自分を好きになる
〜パット・パルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップ〜
今日、紹介する基本的アサーション権。そのいくつかは、生活の中で知っていたことであり、使ってもいたけれど、権利として意識していたかというと、そうではなかったかもしれません。権利として意識すると、自分のこれまでの言動に確信がもてるようになります。アサーションはすべての人のためのものですが、吃音に悩んできた僕たちには、とてもありがたいものだということが、一つ一つをかみしめながら、自分の経験に照らして読んでいくと、うなずけると思います。
今は「どもる人」を使い、「吃音者」は使いませんが、昔、この「吃音者」に対する言葉として「正音者」がありました。どもらない人が「正音者」で、「正しい言葉」の人です。どもる僕たちは、正しくない、間違った言葉の人になり、とても嫌いな言葉でした。
吃音に悩んでいると、完全主義に陥り、どもることを失敗と受け止め、失敗することに対する不安や恐れを持ちます。「失敗する権利」や「素直に傷つく権利」は、「弱さの肯定」でもあります。素直に傷ついて、悩んでもいい。弱い自分も自覚して、基本的に他者を信頼して生きることができれば、僕たちもずいぶん生きやすかったのではないかと思います。僕も、21歳の夏に、吃音の悩みから解放される道筋に立ったとき、自分を表現できるようになりました。それにはまず、悩みや自分の気持ちを表現し、それを受け止められる経験が出発になるのだと思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/21
〜パット・パルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップ〜
今日、紹介する基本的アサーション権。そのいくつかは、生活の中で知っていたことであり、使ってもいたけれど、権利として意識していたかというと、そうではなかったかもしれません。権利として意識すると、自分のこれまでの言動に確信がもてるようになります。アサーションはすべての人のためのものですが、吃音に悩んできた僕たちには、とてもありがたいものだということが、一つ一つをかみしめながら、自分の経験に照らして読んでいくと、うなずけると思います。
今は「どもる人」を使い、「吃音者」は使いませんが、昔、この「吃音者」に対する言葉として「正音者」がありました。どもらない人が「正音者」で、「正しい言葉」の人です。どもる僕たちは、正しくない、間違った言葉の人になり、とても嫌いな言葉でした。
吃音に悩んでいると、完全主義に陥り、どもることを失敗と受け止め、失敗することに対する不安や恐れを持ちます。「失敗する権利」や「素直に傷つく権利」は、「弱さの肯定」でもあります。素直に傷ついて、悩んでもいい。弱い自分も自覚して、基本的に他者を信頼して生きることができれば、僕たちもずいぶん生きやすかったのではないかと思います。僕も、21歳の夏に、吃音の悩みから解放される道筋に立ったとき、自分を表現できるようになりました。それにはまず、悩みや自分の気持ちを表現し、それを受け止められる経験が出発になるのだと思います。
アサーティブ・トレーング
報告 伊藤照良
基本的アサーション権
次に挙げる権利は、世界中の全ての人のための権利です。
1 自分が尊敬を持って扱われる権利
個人の権利の最も基本的なもの。自分が尊敬に値する人間だということを信じなければ人からも尊敬をもって扱われない。自分が自分を大切にする権利をいう。
2 自分の感情と意見を持ち、それを表明する権利
自分がどう感じるとしてもそれは自分の権利である。ただし自分の感情を表現する時はそれに責任を持たなければならない。
3 ひとりで行動する権利
一緒に行動することを要求されても、時にはひとりで過ごすことができる。人と違っても、自分らしく人生を送ってもいい。
4 成功する権利
人より優れていたり、上手にできる時には、周囲を気にすることなく、成功してもよい。
5 自説に耳を傾けてもらい、まじめに受け取ってもらうことを要求する権利
意見を言いたい時や、自分の見解を大切にしてもらいたい時には、耳を傾けてもらえる。
6 支払っただけのものを得る権利
支払った分に見合うだけのサービスや物を得るのは当然の権利だ。
7 申し訳ないと思わずにノーと言える権利
ノーを言うことが利己的だとか、間違っているとか思われても、ノーと言うことができる。(ただし、その結果、相手からノーと言われる可能性も生じる)
8 失敗をする権利
人間は完壁ではない。過ちをしたら、その結果をひきうければよい。これは「人間である権利」とも言われる。
9 自分の意見を主張しないでいる権利
アサーティブな言動ができるようになったら、時間やエネルギーに値しなかったり、危険性が高い時にはアサーションしないことも選べる。
10 意見を変える権利
自説が間違っていると気がついた時は、すみやかに意見を変えてもよい。
11 時には感情的になってよい権利
時には感情をそのままぶつけることも許される。
12 素直に傷つく権利
傷ついている自分を強がらずに、そのまま認めて表現してよい。
ルーズベルト大統領夫人がこの基本的権利を作りました。皆さんにとって初めて知る新しい権利ですか?
全ての人は尊敬を持って扱われる権利があります。これまではきっと自分でなく他の人を尊敬をもって接するよう教えられてきたことでしょう。でも、この基本的アサーション権の全ては、皆さんが自分に与えることのできる権利なのです。
私たちは間違いをする権利も持っています。生徒がする間違いに対しても褒美を上げています。
私たちは間違いをしないように育てられてきました。赤ちゃんがどのように学習するか考えてみましょう。床をはう、ぶつかる、痛い目をしながら学習していきますね。間違いながらです。自分に優しくなって間違いを許せるようになって下さい。私自身、間違いをすると自分を祝福します。間違えることで成長できるからです。
自分の権利は他人の権利を奪うことではありません。アメリカでは「あなたも得たい物を得なさい、私も得ます。両方がハッピーになる」という考え方があります。
私たちが自分に対してすることについて、裁くということがあります。これは本当に自分らしくいられることの妨げになります。人が自分を裁いているような気持ちになると、自己表現することができなくなります。誰でもみんないい点があり、価値があるのです。自分で自分を裁くことをしないようになれば、他の人が自分を裁いているように思わなくなります。相手が自分のいい点について話をしているのを聞いて気持ちが良かったという経験があるでしょう。お互いにいい点、素晴らしい点を伝えあうことは大事なことです。
私は昔、完壁主義者で、全て問題は解決しなければならないと考えていました。今は、自分の間違いを認められるようになりました。完全であることは、人間らしくあることと比べれば、さほど重要ではありません。完全であることは、私を含めてその人の良さを殺してしまいます。完壁であることは自分を打ちのめしてしまうことになるのです。ここでやろうとしていることは、自分を愛し、自分に親切になろうとしていることです。
もし私たちが、自分を裁いたり、評価すれば、自分の大事な部分を失うことになります。自分の大切な部分がなくなってしまいます。
このアサーションというのは、新しい概念なのです。特に障害を持った子どもに接する時には必要です。障害があったとしても、その子には能力があり、可能性があり、何かを生み出す力があります。
今日は、日本の方たちを前にしていますが、日本人の両親は子どもに対して非常に厳しいという研究があります。子どもを育てる時「あなたは本当に素晴らしい」と絶えず、優しく言って接していれば、本当に素晴らしい子に育ちます。子どもに対しては愛情をもっていたわり、優しさを持って接すればいいのです。
私たちは「あなたは本当にいいことをしている」と言われれば、学習のスピードが早くなります。「あなたは間違っている」と言われ続けると学習のスピードは遅くなってしまいます。(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/21