時代が、セルフヘルプグループを、そして伊藤伸二を後押ししてくれたと書きました。僕は、偶然の連続、幸運に恵まれたと思います。この文章を書いたときから、時は流れ、社会情勢は変わり、僕たちの周りもずいぶんと様変わりしました。発達障害者支援法の登場など、予想もしなかった選択肢が目の前にあります。どう生きるか、自分で選んでいかなければなりません。
 僕は、こんなときだからこそ、原点に戻り、どもる子どもやどもる人たちが自分なりの幸せな人生を送ることを考えたいと思います。「吃音者宣言」は、「治す・改善する」の選択肢しかなかったときに、こっちの道もあるんだよと別の道を提示しました。「吃音者宣言」が出された、出るべくして出た背景を、今一度かみしめています。
 今、新型コロナウイルスに、それに対応する政府・自治体の対策に、僕たちは翻弄されています。問題の本質を見抜き、把握し、選択し、そしてその選択に責任をもつ、その重要性を思います。

 
東京言友会創立20周年に寄せて
        歩んできた道 これからの道

       全国言友会連絡協議会会長
       元東京言友会運営委員長    伊藤伸二

§ 石油ショック
 世界に奇跡と言われる高度成長を続けてきた日本経済は、1973年、石油ショックに見舞われた。常勝巨人がV9を達成した直後、トイレットペーパー買い占めの騒動が起こった。日本の高度成長を支えた日本人の「夢とロマン」が失われていった。
 言友会の質的転換も、石油ショックと時を同じくしている。『ことばのりずむ』8号が「吃音を治す努力の否定」の特集を組んだのは、1974年であった。これまで誰もが信じて疑わなかった吃音問題解決の大前提「どもりを治す」に、言友会が初めてメスを入れたのである。
 アメリカの吃音研究の第一人者、ウェンデル・ジョンソンが、どもりを軽くする、あるいは治すという前提で「その障害が存在している間はそれを抱えたまま立派に生活する」―『教室の言語障害児』(日本文化科学社 1974年)―と言うのとは、本質的に違う発想の転換であった。
 壊さなければ本当に新しいものは作れない。捨てなければ何事かに集中できない。言友会は、どもりを治すという前提を壊し、そして捨てた。石油ショック以降、日本経済が質的転換をとげていったように、言友会もまた、大きな方向の転換をしていたのである。

§歴史に学ぶ
 「<吃音者宣言>は、どもりを治す努力を精一杯しそれでも治らなかったという経験を持つ人だから言えるのです。私はまだそのような経験をしていません。どもりが治る夢は捨てたくありません」
 このように言う人がいる。
 広島の平和公園には「安らかに眠って下さい。二度と過ちは繰り返しませんから」という文が刻まれた原爆記念碑がある。二度とこの愚行を繰り返してはならないと全世界の人々に訴えている。戦争の体験を記録し、戦争を知らない世代に語り継ごうとする運動がある。「体験をしなければ本当の大変さな分からない。本当に戦争の悲惨さを理解するには、戦争をしてみなければ」このようなことを言う人はまずいないであろう。
 歴史を学び、そこから教訓を引き出し、今後の指針とする。これは、人間の知恵だと言える。
 吃音の問題が1903年の楽石社以来、大きな変化もなく、営々と同じ歴史を繰り返したのは、歴史から学べなかった、つまり吃音者の体験が記録され、語られてこなかったところにあったからだ。
 言友会に結集した吃音者は、自らの体験を出し合い、整理した。吃音治療の効果がなかったこと、治療に目を向けすぎて人生がおろそかになったこと。それは吃音の苦しみだけが語られるのとは質的に違う自分への問いかけであった。多くの吃音者の体験は事実として記録し、語り継がなければならない。いろいろな体験を持つ数多くの吃音者の話を聞く機会は一般的には多くない。一つの文としてまとまれば、何度も、また誰でもが読むことができる。私たちがしてきた失敗を後に続く吃音者にはしてほしくない。このような願いをこめて<吃音者宣言>は起草された。
 しかし、どもり方が様々に違うように、吃音者の体験もまた様々である。治療を受けて治った人、また自ら治療法を考え出し治した人、どもってはいるが悩まなかった人、それぞれの体験は事実だろう。それら様々な吃音者のそれぞれの体験を示すことは難しいし、不可能に近い。「私たちは…」で始まっている<吃音者宣言>は、言友会に集まった大勢の吃音者の体験が基本になっている。「吃音者全ては」と言っているのではない。
 自分のこれまで生きてきた道そのままが書かれていると言って下さった方がいた。どもりに悩み、不本意な生活を送ってきた吃音者にとっては思い当たる部分は少なくないだろう。
 <吃音者宣言>が自分の体験と似ていると思う人は先輩の失敗の経験を生かしてほしい。体験が似ていなくても部分的に共感を覚える人は、生かせるものは生かしてほしい。しかし、自分とは関係ないと無視をする人もいるだろう。受け取り方は人によって様々なはずである。
 罰則を決めてある法律ですら破る人はいる。まして<吃音者宣言>は、誰をも縛るものではない。<吃音者宣言>自体が吃音者の生き方を変えるものでもない。治すという方向の選択しかなかった吃音問題解決に、「こっちの道もあるよ」と選択肢を一つ増やしたのが<吃音者宣言>の意義であった。<吃音者宣言>を参考にするかしないか、それは一人一人の吃音者の選択に委ねられている。そして、その選択に対しては自分自身で責任を持たなければならない。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/4/30