スキャットマン・ジョンとの国際吃音連盟の「流暢に話す技術か、吃音受容か」の議論を出発にして始まった、1997年6月の日曜特別例会の前回の報告の続きです。今回が最終です。まとめて読み返していただければ、当日の特別例会の全容が分かっていただけると思います。大変興味深い話し合いになりましたので、長くなりましたが、紹介しました。
 このテーマは、古くて、また新しい、ずっと続くテーマだと思います。大阪吃音教室には常に新しい人が参加するわけですから、その話は済んだと考えず、粘り強く話し合っていきたいと考えています。また、最後の僕のまとめの話で、当時53歳だったということがわかります。現在77歳なので、ちょっとびっくりします。昔も今もほとんど変わらないことに、がっかりするのか、喜んでいいのか。吃音のおかげで、青年のような気持ちでいられ、行動も変わらないようです。吃音に感謝です。では、長くなりますが、今回で最後です。

参加者 僕なんか、よくどもるので、自分が人前でどもるどもらないに価値観を置くと職場で喋れなくなる。そんなものはこっちにおいといて、職場や日常生活で人と喋るようにしています。どもると恥ずかしいけど、それに耐えていくしかない、治す方法がないのだから。

伊藤 そうだよね。方法なんてないのに、あるのではないかと思わされているのが僕たちどもる人だよね。そろそろ諦めたらと思うのに、長いこと探し求めて生きてきた。しつこいよね。さっきどもりを忘れたいと話した人がいましたね。吃音を認めていても、忘れ去ることはできないし、僕なんか、決して忘れたくない。もったいないもの。だから吃音に全く悩んでいないのに、大阪吃音教室に参加し続けている。女優の木の実ナナさんも、田中角栄さんも忘れられないと言っていた。忘れてしまうのは不可能なんじゃないですかね。

参加者 小学校の教師になれたのは、吃音治療に通ってある程度楽に話せるようになったからだと強調する人がいます。100%よくなったとは言わないが自分が今あるのは治療のおかげだと言い切る人がいます。万人に効く治療法はないとは認めていても、治療は大事だと強調している。今日の参加者の中にも、以前はもっとひどくどもっていて、吃音矯正所に通ってだいぶんよくなった人、いますか。僕は吃音矯正所に行ってよかったとは思わないけれど、吃音矯正所のおかげで今の仕事に就けたなどと考えていますか。
 現実に吃音の治療を受けたことのある人、何人くらいおられますか?
 (10名ほどが手を挙げる)

参加者 それで、よくなった人もいると思いますが、よくなっていない人がほとんどじゃないかな。

伊藤 矯正所では、たくさんの人に聞いたけれど、全くいないですね。ところが、セルフヘルプグループの中で5年、10年と一所懸命活動してきた人の中には、ほんとに軽くなった人はいっぱいいるよ。僕自身も、東京正生学院に行った頃と今とは全然違うもの。治っているかと思うくらいに喋れるようになっている。でも、それは、吃音矯正所のおかげじゃない。彼女のおかげだもの。恋をして、どもっている伊藤さんが好きと言ってくれたから。(爆笑)それで、僕自身が自分を受け入れる気になったからで、そういうものがなかったら、なかなか難しいのかな。どもる仲間と出会えたこと、異性とつきあうことができたこと、これは、吃音矯正所に行ってよかったことだと思っている。行ってなかったらどうなってたか分からないなあ。これは、症状がよくなったというレベルの問題ではなく、いろいろな要素が影響していると思う。多くの人は症状としては変化しているんじゃない? その矯正所の方法がいいとか悪いとかの問題ではないように僕は思うんですが。

参加者 私は楽になりましたが、それは、大勢のどもる人に出会えたからだと思います。20代頃はすごく真剣に悩んで吃音矯正所に行った。どもるのは私ひとりだけかと思って行った。私の住む村には私ひとりだけだったから。また、女性は少ないと聞いていたのに、東京にはたくさんのどもる女性もいて安心しました。

参加者 吃音矯正所で吃音症状がよくなったというより、話すときに応用がきくようになったという感じがする。今までは、つまると緊張して頭の中がパニックになったけれど、最近はうまく逃げるとかごまかせるとか、幅が広がった。

