『なってみる学び−演劇的手法で変わる授業と学校』(渡辺貴裕・東京学芸大学大学院准教授、藤原由香里・八幡市立美濃山小学校教諭著・時事通信社)
渡辺貴裕さんから送っていただいたご著書『なってみる学び−演劇的手法で変わる授業と学校』の感想を、と思って書いてきましたが、どんどん広がっていっているようです。 昨日は、かなり前に書いたものですが、国語教育について、希望と期待をこめて書いたものを紹介しました。僕は、何でも、吃音とからめて考えるのですが、国語教育がどもる子どもにとって楽しく充実したものであれば、ことばの教室は必要ないのではないかと思ったときもありました。
しかし、今は、ことばの教室こそが、日本の教育を変えていく原動力になると思っています。子どもを取り巻く担任やことばの教室の担当者の意識やあり方、それが学校という場を作る大きな力になります。寄り道ついでに、ニュースレターの巻頭文として1965年に書いた文章を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/25
渡辺貴裕さんから送っていただいたご著書『なってみる学び−演劇的手法で変わる授業と学校』の感想を、と思って書いてきましたが、どんどん広がっていっているようです。 昨日は、かなり前に書いたものですが、国語教育について、希望と期待をこめて書いたものを紹介しました。僕は、何でも、吃音とからめて考えるのですが、国語教育がどもる子どもにとって楽しく充実したものであれば、ことばの教室は必要ないのではないかと思ったときもありました。
しかし、今は、ことばの教室こそが、日本の教育を変えていく原動力になると思っています。子どもを取り巻く担任やことばの教室の担当者の意識やあり方、それが学校という場を作る大きな力になります。寄り道ついでに、ニュースレターの巻頭文として1965年に書いた文章を紹介します。
ことばの教室への応援歌
伊藤伸二
かつて私は、ことどもる子どもの指導に限ってのことだが、ことばの教室不要論者だった。
ひとりひとりの子どもを大事にし、国語教育で《読む・話す・聞く・書く》を適切に指導できる、学級担任であれば、どもる子どもはことばの教室に通う必要はないのではないか。また、子どもが悩んだ時、養護教諭も、カウンセリングマインドで適切に対応できれば、子どものよい味方になってくれるのではないか。個人を大事にする担任と、国語教育と、養護教諭に期待していたのだ。
20年前、大阪教育大学・言語障害児教育教員養成課程に在職していた頃、ことばの教室の教師を養成する立場にありながら、そう考えていた。
私自身が、担任教師から不当な扱いを受け、それが吃音に悩む原因となっただけに、担任教師にどもる子どもの味方になってほしいという願望と期待がより強かったのだと思う。
しかし、それはそうたやすく実現できるものではなかった。家庭の教育力は落ち、子どもを取り巻く社会状況は年々悪化している。教育現場でも、個人が大事にされているとは言い難い。
『小学生の3人に1人は自分が嫌い』
大阪市内の小学生5・6年生男女1,558人を対象にして出された自己意識調査の結果だ。従来、諸外国に比べ、日本の子どもは自己評価が低いと言われてきたが、それを裏付けるような結果だ。(1996年3月 幼少年教育研究シンポジウム・大阪)
自分が嫌いだという子どもがこれほど多いのは、現在の学校教育システムが子どもの自己概念を破壊し、無力化させているからだとはいえないか。
この現在の普通学級の現状の中で、私が求めたどもる子どもへの対処は期待できるだろうか。私は今、かつての、「ことばの教室不要論者」から大きく変わった。ことばの教室こそ、日本の教育を変える突破口になるのではないかとさえ思う。
ことばの教室は、「自分が好きだ」という子どもを育てる場だと考えているからだ。
不登校やいじめの問題への対処としての学校カウンセラー制度は、まだ試験的に一部の学校に導入されたにすぎない。しかし、ことばの教室は、全国各地にかなりの数設置されている。
ことばの教室では、45分間、ひとりの教師がひとりの子どもに、個人を大事にしてかかわる。こんなぜいたくなことはない。どもる子どもは現在の日本の学校教育の中で、恵まれた存在だといえる。
吃音の症状を治すのではなく、その子どもの持っている悩みに耳を傾け、その子どもの個性を尊重して、「どもっていても自分が好きだ」と言える子どもに育てることは、なんとやりがいのある仕事ではないだろうか。
しかし、どもる子どもへのこの指導は、ことばの教室だけでできることではない。学級担任の子どもへの適切な対応が不可欠である。学級担任が、子どもに適切に対応できるようになるには、ことばの教室からの、学級担任への積極的な関わりと連携が必要になる。一般的に学級担任は、吃音について無知であり、どのように対応すればよいか戸惑っているのが現状だからだ。
大津市のどもる子どもが、普通学級の教師にどのようにとらえられ、対処されてきたかの調査でも、調査をした木全清友さんは、普通学級の担任教師への啓蒙こそが大切だとしめくくっている。
ひとりのどもる子どもを周りが大事にしていく、普通学級をまきこんでの取り組みで、どもる子どもがどんどん「自分が好き」になっていけば、その成果は、ひとりどもる子どものものだけでなく、そのクラスの他の子どもにも影響していくことになるだろう。
「自分が嫌いだ」という他の子どもへの対処にも結びつくはずであり、ことばの教室は、日本の教育を根本から変えていく可能性を秘めている。
この取り組みは、単に吃音症状の消失や改善を目指す指導より、はるかになすべきことは多い。ことばの教室で何ができるか、一緒に考え、実践をしていきたい。
(1965年6月15日)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/25