吃音ショートコースで2日間のワークショップをした下さった、劇作家・演出家の鴻上尚史さん。鴻上さんが、連載中の『週刊SPA!』で連続4回にわたり、吃音ショートコースに参加して感じたり考えたりしたことを書いて下さいました。鴻上さんと出版社の許可を得て日本吃音臨床研究会の『スタタリング・ナウ』で紹介したものです。鴻上さんのこのエッセイは、私たちにとって大きな応援歌のひとつとなりました。
『スタタリング・ナウ』にはこう書かれていますが、僕たちだけでなく、吃音に関わるすべての人への応援歌になると思います。4回にわたって紹介します。
『週刊SPA!』2002 11/19 11/26 12/3 12/10扶桑社
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/2
『スタタリング・ナウ』にはこう書かれていますが、僕たちだけでなく、吃音に関わるすべての人への応援歌になると思います。4回にわたって紹介します。
『週刊SPA!』2002 11/19 11/26 12/3 12/10扶桑社
ドンキホーテのピアス (396)
吃音のワークショップに参加してきた
来年1月に新国立劇場でする芝居『ピルグリム』の台本を、ふうふう言いながら書いています。ふうふう言っているのは、いろんな仕事が合間に入っていて、なかなか、書く時間が取れないからです。
で、そんな中、日本吃音臨床研究会という所が主催した"吃音ショートコース"というものに呼ばれて、一泊二日でワークショップをしてきました。
日本吃音臨床研究会と代表の伊藤伸二さんについては、以前、この欄で書いたことがあります。
伊藤さんは、自分自身を"どもり"と呼んでいて、「吃音と言う言い方ではなく、どもりはちゃんと、どもりと呼ぶべきです」とおっしゃっています。
日本吃音臨床研究会がユニークなのは、この"どもり"を治したり、改善することを目指すのではなく、"どもりと上手につき合う"ということを目指している点です。
部外者の僕がうまく説明することは難しいのですが、これは、代表の伊藤さんが、十何年にわたって"どもり"の治療を受け続け、しかし、なんの改善も見られなかった時に、「どもる自分を受け入れよう」と決めた所から始まります。
伊藤さんによると、"どもり"の根本的な治療はないそうです。「もちろん、治れば、それにこしたことはないのですが、残念ながら、治療の意味はありません。そもそも、"どもり"の根本的な原因が分かってないのですから、根本的な治療があるわけがないのです。治療を受けている中で、治ることがあっても、それが治療の効果かどうかは、分からないのです」と、伊藤さんはおっしゃいます。
「それより、問題なのは、"どもり"の治療を受けるたびに、自分はどもりなんだ、と突きつけられる気持ちになることです。それが、マイナスの自分を作り続けます。すべてがうまくいかないのは、自分のどもりのせいだと思うようになるのです。けれど、じゃあ、どもりが治ったら、人生、すべてうまくいくのか?と私は思うのです。そんなことはないだろう。そもそも、そんな日はまず来ないのに、効かない治療を受け続けるより、どもる自分を受け入れ、そこから始めることの方が、はるかに大切だと私は言いたいのです」と、伊藤さんは、どもりながらおっしゃいます。
「だから、今までは、どもる自分を受け入れるというようなワークショップをしていたのですが、鴻上さんに、もっと攻める姿勢も表現を磨くワークショップをしていただきたいんです」と言われて、それじゃあ、おじゃましますと、答えたのです。
今回、僕は僕なりにいろんな発見をしました。一番問題なのは、"どもり"は、"隠された障害"だということでしょう。
隠された障害になる。それが一番問題だ
ワークショップの後、ビール飲み飲み、いろんなどもりの人と話してみると、ほとんどの人が、「自己紹介」の苦しさを話します。
自分の順番が来て、「ちゃんと自分の名前をどもらずに言えるだろうか?」という恐怖にとらわれると言うのです。
そして、多くの人が、自己紹介の途中でどもり、笑われたと語ります。
「自己紹介」は逃げようがなく、また、自分の名前は絶対に言わなければいけない"言葉"なので、よけいに恐怖が増し、そして、どもるのだそうです。
中学や高校、そして、大学の教室やサークルで、それは起こります。
最初の一音が出なくて、苦しみ、顔が真っ赤になり、体をねじっているうちに、どもらない人に笑われます。どもらない人は、どもりの人になかなか出会わないから、そういう風景に慣れていなくて、思わず、笑うのです。
そして、どもる人は、それが深い傷となって、自己紹介をするような場所には行かなくなると話は続きます。
そして、"どもり"は隠された障害になります。自己紹介する場所にさえ行かなければ、傷つくことはないという結論に達するからです。
自己紹介しない場所の場合は、発言さえしなければ、笑われることはない、と考えるようになります。
そして、ますます、どもらない人は、どもる人と出会うことがなくなり、まれにどもる風景にあって、思わず、笑ってしまうのです。
失礼な警えになるかもしれませんが、この話を聞きながら、僕は、"顔に障害のある人たち"のことを思っていました。体に障害があって車椅子に乗っている人は、ようやく、街でもあちこちで見かけるようになりました。この国全体が、そういう人達が外出しやすい街を作る必要を意識し始めたのだと思います。
が、顔に障害があって、皮膚の色が違っていたり、顔の形が歪んでいる人は、まだまだ、外出を控えがちになります。
そして、悪循環が続きます。ふだん、そういう人を見ないから、たまに見ると、驚きます。思わず、声を上げたり、指で指したりする"心ない人"も出てきます。そして、そういう障害を持った人は、ますます、外出を控え、"隠された障害"となるのです。
伊藤さんは、「どもってもいいから、話そう」と言います。かつて受けた治療は「カーレーラーイースーを一く一だ一さ一い一」というような、とにかく、ゆっくりと言葉を伸ばして言う治療だったそうです。ゆっくり言えば、どもることはないのですが、そう言いながら、伊藤さんは、「この言い方は不自然だ」と思っていたそうです。それなら、「カ、カ、カ、カ、カカレーライス!」とどもって注文した方が、よっぽど、ましだと言うのです。
この話、続きます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/2