前回、吃音をマイナスのものととらえず、ゼロの地点に立つということを書きました。そのために必要なことを3つ示しています。自己肯定・他者信頼・他者貢献です。これは、僕たちが、セルフヘルプグループで大切にしてきたことと重なります。自己肯定=あなたはあなたのままでいい、他者信頼=あなたはひとりではない、他者貢献=あなたには力がある です。この3つの循環で、どもりながら自己表現していく子どもに育つ道筋に立つことができると思います。
 また、アドラー心理学の共同体感覚の構成要素でもあります。
 「どもっていても、大切なことは言わなくてはいけない。そして、それはきっと相手に伝わる」
 常に、このことを、子どもたちに伝えていきたい、その思いを強くしました。今日が、児童心理に掲載された「どもる子どもの自己表現への援助」の最後です。

どもる子の自己表現への援助 (3)
           日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


『児童心理』2008年5月号 金子書房 〜特集 子どものためのアサーション〜

   ゼロの地点に立つために必要なこと
     ―自己肯定・他者信頼・他者貢献
ー己肯定
 どもる事実を認めて、どもっても話していくためには、まず子どもが、自分の吃音について、自分の気持ちについて学校で話す必要がある。クラス替えのとき、自己紹介で、自分の吃音について話し、その後の学校生活が楽になったという子どもは多い。どもることを隠さず、どもって話していけば、どもってでもできないことはないことに気づいていくだろう。
 親や教師にできることは、日常生活の中で、どもってもできたという体験を増やすことである。どもって朗読や発表することを後押ししたい。、そのとき、大切にしたいのは、子どもが今苦戦していること、たとえば朗読や発表について、どうしたいと思っているのか、本人の気持ちを聞き、話し合うことだ。学校へ行けなくなるほど思いつめている子どもに対しては、本人と相談の上で、一時的に朗読や発表を免除することもあっていいだろう。
 また、健康観察の「はい」が言えなければ、ジェスチャーで済ませたり、習得を目指して九九のスピードを競うことがあるが、速く言うことが大切なのではなく、正しく言えればいい、などの柔軟な対応も必要である。クラスの仲間も、これらの対応を認め、どもることを理解するには、家庭でもクラスでもオープンに吃音について話題にすることが不可欠である。どもる子どもがいることで、互いの違いを認め合う授業づくりができれば、クラス全体の意識が変わっていく。
他者信頼
 どもる子どもは自分がどもった後の反応がとても気になるものである。私はどもりながら朗読しているときよりも、その後の休みの時間がつらかった。どもった私を友だちはどう見ているのか、友だちの反応がこわかった。どもる自分を肯定するには、どもったときの周りの肯定的な反応がなくてはならない。自分がいくらどもっても大丈夫だと思っても、周りが笑ったりからかったりするクラスだったら、どもってでも朗読しよう、発表しようという気は起こらない。なかには意地悪な子どもがいたとしても、基本的に「私はクラスの仲間が信頼できる」との他者信頼の感覚を子どもがもつには、まず家庭でどんなにどもっても嫌な顔をしないで話に耳を傾けることが必要である。
 どんなにどもっても、どもるそのことではなく、話す内容に関心をもって聞いてくれる聞き手がいると、どもる子どもが、家庭や学校で「どもる私を受け止めてくれている」と実感できる。吃音を否定しない聞き手の存在によって、子どもはどもりながらの自己表現ができるようになる。
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 自分が、誰の役にも何の役にも立っていないと感じるのはつらいことである。私は吃音を否定し、話さないようにしていたから、クラスの役割を引き受けることはほとんどなかった。無理に引き受けさせられたものにも、まじめに取り組むことはなかった。クラスで役に立っている、クラスの一員であるという意識は、私にも周りにもなかっただろう。
 どもる子どもには、できるだけ家庭やクラスで役割を与えたい。当初は嫌がるかもしれないが、役割を担っていくうちに、できなかったこともできるようになる。どもりながらでもできたという実感をもち、自分もみんなの役に立っていると思えることで、自己肯定は確実なものになっていく。
 自己肯定、他者信頼、他者貢献はどちらが先ということではなく、家庭やクラスの実情に合わせて、どもる子どもに味わって欲しい。しかし、これは、どもる子どもに特別の配慮をすべきだということではない。この三つはすべての子どもに必要なことだからである。

   おわりに―自己表現への援助
 私は、どもることをマイナスのものと考えることで、自己表現ができなくなり、自分の気持ちがわからなくなり、ますます自己表現ができなくなるという悪循環に陥った。自己開示ができないから、他人も私を理解できなかった。その悪循環を絶つには、当初は苦しくても、私自身がどもりながら自己表現していくしかなかったのだ。
 吃音を笑われたりからかわれたりしたとき、「嫌だからやめて」と言えたら、自分が苦戦をしていることを率直に話せたら、どもっていても私は学童期・思春期にあれほど悩むことはなかっただろうと思う。
 どもる子どもへの援助とは、「吃音を治す、改善する」ことではなく、その子どもが吃音と向き合い、吃音とともに生きることへの支援だと言える。そのひとつとして、アサーションの考え方を知り、自己表現できる子どもを育てることである。どもりながらでも表現できたという経験を積むことである。親や担任教師がアサーティブな生き方を見せることで、子どもにとってアサーションはより身近なものとなるだろう。
 「どもっていても、大切なことは言わなくてはいけない。そして、それはきっと相手に伝わる」
 親や教師はこのことを熱く語りたい。自分の気持ちや思いを大切にし、また相手のそれも大切にして、自己を表現する子どもになってほしい。そうすれば、その子にとって吃音は大きな問題ではなくなり、吃音がマイナスに影響しない生き方ができるようになっていくだろう。

[参考文献]
水町俊郎・伊藤伸二『治すことにこだわらない、吃音とのつき合い方』ナカニシヤ出版、2005年
伊藤伸二『知っていますか?どもりと向きあう一問一答』解放出版社、2004年
石隈利紀・伊藤伸二『やわらかに生きる―論理療法と吃音に学ぶ』金子書房、2005年
平木典子・伊藤伸二『話すことが苦手な人のアサーション―どもる人とのワークショップの記録』金子書房、2007年(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/10/25