先日は、1995年4月の開講式の様子を紹介しましたが、これから何回かに分けて、ある日の大阪吃音教室の講座を紹介します。「どもりについてみんなで語ろう」とタイトルがついたこの講座、さまざまなテーマの吃音に関する話題が出てきます。参加者の活発な意見が飛び交う、躍動感あふれる時間を紹介しましょう。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/29
『スタタリング・ナウ』NO.10 1995.5.29
どもりについて語ろう
大阪吃音教室は、年間を通してさまざまなプログラムが組まれている。
吃音についての学習。コミュニケーションについて考えたり、読み、書き、話すなどのトレーニング。人間関係をよりよくするための心理療法の活用などだ。多くのプログラムの中でも、吃音について語ることを最も重要視し、実際活発に、熱心に取り組むのも、また、常時25名から35名ほどが参加するが、参加者が一番多いのも吃音に関する講座の時である。さまざまな角度から吃音について語られるが、教室に参加できない人々とも共有したいと考える話題も少なくない。吃音について、多くの人々と語り合い、そこから何かを見い出したいと願う私たちは、吃音教室での話がその場限りのものとなるのは残念だと考えた。全ては再現できないが、興味深いものを選んで、今後この紙面を使って紹介していきたい。前号では開講式の様子を紹介したが、今後、大阪吃音教室シリーズとして、紹介する。今回は、今年度のものではなく、以前行われたものだが、話が弾み、興味深かったので再現する。
今日は全くテーマは決めません。日頃どもりについて考えていること、思っていること、大阪吃音教室についてでも、どんなことでも結構ですから、皆で話し合いましょう。
大阪吃音教室に期待すること
ここではあまりしていないようだが、健常者に近づく、話し方の訓練が必要なのではないか。
今、<健常者>ということばを使いましたか? 普通に喋るということもおっしゃいましたが、そのことについてどなたか意見があれば。
普通になるとか、健常者に近づくという発想はどうでしょうか。私たちには私たちのことばがあります。普通とか、健常者に近づくというのではなく、私たちなりのことばを磨いていきたいと思います。例えば、どもるからと、うつむいて、相手の目も見ずに、ぼそぼそ喋るのでは、どもる、どもらないに関わらず、相手に向かっていることばではありません。また、どもるのが嫌さに、一気に早口で喋ったり、からだをこわばらせて喋ったり、恐る恐る喋ったりするのは改善できます。
数回前の大阪教室でも、どもる上にすごい早口でそれにあせって話すので、私たちには、何を言っているのかさっぱり分からない、大変聞きづらい人がいました。どもっているからイライラするのではなくて、聞き手のことを一切無視して、自分の殻に籠もって、音を発しているだけなんです。どもる私たちでもイライラしました。
彼は、会社では、自分が話しても相手にしてもらえないと言っていましたが、ことばを含めた、コミュニケーションの問題をもっと考え、トレーニングする必要があるとその時話し合いました。
その時彼に、相手を見て、あわてず、一音一音丁寧に声を出すよう、皆でかかわりました。すると、ちょっと本人が意識するだけで、声がよく出るようになりました。
聞いている私たちもずいぶん聞きやすくなりました。
どもることが悪いと言っているのではなく、相手に伝わるような、聞き手が聞きやすい話し方はできないかということについては、話し合ったり、訓練していく必要があると思います。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/29