どもる人がどう変わっていったのか、大阪吃音教室の機関紙「新生」に掲載されていた参加者の感想文と、分析されていた文章を紹介しました。今日は、もうひとりの感想とその分析を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/30
自分の中の吃音
山本さん(32歳)看護婦
物心がついた頃から、どもっていた。厳格で、潔癖な母は、何とか私のどもりを治そうと、私の異常な発音に注意深くなっていた。母の前で話すときは、ついどもってしまった。どもるたびに、困惑し、悲しそうにする母の顔を見るのが辛かった。
小学校、中学校時代は男子生徒から馬鹿にされたり、はやしたてられたりし、何度となくみじめな思いを味わった。しかし、それでも、学校を欠席することは、その後の学校生活を含めて一度もなかった。自己紹介、国語の朗読、研究発表、与えられたことは、皆と同じようにしてきた。どんなにひどくどもっても苦しくても逃げることはしなかった。本当は辛いと言って泣きたかった。逃げたかった。でも、それをしなかったのは、逃げる勇気がなかったのかもしれない。
母は、「どもりは必ず治る」と、私を勇気づけ、私もそれを信じて疑わなかった。どもりが治ることが、母の、そして私の願いだった。
高校1年のとき、民間矯正所へ行った。期待して行った矯正所は、劣等感、罪悪感をさらに植え付けただけで、多くのどもる人が経験したのと同じ結果となった。
ハンディを持つ私に、何がしかの資格を持たせたかった母に言われるまま、看護学校へ進んだ。そして、免許を得た私は、単身で大阪に出た。友人も知り合いもない土地、働くのも初めての経験、さらに重いどもり、何とも言えない不安を感じつつ、私の生活が始まった。
看護婦としての生活は、スタッフ間の申し継ぎ、電話の対応、病棟内放送、緊急時の医師への連絡等、どれもが辛い仕事だった。
毎日毎日、どもり続け、そして悩み続けた。日毎に、朝の来るのが辛くなった。何度も退職しようと思った。それでも学校を休まなかったように、仕事を休んだり、逃げたりはしなかった。皆の前でどもり続けた私は、ことごとく自分を責め、そして辛くて逃げようとする自分も決して許さなかった。どもれば嘆き、逃げようとすれば自分を責める繰り返しだった。結婚、育児と生活環境が変わっても、それは同じだった。今まで逃げずにやってきたのにどもりは消えない。あれほど人前で話し続けてきても恐怖心は増すばかりだった。私はだんだんと疲れてきた。前へすすむことも、引き返すことも、逃げることもできない状態に自分自身を追い込んでいった。
途方に暮れていたときに、大阪吃音教室と出会った。仕事と家庭をもつ身に、毎週金曜日の夕方からの教室への参加は、大変なことだった。しかし、無理をして参加して、私は大きなものを得た。
「吃音と正しくつき合う講座」の中で、吃音について、吃音の原因や治療の歴史について、また他のどもる人の体験など、多くのことを学んだ。その中で、どもりは治らないかもしれないこと、治らないのは自分のせいではないこと、自分を許し、ほめることの大切さを知った。
なんとか治そうと必死になっていた頃の肩に大きな荷物を背負っていたのが、軽くなった。もう自分を苦しめることはやめよう。どもりを治そうと必死になることはやめよう。そう思えたら自分をあれほど苦しめていたもう一人の自分がいなくなった。大阪吃音教室と出会えたこと、これは私の生涯で劇的なことだった。これまでどもることで苦しいことばかりの連続だったけれども、生きていてよかったなあと、今は思える。
これから先、もっと苦しいことに出会うかもしれない。でも、今度からは、少し気楽にやってみようと思う。そして、やっぱり逃げないで生きていこうと思う。(1987年10月機関紙『新生』より)
山本さんの感想からの分析
山本さんのように、吃音を治したいと切実な思いで、大阪吃音教室を訪れる人は少なくありません。この人たちと吃音と上手につき合うという立場で、どう援助できるか、セルフヘルプグループの真価が問われるところです。
初めて大阪吃音教室を訪れた人が、来て良かったことを次のように言います。
1)吃音に悩んでいるのは自分一人だと思っていたが、自分と同じような人が大勢いることを知り、安心した。
2)初めて吃音のことを話題にでき、吃音について学ぶことができた。
3)吃音のことを話せる友達ができた。
親にも、教師にも、友人にも、吃音の悩みは話せなかったという人は少なくありません。自分以外のどもる人と知り合い、吃音について語り、悩みを出し、初めて他人に受け入れられる、この体験は、問題解決への出発点でもあります。
しかし、山本さんのように吃音に悩み、「前へ進むことも、引き返すことも、逃げることもできない」深刻な状態のどもる人にとって、事態の進展は容易ではありません。同じような悩みを持つどもる人に悩みを話し、共感や励ましを受けても問題解決の糸口を見つけることは困難です。
小学校・中学校時代からの吃音による辛い体験は、吃音は劣ったもの、悪いものという価値観を植え付け、吃音は治さなければならないという考えを強化してきました。そして、信じて疑わなかった、努力すれば必ずどもりは治るという願いは、就職しても、「あれほど人前で話し続けても恐怖心は増すばかりだった」と、現実のものになりませんでした。「皆の前でどもり続けた私は、ことごとく、自分を責め、そして辛くて逃げようとする自分も決して許さなかった。どもれば嘆き、逃げようとすれば自分を責める繰り返しだった。結婚、育児と生活環境が変わっても、それは同じだった」
吃音は劣ったもの(過去の辛い体験でもつ価値観)
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どもりは必ず治る
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どもりが治らない現実
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努力不足・どもる自分を責める
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吃音は劣ったもの(過去の辛い体験でもつ価値観)
この悩みの悪循環を断ち切るのには、吃音についての正確な知識を学び、他のどもる人の体験に学びながら、吃音や自分自身と向き合うことがまず必要でした。
山本さんは、大阪吃音教室での経験を次のように振り返ります。
「吃音と正しくつき合う講座」の中で、吃音について、吃音の原因や治療の歴史について、また他のどもる人の体験など、多くのことを学んだ。その中で、どもりは治らないかもしれないこと、治らないのは自分のせいではないこと、自分を許し、ほめることの大切さを知った。なんとか治そうと必死になっていた頃の肩に大きな荷物を背負っていたのが軽くなった。もう自分を苦しめることはやめよう。どもりをなおそうと必死になることはやめよう。そう思えたら自分をあれほど苦しめていたもう一人の自分がいなくなった」
吃音と直面し、自分と向かい合うことは、吃音で辛い体験をしてきたどもる人にとって簡単なことではありません。同じように吃音に悩んできた仲間の協力が必要です。そして、どもる人自身が、どのように吃音と取り組めばいいか、吃音についての知識や取り組み方も学び、知る必要があります。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/30