チャールズ・ヴァン・ライパー博士が僕たちに送って下さったメッセージの紹介は、今日で最後です。
 成人のどもる僕たちに、どもり方を学ぶように、そして、どもる子どもへの取り組みをすすめています。どもり方は、吃音の改善ではなく、丁寧に誠実に相手に届けるように話す日本語のレッスンに取り組んで来ましたし、どもる子どもたちのためには、吃音親子サマーキャンプに30年取り組んできました。敬愛する、偉大な吃音研究者のライパー博士の提案通りに、僕たちなりの活動を続けてきたと思っています。

『スタタリング・ナウ』NO.7 1995.2.28

§成人のどもる人へのメッセージ
 それまでの苦しみやどもらないようにする努力などを忘れ去るのは、そう簡単ではありませんでした。しかし、どもるたびにそれをなめらかな形に変えるチャンスと考えました。最初は小さな成果でしたが、いくらかでもうまくいったことが私を支えてくれました。さらにはわたしのどもることへの恐怖感や羞恥心が消えていったのでした。今では私と話す人は、私がどもっているときでさえそれに気づかなくなっています。私がどもることは昔と変わらないのですが、私にとって吃音はもはや問題ではないのです。
 これが舌のもつれた私の友人たちに伝えたいメッセージです。単に自分のどもりを受け入れるだけでは充分ではない。それを公表するだけでも充分ではない。どもり方を学んで下さい。

§どもる人のセルフヘルプグループへ
 重要なことは、もつれた舌をもつ人の悲劇を解決しようとするなら、世界中のどもる人たちが団結しなければならないということです。
 それには、長い時間と、多くの献身を必要とします。しかし、しなければならない仕事をするために、どもることを隠したり、どもらないような人々を、私は断固として、信頼することはできません。
 私たちの一人一人が、できることをしなければなりません。
 あなたがたの会は、どもる人が恐れることなく、恥ずかしがることなく、話せる場を提供すべきです。そこでは、彼らは、自分たちの感情や悩みを自分のことばで喋ることができるし、仲間意識を感じ、耐え難い孤独感を感じなくてもすむのです。
 会としては、一般大衆の吃音に対する態度を、吃音を一つの解決すべき課題としてみるような態度に変えていくよう努めなければなりません。
 京都の金閣寺を焼き払ったのは、どもる人ではなかったのです。無知のために、そのような行動をとらされた、心に病気をもつ人間だったのです。
 会としては、成人よりもむしろまさにどもりはじめの幼児に注意を向けるべきです。自分のことばの問題に対する反動としての、恐れや恥ずかしさを子どもたちが広げないためにです。
 何をすべきか、何をしてはいけないか、を学ぶために、どもる子どもの両親や教師と接触する方法をみつけなくてはいけません。私たちが十分に早く、それをキャッチしたら、障害の病的な成長をくい止めることができるのです。例えば、アメリカ言語財団が製作したような映画を準備して、あなたがたの国で、幅広くみせてはどうでしょうか。
 日本の諸大学での吃音の本質に関する研究を、あなたがたが奨励することです。そして、あなたがた自身がそれを学ぶべきです。
 一時の気休め以外の何ものももたらさない、何世紀も失敗し続けている古い方法を使って、吃音者たちを食い物にしてきた、セラピストたちの不正を暴露すべきです。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/2