「どうしてそんな話し方をするの?」と聞かれたとき、どう答え、どう説明するか、吃音親子サマーキャンプの話し合いのときによく出てくる話題です。病気、個性、障害、話し方の特徴など、子どもたちは、それぞれに考えて、意見を言います。
今回のテーマのように、「クセ」だという子もいました。
「これは僕のクセだから、理解してくれなくてもいいから、慣れてくれればいいよ」、見事な答えだと思います。
 それぞれの答えを尊重し、それを認めてもらえるために、まず、どもる自分を自分が認め、どもりながら日常生活を送ることが大切だと思います。その姿が、社会の理解にきっとつながることでしょう。

『児童心理』金子書房 2017年10月号 臨時増刊号 NO.1048

心理的背景をもつクセ解消のための援助と治療

あなたはあなたのままでいい あなたはひとりではない あなたには力がある
            吃音親子サマーキャンプの実践


 吃音親子サマーキャンプ
 吃音の当事者、ことばの教室の教師、言語聴覚士が一緒になって、吃音親子サマーキャンプを始めたのは、学童期・思春期を生きる子どもが、吃音を認めて生きる道筋に立ってほしかったからだ。毎年、140名ほどが参加し、今年28年目を迎える2泊3日の吃音親子サマーキャンプは、吃音についての話し合いと、演劇活動を通して自分の声やことばに向き合う、遊びの要素のほとんどないシンプルなものだ。しかし、キャンプを終えた子どもたちは、与えられた楽しさではなく、自分の課題に向き合い、達成した喜びを、楽しかったと表現する。90分と120分の哲学的対話が機能するのに次の要素がある。

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 同年代の子ども7人ほどのグループに、ことばの教室の教師や言語聴覚士などの専門家と、成人のどもる人が入る。対等の立場で話し合うが、時には質問し、整理し、深めるために、専門的な知識や、成人の体験が役立つ。
∧数回参加の子どもの役割
 全国各地から、さまざまな体験をしている子どもが集まる。初参加の子どもも、複数回参加の子どもが、深めてきた吃音についての考えに触れる。それにどもる人の体験など複数の体験がポリフォニー(多声性)として、響き合う。
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 初日の夜の90分の話し合いと、翌日の120分の話し合いの間に、吃音についてひとりで向き合い、体験を綴る90分の作文の時間がある。間を少し置いて自分で熟成させる時間のあるこの構造が、3日間という短い時間であっても、吃音について、つらい気持ちの分かち合い、クラスでどう対処しているかの情報の分かち合い、どもっていても大丈夫との新たな価値観の分かち合いを可能にする。
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 相手に向き合うからだと相手に届く声を耕す。劇の稽古と上演の活動を通して、どんなにどもってもひとりで舞台を支え、多くの人にどもっていることを受け入れられる経験は、吃音に対する意識の変化に結びつく。

 吃音とは何か
 流暢ではない話しことばの、どこからが吃音なのか、血液検査のような客観的な検査法はない。かなりどもる人から、周りが全く気づかない程度の人も含めて、本人が吃音だと意識していれば、吃音だ。当然、言語障害だと考える人も、クセだと考える人も出てくる。 「どうして、そんな話し方をするの?」
 こう、友達に聞かれたとき、どう説明すればいいか、吃音親子サマーキャンプで、子どもたちは考え、話し合いをする。
 「僕は病気だと思う。そのうち治ると思っている」
 「病気じゃないよ。病気なら治るだろうけど、全然治っていない」
 「友達にからかわれたとき、僕はどもるのは障害だから、気にしないでと言ったら、そうなんだと、それからは言われなくなった」
 「友達もいろいろと個性があるし、吃音も私の個性だから治らなくてもいい」
 「これは僕のクセだから、理解してくれなくてもいいから、慣れてくれればいいよ」
 小学6年になって、転校生からいじめにあって、5か月近く学校に行けなかった女子が、吃音親子サマーキャンプでの90分の話し合いの中で、自分の吃音について考え直し、キャンプが終わるとすぐに学校へ行き始めた。その子は、「吃音は病気か、障害か、個性か」の議論の中で、父親から言われた「吃音は立派な大人になるための肥料だ」を思い出し、苦戦しながらも学校へ行っている他の子どもとの話し合いを通じて、「どもりは私にとって大事なもので、私の特徴にすればいい」と、ひとつの答えを自ら出したのだ。

 おわりに
 障害や病気は、なんらかの困難や苦しみをもたらす。しかし、吃音は痛みなどの肉体的な苦痛はなく、どもることさえ認めれば、生活上の困難さもあまりなくなる。「クセ」としてとらえて、そのクセとの上手なつきあい方さえ学べば、吃音の問題は、その影響を減らすことができ、弱体化させることができる。 
 「吃音は神様が私たちを選んでプレゼントしてくれたものだと考えたらいいよ」
 ひとりのどもる子どものこのことばには、吃音への理解が少ない社会であっても、社会は敵ではなく、味方だと考え、自分と他者を大切にして誠実に日常生活を送ることが大切だとの思いが込められている。どもる自分を日常生活の中に委ねて、どもりながら生きる中でこそ、吃音の理解は広がり、吃音そのものも変化していく。
 吃音は治そうとするものではなく、そのままを生きるものなのだ。
<参考文献>
『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』加藤敏・八木剛平 金原出版 2009年
『どもる君へ いま伝えたいこと』伊藤伸二 解放出版社 2008年
『やわらかに生きる 論理療法と吃音に学ぶ』石隈利紀・伊藤伸二 金子書房 2005年


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/10/21