参加者 さっきの質問ですけど、私は、大学4回生のときに大阪スピーチクリニックに行ったんです。そのとき、腹式呼吸と発声法を教えてもらいました。それまでは人前で喋るということがすごく苦手で、そういうことは全部パスして、よほどでない限り避けてきた。教育実習に行かなくてはいけなくなって、こりゃなんとかしなくてはと思って、クリニックに行ったんだけど、今になって思うと、そこで、人前で大きい声を出して喋るという訓練の場を初めて与えてもらったことが、自分の自信につながって、思っていたよりもうまく教育実習を乗り越えられた。私も人前でも喋れるわという自信になった。だから、吃音矯正所に行ったことによって、多少改善されたと思っています。こうしたら、教科書は読めるんだなあということが分かった。けれども、なんかのきっかけで、ふっとつまってしまう。やっぱり元に戻ってしまう。2回目からは応用がきかない。そこを打ち破るためには何か自分でまた考えないといけないなあと感じています。だから、行ってよかったか、と言えば、よかったと思う。でも、費用は高かった。大学生の身には高かったので、必死になってアルバイトをした。

伊藤 必死になってアルバイトしたことがよかったんじゃないですか。人前で話すことを避けてきたけれど、アルバイトでは話さなければならないから。僕は新聞配達をやめて、いろんなアルバイトを大学生の時したのは、とても大きかった。

参加種 たしかに費用は高かったけれど、村でどもるのは私ひとりで、おまけに、東京までいくんだからと、私はお餞別をもらって行きました。

参加者 行くときは、行けばなんとかなると思って行くんだよね。でも、現実はなかなか厳しい。初めて行ったとき、これだけたくさんどもる人がいるのかと思って、そのときはほっとした。どもっている人の顔を見て笑ったのは、初めての経験だった。自分も笑われているんだけど、気にならない。相手も笑う。笑われて何にも気にならなかったのは初めてだった。

伊藤 さきほどの教員の「治療を受けてよかった」ということも、きちんと分析していけば、治療の技術ではなくて、同じ悩みをもつ仲間と出会えたとか、これまで、ほとんど話すことから逃げてきたのが、治療場面では否応無しに話す場に出て行かざるを得なかったとか、治療機関で恋人ができたとか、違う要素があるかもしれないね。

参加者 どもっている他の人たちをたくさん知ることだけでもよかった。自分の周りにはどもる人がいなくて、自分だけだと思っているのと、いっぱいいるんだという世界を知るだけでも意義があると思う。セルフヘルプグループの新聞記事なんて小さいでしょ。吃音矯正所なんて商売だから宣伝が大きい。すぐ存在を知ることができる。私は大阪吃音教室の存在を長いこと知らなかった。

参加者 大阪吃音教室が吃音受容を目指す会だということは、来る数年前から知っていた。その頃はまだ吃音は治ると思っていたから来なかった。吃音矯正所に何カ所か行って、吃音は治らないのかと思ったときに、改めて新聞で見て、行ってみようと思って参加した。
 受容ということばそのものは分かるけれど、どうなったら受容になるのかが分からない。職場での応対や電話などでどもっていたら具合が悪いので、そういうときに上手にことばが出るようにしなければいけないと思う。その方法は、個人個人違うので自分でみつけないといけないということが分かってきた。吃音矯正所へ行ったら少しは症状が改善されたが、少したつと当初の状態に戻ってしまう。その中でも、こういう精神状態でこういう喋り方をしていたらよかったんだなということを思い出してやっている。この場で上手に喋れる人を参考にしていきたい。
 大阪吃音教室に入ったからといって、こういう方法がいいということを教えてくれる場ではない。自分自身で解決していかなければいけないと思っているので、この場が傷のなめ合い、ぬるま湯だとは全然思わない。そう思う人は世話人になってこの場を変えていくとか、そうじゃなかったらこの場が必要がない人だろう。結局は、自分自身がこの場を利用する、この場で自分自身が何かをつかんでいく、そういうものだと考えている。

伊藤 自分にとって受容とは何か分からないとおっしゃったけれど、今日は伴侶と参加されている。これ大変なことだと思いませんか? これで十分ですよ。自分の連れ合いに絶対自分のどもりのことを話せない、喋りたくないという人はいっぱいいます。結婚して
20年たつが、吃音で悩んでいることは一切言えなかったという人は、かなりいるんですよ。自分のどもりのことを妻に話し、なおかつこの場に連れてくるなんてすごいことですよ。

参加者 一緒に来てくれるおつれあいもすばらしいですよね。

参加者の妻 本人が言うほど私自身は気にならない。落ち着いてゆっくりと、時間はいっぱいあるんだし、ゆっくり待ってあげればいいだけ。初めて吃音の悩みを聞いたときは、傷ついた者には傷ついた者にしか分からない痛みがあるように、私には一生分からないだろうなあと思ったんです。でも、そういう気持ちは分かってあげる努力はしないといけないんだろうなと思います。日常の家庭生活をする分には普通なので、本人が気にしているだけかなと私は客観的に見て思います。

