昨日の続きです。
 大切なこととして、「障害の隠れた部分、吃音に関する感情に目を向けること」とあります。僕たちが、今よく使う吃音氷山説で、目に見える水面上だけでなく、水面下の見えない部分に、吃音に関する感情を置き、それに目を向けることだと言っています。また、「実際吃音を解決した先輩のどもる人に会わせること」も出てきます。解決ということ、おそらくここでは、吃音を治した先輩のことを指しているのでしょうが、僕たちはそうではなく、自分の吃音を認め、吃音と上手につきあっている人のことを指します。
 ずいぶんと昔の文献ですが、似たところをみつけると、おもしろく、うれしくなります。
吃音の解決を「吃音の改善」に置いている、チャールズ・ヴァン・ライパーと、「吃音と上手につき合う」を目指している僕たちとは、根本的な違いはありますが、「解決」を「つきあう」に置き換えて読むと、共通する部分があることに気づきます。

『The Treatment of Stuttering』第9章 動機(2)
    ―動機、その特質の克服―Charles Van Riper


§治療地図
 人がその目標に行く道が分かると、遠くの目標が近くに見えるようになる。私たちは、どもる人にこれから続く治療過程の概要を、治療の早期に説明しなければならない。
 それぞれのどもる人の地図は、仲間たちの地図と異なり、ある人に役立つ地図が、他の人に役立つとは限らない。地図は、個々の要求と能力に合わせて作られるが、多くのどもる人が出会い、乗り越えなければならない共通した障害物はある。どもる人はこれからたどっていく地図を必要とし、その地図には危険な所やめんどうな場所が明らかにされなければならない。
 セラピストは地図を持っているかどうか、どもる人は確かめようとする。彼はどこにいるのか、どこに行かなくてはならないのか。

§症状と感情の表出
 治療の初期、彼の問題をまず把握しなければならない。吃音症状を把握するためには、他のどもる人のいろいろな吃音症状の説明をしたり、模倣をしたりして、自分がどのタイプに似ているかを、どもる人に指摘させる。一般に、この方法を使うと、どもる人が思わず話し、どもっている状況を再現してしまうので、そこから彼の吃音の種類や程度を観察することができる。最初は、他の人の物まねをしていたのが、いつのまにかセラピストが自分の吃音を身振りや声を出したりして模倣しているのだということにどもる人自身が気づく。その時点で、吃音を理解するためにはまず自分の吃音を模倣し、再現しなければならないことを説明する。私たちは、現に今、観察したどもる人の吃音について、解説をし説明をし、表出される彼の吃音やどもる時の状況の分析を彼と共にするのである。
 吃音について観察をし、分析をすることは、彼の人生で、初めての経験であろう。どもることによって、精神的な外傷を受けるのではなくて、むしろ、吃音に興味を持つようになる。このような治療は、彼に強烈な印象を与える。
 次に障害の隠れた部分、吃音に関する感情に目を向ける。私たちは、これまで接してきたどもる人の吃音に対する恐怖やフラストレーションや罪の意識に対する様々な感情について述べ、その中でどれが自分に当てはまっているかを指摘させる。
 どもる人自身が吃音に関する感情を述べることはおそらくどもる人にとって初めての経験であろう。
 どもる人の感情表現にあたっては、セラピストの能力と熱意が大きく影響を与える部分である。

§希望
 治療に失敗し、失望しているどもる人は吃音を解決できるという希望をほとんど持っていない。
 動機づけにとって、《希望》は非常に大切なものだ。それを作り出すか、あるいは消えたはずの灰の中から再び息をかけて炎を出さなければならない。そのためには、セラピストは自分の力量に自信を持っていなければならない。塚や山を動かそうとするには、膨大なエネルギーを必要とする。失望しているどもる人に希望の火を燃えさせるにはそれなりのエネルギーが必要である。そのエネルギーはセラピスト自身の誠実さである。良いセラピストは、どもる人の持つ自己治癒の隠れた力を信じる楽観主義者である。
 どもる人に《希望》を与えるために、私たちは色々な試みをする。一番効果的なのは、実際吃音を解決した先輩のどもる人に会わせることである。また、オーディオやビデオテープを効果的に使う。
 他者の変化、自分自身の変化を目の当たりにすることによって、どもる人はどもり方は変えることができものであり、行動は修正できるものであると、認めることができる。
 私たちの指示やデモストレーションによって、色々と違ったどもり方をしてみる。以前どもっていたことばや、ひどくどもっている時に録音しておいたどもり方をそれらと比較すると、その違いがはっきりしてくる。そして、自分の行動が無意識的でも、脅迫的でもないことに気づく。
 自分の行動を選択したり、コントロールしたりできることを発見する。また、目を閉じたり、唇をつき出したりする、どもる時の異常な行動を少なくするように、簡単なオペラント条件手法を使うことがある。どもっていても、異常さを少なくすることはできるのである。
 どもる人は吃音に取り憑かれて、それをコントロールできないと思ってきた。この時恐らく初めて自分がしていることの多くは変えることができると分かるのである。多くのどもる人にとって、このことは本当に決定的な経験である。確かにそれは非常な動機を起こさせるのである。
 自分の行動とそのコントロールに責任を持つという認識は、本人の社会適応とも関係する。私たちの所にくる成人のどもる人の多くは、流暢さよりもっと別なものを必要としている。どもる人は人間関係がうまくいかず、不本意な生活を送っている。時にはみじめな生活を余儀なくされている。だからどもらずに流暢に話せるようになることは、それ以上のものを作り出すことがある。しかし、流暢に話すことは、どもる人が機能的な人間になるのを助けはしても、決して保証するものではない。
 だから、最初のセッションから、最終的な目標を単なる吃音の除去におくのではなく、機能的な人間になるよう治療を組み立てるよう努めている。
 どもる人が機能的な人間になるためには、モデルが必要である。セラピスト自身が、健康で、幸福で、機能的であることが、どもる人が機能的な人間になることを助ける。私たちは親密な関係を持つすべての人々に影響を受けるものなのである。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/19