大阪吃音教室での「どもりについてみんなで語ろう」の様子を紹介しています。会に入って浅い人が、長く関わっている人に質問しています。長く関わっている人が、以前のことを思い出しながら、体験を話します。教える・指導するという立場の人がいない、対等な関係の中で、吃音にまつわる話がどんどん続いていきます。僕は、この空間こそ、セルフヘルプグループだなあと思います。僕にとって、とても居心地のいい空間なのです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/30
『スタタリング・ナウ』NO.10 1995.5.29
どもりについて語ろう 2
どもりが軽くなったのは何故?
◇私は大阪吃音教室に入って半年ですが、お聞きすると10年以上という方もおられるようですが、どんなふうにどもりが軽くなったか、お聞きしたい。
◇6年前に入り、今49歳ですが、43歳頃の私は、吃音を治す専門機関へ行けば吃音は治るだろう。だからあまり気にせんでいい、本当に治したいと思ったら、吃音を治す所へ行けばいいんだと考えていました。年をとるにつれ話すことが増え、困ることが多くなり、吃音を治すのは今だと考え、大阪吃音教室に来ました。治してもらえると思ったのですが、吃音はそんなに簡単に治るものではないことを知りました。
吃音は《ことば》だけの問題ではなく、その人の全人格的なもので、《人としての在り方》に関わるものだということが、大阪吃音教室を通して分かりました。
吃音教室では、「交流分析」が私自身も仕事の面でも大変プラスになりました。自分自身の気づき、自分が気づいたことにどう対処すればよいかが分かりました。その他「行動療法」「森田療法」などを知ったことは、自分が話す上でも非常にプラスになったようです。
◇私は参加し始めて、13年になります。最初は名前も言えなかったのです。私の吃音症状があまりきついので、大阪吃音教室に参加しても、話が進まないので、嫌がられるのではと想像していました。大阪吃音教室を知る前は、スラスラ喋らなければいけないという考えがあり、どもったらひどく落ち込みました。ところが、大阪吃音教室では、「どもって喋っていいですよ」と言われびっくりしました。なので、いくらどもっても、どんどん話しました。どもらずに話そうと思うと話せなくなりますが、「どもっていい」と言われたら、結果的には話せるようになりました。
◇私も人前ではほとんど話すことができなかったんです。ここでは皆が平気でどもっている。大阪吃音教室に参加して、「どもってもかまわない」と思えたのが、一番の救いで、緊張が解けて、だんだん話せるようになっていった。でも、一歩出ると、相変わらず緊張して話せない。大阪吃音教室の中ではよく喋り、元気だが、外では、借りてきた猫のようにおとなしいという状態がしばらく続きました。
それは、一般社会では、どもったらいけないという意識が根強く残り、「人前でどもると相手にしてもらえない。劣った人間と判断される、友達ができない」という考えがしっかりと自分の中にあって、それがなかなかこびりついて取れなかったからだと思います。こんな考えも、皆と話し合い、人の話を聞き、人前でどもっても仕方がないやと、だんだん思えるようになり、どんどん恥ずかしい思いをしながらも、話していって少しずつ変わっていった。自分で変わろうと思えたことがよかった。
◇今のような「吃音と上手につきあうための講座」が始まる前の大阪吃音教室では、抑制法という「どもらずに話す」ことを目指した例会を続けていました。どもりを抑制するためにゆっくり話すことを続けていたんです。一人一人性格も症状も違うのに皆一緒くたにして、発声練習をしていました。大阪城に向かって、大きな声を出す練習なんかもしていました。それがナンセンスだと分かってきました。大阪城公園で、また、例会で大声を張り上げていくら練習しても、特別な話し方をしたり、練習だと思うからできるんで、急に話しかけられて話すとか、突然かかってきた電話で話すとか、商品を売るために必死で話すのとは全然ちがいます。真剣勝負ではないんです。
日常生活こそが大切だと気づきました。だから、吃音の先輩としての私たちの役割は、逃げている自分に気づいて、逃げない生活に皆で押し上げることじゃないでしょうか。少しずつでも逃げないと、話す回数が増えます。日常の生活の中で、恥ずかしい思いをしながら、辛い思いをしながらも、できるだけ話していくことが、本当のトレーニングだと思うようになりました。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/30