参加者 私は吃音を乗り越えていくのは図太さやと思います。電話をかける回数が、最近すごく多くなってきた。生活の中でも、仕事の中でも、かけざるを得なくなったんです。前までだったら、どうしようどうしようと思うことが多かったけど、最近はしゃあないやんかと開き直って、どんどんかけるようにしています。

参加者 私はまだ大学生なので、どもってもどんどん話し、攻撃的に、前向きに、その中に謙虚さももちながら生きていきたい。

参加者 私にとっての受容かなと思ったのは、「どもりは全人格を支配するものではない」ということばを大阪吃音教室で聞いた時で、どもりに対する考え方がふっきれた。だから、そのとき以来、私は吃音であっても、自分に対する自信ができた。簡単に言えば、自分を好きになるというか、自己肯定的になった。それまでは、吃音が自分のすべてを支配していた。何をしてもだめ、勉強してもだめ、どもっていたら結婚して子どもなんて作ってはだめ、と考えていた。そういうものがぷつんと切れたのが、私にとって受容だったと思う。実際社会人になり、結婚もして子どももでき、生活も充実している。

参加者 僕は結構重度のどもりなんですけど、小さいころから悩んでこなかった。受容、受容と言われてもピンとはこない。吃音に対しては受容できているけど、吃音と関係のないところでの行動に対しては受容ができていない。例えば、私は研究職ですが、失敗しないように、失敗しないようにと考えたら、過去のデータの真似をしたり、応用したりで、自分の考えがなくなる。新しいアイデアがないと言われた。小さいころから、失敗しないようにと思って、冒険することがなかったからだと思う。

参加者 吃音は、私にとって、唯一ではないけれども、なんとかしたいもののひとつだった。ところが、それはなんとかならない。だから、どもり以外のことでは負けたくないという気持ちが強かった。小学校、中学校時代、ある意味、気負って生きてきたように思う。その気負いがとれてきたのは、なぜなのかよく分からないけど、気負いがとれて楽になってきたときに、私らしさが出てきたように思う。だから、私は教師として子どもたちと接していて、失敗してもいいんだよ、できるかどうかわからないけれどやってみようよ、という楽な気持ちで過ごしてもらいたいと思っています。
 どもる子どもだけでなく、どの子もほっとできるような教室、安心していることができる教室にしたいなあと思っている。私がセルフヘルプグループに来るのは、いろんな人と出会うことで、幅広い価値観に出会うことができるから。そして、それは、結果として、自分の生活や受け持っている子どもたちに活かせると思うから。自分自身のことだけ考えれば、セルフヘルプグループがなくても、吃音を認めながら生きていけると思うんです。それでも大阪吃音教室に魅かれるのは、そういうつながりがあるからだと思う。受容ということばが一人歩きするのではなくて、自分の生活の中で実態のあるものとしていきいきと生きている、それを実感できる、それが私にとっての受容かなと思う。

佐藤 僕の話を出発にして、いろんな話が聞けて、参考になりましたが、こういうことって話を聞けば聞くほど、分からなくなってきました。僕は、受容に関してもなかなかできないような気がします。5年、10年レベルで分かってくるものかなと思う。

伊藤 佐藤さんが、今後、仕事を通していろんな人と出会って、悩んで、その中で自分なりに考えたことが自分のものになっていくんだろうね。だから、受容ということがあるんだということを知っていることだけでもいいと思う。

佐藤 『スタタリング・ナウ』の選択と自己責任という文の中で、吃音受容というのを知っていて治療に取り組むのと、全然知らなくて取り組むのとは大違いだというのが印象に残っている。今は、その程度でいいかな。

伊藤 最後になりましたが、自己受容というのは、本当に難しいことだけど、しつこくしつこく話し合って何か探れればなあと思う。
 この前、河合塾に教育講演で行ったとき、資料として配った新聞記事に、僕の年齢が、53歳と書いてあった。それを見た学生たちが、「53歳にはとても見えない。うちの父親が50歳そこそこやけど、全然覇気がないというか、目に輝きがない。何もすることがないと言っているけれど、伊藤さんにはどもりがあって、キャンプをしたり講演したりできるから羨ましい」と言ってくれた。
 僕らの年代になると、できるだけ何もしないで、穏便に、日曜日にはごろごろして、ということになってくるのだけれど、それではつまらない。やっぱり新しい出会いがあり、新しい刺激があり、セルフヘルプグループならではの刺激を受けていたい。それができることがうれしい。そういうことが、僕にとっての自己受容かなという気がします。長い時間、お疲れさまでした。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/31