どもる人で、俳優、アナウンサー、落語家など話すことを仕事とする人がいます。アドラー心理学でいう劣等性、劣等感の直接補償ですが、たくさんいます。
そんなひとり、三遊亭円歌さんの記事が出てきました。
懐かしい「山のアナアナアナ、アナタ…」を思い出しました。
三遊亭歌奴さんの落語がテレビで流れる度に、嫌な思いをしたという吃音の人は少なくありませんでした。ご自身の吃音体験から出てきた落語の新ネタだけに迫力がありました。だからよけいに、吃音に悩んで、吃音を否定的に考えている人にとっては嫌だったのでしょう。そこで、『サンデー毎日』編集部の仲介で、僕たちと話し合ったこともありました。 その当時嫌な思いをした人も、歌奴さんとの対話の後は、笑えるようになったと言っていました。今も、あの落語を思い出すことができます。円歌さん自身のことばと、演歌さんの寄席に参加した、古い仲間の宮島さんが、その感想を寄せてくれました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/14
そんなひとり、三遊亭円歌さんの記事が出てきました。
懐かしい「山のアナアナアナ、アナタ…」を思い出しました。
三遊亭歌奴さんの落語がテレビで流れる度に、嫌な思いをしたという吃音の人は少なくありませんでした。ご自身の吃音体験から出てきた落語の新ネタだけに迫力がありました。だからよけいに、吃音に悩んで、吃音を否定的に考えている人にとっては嫌だったのでしょう。そこで、『サンデー毎日』編集部の仲介で、僕たちと話し合ったこともありました。 その当時嫌な思いをした人も、歌奴さんとの対話の後は、笑えるようになったと言っていました。今も、あの落語を思い出すことができます。円歌さん自身のことばと、演歌さんの寄席に参加した、古い仲間の宮島さんが、その感想を寄せてくれました。
新聞記事 ビデオテープ 三遊亭円歌(落語家)
(僕は)吃音(きつおん)者ですからね。つまり駅員をやってても「新大久保」というのがいえなかったり、お客に道を聞かれてもなかなかすぐ答えられなかったり。……そういうことで自分にすごくプレッシャーかかってましたから。もしも何かでこういうことが治ることがねえかなあと。
終戦の前に上野の鈴本ヘフラッと入ったんですね。空襲が来たり警戒警報が出てる最中に、みんな防空ずきんかぶって、客席で笑ってるやつがいるんですよね。……その時にほんのちょぴっと明かりが見えたわけだよ、人の笑い声聞いてね。それで……オレの職業、これしかねえなあと思った。
師匠(先代・円歌も吃音者だった)が後年、私にゆってくれましたですけどねえ「お前の気持ち一番わかったのはオレじゃねえかなあ」と。
(新・テレビ私の履歴書 下町のイキな笑いが僕の人生=東京、16日=から)
三遊亭円歌師匠の落語に学ぶ
宮島哲夫(新潟県長岡市)
三遊亭円歌師匠の寄席が長岡で行われました。今回はチャリティのこともあって、車椅子の障害者の方も大勢で、それらの方々への思いやりのこともあったのか、自らの吃音体験を交えた落語を語り、時間延長も構わない熱演ぶりでした。
私も以前から、師匠は吃音を治したい一念で落語界に入ったことなど、新聞記事で読んでいましたので、是非聞いてみたいと思っていました。
吃音談義は、さすがに落語協会会長の貫録十分、爆笑の連続、私にとっては笑うどころか、身を乗り出して聞いていました。私のようにいつまでも吃音にこだわり続けている者にとっては、説教のように身に染みる思いでした。
国鉄の駅員時代、「新大久保」というのが言えなかったり、小学校時代から、軍隊生活での吃音が原因で殴られたこと、どもりで苦労したことをうまく話のタネにできるのは、天性の落語が身についているからでしょうか。
終戦の前に、上野の鈴本に入り、人の笑い声を聞いて、オレの職業、これしかないと思ったこと、先代円歌師匠も吃音者だったことで、後年に、先代が「お前の気持ちを一番分かるのは、オレじゃねえかな」と語ったそうです。
私の隣には重度らしい視覚障害の若い女性が、さもおかしそうな様子で声を出して笑っていましたが、私は終わりまで心から笑うことができませんでした。吃音者である私は、話が身につまされたということだけでなく、寝たきりの妻の看護に明け暮れ、笑う余裕がなくなっていることに気づかされました。生活の中の笑いの大切さを改めて思いました。
帰りには、車椅子の友人に会って、師匠の人となりを語り、送迎車まで送りました。
1996年8月15日 『スタタリング・ナウ』NO.24
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/14