内須川先生とは、プライベートでもおつきあいがありました。年に一度、旅行もしました。その旅行を、僕たちは、「もつれ会」と呼んでいました。チャールズ・ヴァン・ライパーに、「吃音者宣言についてどう思うか」と尋ねたとき、チャールズ・ヴァン・ライパーは、「舌がもつれたきょうだいたちへ」というタイトルの文章を書いて、僕たちに送ってくれました。それで、そのタイトルからとって「もつれ会」としたのです。一緒に旅行する仲間の関係がいい感じにもつれているという説もありますが。
内須川先生退官の記念講演の続きです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/10
内須川先生退官の記念講演の続きです。
吃音吃症状について
しかし、症状が非常に重い場合は、そのまま放っておくのは良くありません。吃音の場合、いろんな症状がありますが、困る症状はつまる症状(ブロック)です。言おうとすればするほど、出てこない吃音症状をたくさん持っている場合には、そのまま放っておいても自然には良くなりません。「ぼ・ぼ・僕ね」という形からもっと進むと「ぼーくね」と伸ばさないと言えなくなってしまいます。一番具合の悪いのは、「ウッ!」とつまってしまって、ブロックになってしまい、そのまま強行して話そうとすることです。そうなるとどもりが悪くなってしまいます。
だから、症状的には、軽くどもるのは大変結構で、軽くどもる状態で、前向きにどんどん話すような子どもは、すぐ治ってしまうことが多いです。自然治癒のタイプはたいていは、人間関係の過敏さは少なく、タフネスがあり、悪いことばでいうと図々しいんです。だから図々しい子どもを作ることが大事だと思います。
私は吃音の成人の方と長く接していますが、図々しい吃音の方にはなかなかお目にかかれません。伊藤伸二さんの仲間の中にはかなり図々しくなっている方もおり、人に言いにくいことをずばりと言うし、人の嫌がることを言うし、どもればみんなワーッと笑うしね。だいたい、どもったら笑っちゃいけないと思ってるんですが、そうじゃない。笑われたからといって、吃音のことを気にしていたら駄目なんです。自分もワーッと笑えるような子どもにすれば、自然治癒するんです。それができないから、自然治癒にはならないのです。ことばだけを一生懸命いじくりまわして、何か良い方法はないかということになってしまいます。
ブロック症状がどうしても抜けないどもりに、もっと楽にしゃべることができるように指導することは、意味があると思います。しかし、子どもが楽にどもるようになったら、それでもうおしまいではなくて、問題は内面的なものを考えなくてはなりません。これが私の基本的な考え方です。
U仮説というのは、吃音を内面と外面の両面から考えています。外面的条件というのは、そういう条件が加わるとどんどん良くなる条件です。これが積極的改善条件で、一つは、ブロックまでいかない軽くどもるような状態で、何でも話せるおしゃべりを、人前でどんどんしていくことが挙げられます。これを積極的に治すといいます。
吃音問題は、時間は長くかかるけれども、間違わない指導をすればどんどん悪くなるということはないと思っています。
成人の吃音
しかし、成人の問題に関しては、伊藤さんたちが言う通り、治療の問題ではない、こどばを良くするという問題をはるかに超越している。吃音をどのように自分で受け止めるのかという吃音観・価値観の問題だと思います。少なくともこれまで、吃音は治さないと駄目なんだ、治さない限り全部マイナスしかないという考えの人が、治すことに一生懸命になってきました。しかし、果たして治すことはできるのか、つまり、現象はまた戻ってきます。出たり入ったりしています。完全に治すなんてことは有り得ない、これは夢で、そんなことは有り得ないことです。ことばが正常な人間でも、完全なスピーチができる人なんていないんだから。
だから問題は、ことばではないんです。どもってもよいじゃないか、どもるから言いたいことが言えないのか、どもりながらでも言いたいことを言い切ればよいじゃないか。問題は途中で止めてしまうことです。だから、心の問題を前向きにしていけば、症状の問題ではないのです。症状を取り去ろうと考えているうちは駄目なんです。
私はこのように考えています。成人については、核心的なことに関する研究不足ですが、これからだんだん成人の領域に入ろうと思っています。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/10