金子書房『児童心理』には、何度か依頼を受け、原稿を書きました。4回の連載を紹介してきましたが、その1年後に、おもしろい企画がありました。
2017年10月号の臨時増刊号で、「心理的背景をもつクセ解消のための援助と治療」がテーマでした。吃音をクセとしてとらえるのは、僕にとって、初めての経験でした。二回に分けて紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/10/19
2017年10月号の臨時増刊号で、「心理的背景をもつクセ解消のための援助と治療」がテーマでした。吃音をクセとしてとらえるのは、僕にとって、初めての経験でした。二回に分けて紹介します。
『児童心理』金子書房 2017年10月号 臨時増刊号 NO.1048
「特集・心理的背景をもつクセ解消のための援助と治療」
あなたはあなたのままでいい あなたはひとりではない あなたには力がある
吃音親子サマーキャンプの実践
はじめに
「心理的背景をもつクセ」としながらも、本号の特集のように吃音を「クセ」として取り上げるのには異論をもつ人もいるだろう。私も「クセ」の観点から吃音について書くのは初めての経験だ。しかし、心弾む作業ではある。なぜなら、吃音を「話しことばのクセ」と子どもがとらえることができ、社会も「吃音を治そう・改善しよう」の治療対象ではなく、「クセ」と受け止めてくれれば、どもる子どもも、どもる人もずいぶんと生きやすくなると考えるからだ。また、そうとらえることが吃音のひとつの現実的な対処だとも思う。
しかし、吃音をクセと受け止めるには、ひとりの力では難しい。どもることをからかわれたり、笑われたりする現実と、吃音は治した方がいいという社会の支配的なディスコース(言説)があるからだ。さらに、吃音を治そう・改善しようとする専門家も多い。その中で吃音をクセとしてとらえ、それとつきあっていく道筋に立つには、吃音を肯定的にとらえるどもる大人や親、教師、専門家と、子どもとの哲学的対話が不可欠だ。哲学的対話を活動の柱としてきた、吃音親子サマーキャンプの実践を紹介する。
吃音は治さなければならないものなのか
吃音は、言語病理学では言語障害のひとつであり、どもる状態を吃音症状として考え、治療、改善の対象とされてきた。しかし、100年以上の世界の吃音研究・臨床の歴史、現代の発展した医学・科学をもってしても、吃音の原因やどもるメカニズムは解明されていない。治療法も、「ゆっくり、そっと、やわらかく」発音する言語訓練以外ない。大人がその訓練で失敗してきただけでなく、子どもたちも、そんな訓練で、人工的で、ロボットのような話し方をするより、どもっている方がいいと言う。世界のトップクラスの北米のアイスターという吃音治療研究所でも、「ゆっくり話す」のスピードコントロール以外の方法はない。
一方、どもる人は、民族の違いを超えて人口の1%程度と言われ、紀元前のデモステネスの時代から現代まで、人間は悩みながらも吃音と共に生きてきた。どんなに吃音を否定しようとも、吃音と共に生きてきたことは誰も否定できない事実なのだ。私たちも、吃音を治すことにこだわらず、吃音とうまくつきあってきた。しかし、最近、発達障害者支援法の支援対象に吃音が入り、成人のどもる人の動きにも変化が出始めた。障害者手帳を取得して障害者枠で就職したい人、障害者年金で生活することを希望する人が現れ、ことばの教室を終了した高校生から、障害者手帳が欲しいと相談があったと、ことばの教室の教師が驚く。少し就職活動で苦戦すると、「障害者手帳が欲しい」という大学生も現れ始めた。
2013年、勤務する病院で吃音を説明しても理解してもらえないと、北海道の看護師が自ら死を選んだ。一方、地方自治体の消防学校で「そんなにどもっていて、市民の命が守れるのか」と強く叱責され、消防学校時代に吃音を治せと迫られた青年が、悩みながらも無事消防学校を卒業し、今は消防士として、立派に仕事をしている。
吃音そのものが問題なのではなく、吃音をネガティヴなものとしてとらえることで受ける影響が問題だとする考えは、1970年に、吃音氷山説としてすでに出されている。影響とは、どもることを隠し、話すことから逃げる行動や、吃音は劣った、恥ずかしいものとする考え方、そして、不安や恐れ、恥、罪悪感などの感情だ。吃音は、吃音症状の改善ではなく、吃音に対する受け止め方でその人の人生は大きく変わる。
どもる子どもにどのような青年・成人に育ってほしいか、子どもの将来を展望しての吃音の取り組みが必要になるのだ。
精神医療の世界の潮流−健康生成論
従来、精神医療、福祉の世界では、病気の人の弱点や劣っている負の側面に力点を置き、病気と対決し、診断し、治療する「疾病生成論」が支配していたが、今は、病気があっても健康に生きられることに着目し、その健康要因を解明しようとする「健康生成論」が注目されている。「健康因」として教育、医療、福祉で広がっているのがレジリエンスだ。
貧困、暴力など劣悪な環境で育った、698名の3分の2には脆弱性が見られたが、3分の1は、能力のある信頼できる成人になっていたと報告された。この人たちには、「心的外傷となる可能性のある苦難から生き延びる能力、回復力がある」として、弾力・回復・復元力を意味する「レジリエンス」が備わっていると表現した。
また、急性期の統合失調症の当事者、家族、友人、専門家が対等の立場で、「開かれた対話」を続けることで、入院や薬に頼らざるを得なかった精神疾患が回復していくとする、フィンランド発の「オープンダイアローグ」が世界的に注目されている。
対話の取り組みを中心においている、吃音親子サマーキャンプは、オープンダイアローグが実践されていると言えるだろう。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/10/19