鴻上尚史さんが、僕たちの吃音ショートコースの講師として来てくださったことは、奇跡みたいなことだったような気がしています。忙しい人であり、吃音とは何の接点もなく、無縁の人でした。ただ、ラッキーだったのは、初めて出会ったとき、鴻上さんがイギリスから帰国した直後だったということでした。英語圏で強烈なマイノリティ感覚を味わった経験があっただけに、僕たちの吃音のことを、我がこととしてとらえてくださったのでしょう。その出会いに、今も感謝しています。


 
ドンキホーテのピアス (397) 『週刊SPA!』2002 11/26

 英語が話せなかった僕が経験した強烈な感覚

 先週の続き、「吃音(どもり)」についてです。
 そもそも、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さんと出会ったのは、僕がイギリスから帰ったすぐ後のことでした。伊藤さんから、"どもることの苦しさ"をいろいろとお聞きしているうちに、なんだか僕は「まてよ、この感覚を俺は知っているぞ」という気持ちになりました。
 自己紹介の時に笑われる話。うまく言葉が出なくて、自分の気持ちとかけ離れた言葉をとりあえず言ってお茶をにごす話。分かっているんだけど、言葉が出ないから、「分かりません」と授業中に答える話。そして、言葉に詰まったり言葉が流暢に出ないことそれだけで、相手から、知能や人格を一段低く見られてしまう話。
 これらは、すべて、「どもり」に関する話でしたが、僕には、海外で「英語」を話す時に感じられること、そのものに思えたのです。
 拙い英語で笑われる感覚。「ワクワクした」と言いたいのに、「ワクワク」という英語が分からないので、「アイム・ハッピー」と、気持ちとは別の言い方を選ばないといけない感覚。
 それは、「カ行」がどもってしまう人が、人前で「くやしい」と言えないので「つらい」と言い換える感覚そのものじゃないかと思ったのです。
 そうすると、「どもりは絶対に治る」という考え方は、「日本人でも、ネイティブと同じ英語を話せるようになる」と思うことと同じで、もちろんそうなるにこしたことはないんですが、もしそうならなかった時に、「英語さえなんとかなったら自分の人生は変わるのに」と思ってしまう感覚は、「どもりさえ治れば、人生は変わるのに」と思う感覚と同じだと僕は思ったのです。
 海外では、こう思い続けて、引っ込んでいる日本人は多いです。「英語さえ話せば、人生は変わるのに。でも、今、ネイティブみたいに話せないから、家にいるしかないんだ」と思って、"暗い"人生を送っている人たちです。
 暗黒面の力は強く、こう思っている人は、こう思っている人を引き寄せます。
 ロンドンのチャイナ・タウン近くのパブで出会った日本人は、3年近くロンドンにいるのに、ほとんど英語が話せない人でした。
 ただ、日本人を見つけて話しかけて、「いやあ、英語さえうまく話せたら、いいのにねえ」と言っていました。そして、いつの間にか、同じことを言う日本人が集まっていました。
 その"暗黒の力"は強烈で、思わず、「そうだなあ。日本語でいいじゃん。英語を話そうとして、バカにされたり笑われたりするぐらいなら、日本人とだけ話して、あとはじっと黙っていればいいじゃん」と思ってしまうぐらいのエネルギーでした。
 暗黒の力を持つ人と出会った時に、唯一できることは、逃げることだけです。相手のその暗黒面をなんとかしようなんて、間違っても思ってはダメです。それは、ムダです。だから、僕は、そのパブにさえ行かなくなりました。
 というような話を、合宿に集まった"どもる人達"にしました。そして、英語に苦しんだ僕が、なんとか生き延びるために見つけ出したテクニックを話しました。
 例えば、会話は内容ではなくリズムと判断して、タイミングがずれた長文のナイスな答えより、「そうそう」とか「うん」とかの短い答えでリズムを大切にすべきだという話。それは、たぶん、"どもる場合"も同じで、単語でもいいから、短くリズムの中で生きる方が重要だと言いました。

 ネガティブな思考は周囲を引き寄せる

 また、ロンドンの演劇学校では、昼休みに、いつもサンドイッチを買って、中庭でみんなで昼食を取っていたのですが、そういう時は、最初のうちに、発言するようにしました。
「このサンドイッチ、美味しいね」とか「今日はいい天気だね」とか、単純な言葉です。ですが、最初に発言しておけば、あと何十分、発言しなくても、「あいつは、いつも黙ってる」と思われなくてすみます。後になればなるほど、事態は複雑になり、英語の聞き取り能力が試されてしまうのです。最初なら、内容は複雑になっていなくて、短い言葉でも大丈夫なのです。
 たぶん、"どもる"場合も、最初のうちに、短く「そうね」とか「美味しい」とか言っておけば、"仲間"と思われる可能性が高いと思います。
 そして、最も大切なことは、ユーモア。ウイットに富んだやり取りをストックすることで、硬直しがちな集団との関係を溶かすことができました。同時にそれは、自分自身の怯えがちな気持ちも溶かします。「英語は話せる?」と聞かれて、「I hope so」と答えることは、その一例なのです。
 こういう英語の話をすると、「それは、"サバイバル・イングリッシュ"ですね。それでは英語の力は伸びませんよ」と、英語の達人の人から言われるのですが、まさに、僕は、"生き延びる英語"の話をしているのです。英語の勉強は、あとで、ゆっくり辞書引いて、CDを聞きなおせばいいのです。
 僕は、生まれて初めて"マイノリティーであること"を強烈に自覚しました。
 ぶさいく村に生まれたと、エッセーに書いていますが、それは、コンプレックスになっても、"マイノリティー感覚"とは違っていました。たぶん、あちこちに"ぶさいく村"出身者が多かったからでしょう。
 が、英語に苦しんだ時には、本当に強烈な"マイノリティー感覚"を持ちました。が、今、"マイノリティー感覚"を経験したことは、じつによかったと思ってます。
この話、さらに続きます。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/3