを嫌い、悲しみの涙を嫌う。この社会の風潮は、かなりの時間がたっても子どもを失くした悲しみから癒されずにいる人々にとって、なんと生き辛いことか。
人生の生きる喜びは、楽しいことばかりを考えることではない。悲しみを悲しみとして充分に感じ、喜怒哀楽の感情を深くもってこそ、生きているという実感があり、それが喜びと結びつく。
悲しみを、辛さを、遠慮なく、自らのことばで率直に語りたい。悲しむことを疎んじる人間に、本当の喜びが感じられるのだろうか。
《ちいさな風の会》ができて本当によかった。
この会の人たちだけでなく、もっともっといろんな悲しみや、悩みや、生き辛さをもった人がいることだろう。その人達がセルフヘルプグループと出会ったり、もし適切なグループがなかったら、その人自身がグループをつくる。そのお手伝いができないかと、大阪セルフヘルプ支援センターは活動を続けている。
その支援センターが主催した昨秋のセミナーで、《ちいさな風の会》の若林一美さんが、会のこと、ご自分のことを話して下さった。悲しみについて考える機会となった。
20年前に私が起草した『吃音者宣言』。
その文言の中に、《明るく》《たくましく》がある。明るく、たくましいをゴールにしているかのような印象を与えてしまった。そのときからずっと気になっていたが、歴史的なものだから、変えられない。その部分が、また、気になり始めた。(1996年12月)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/23