重光萬石さんのラジオ番組「ラジオ天国! 重光萬石です」にゲストとして呼んでいただいて、対談した60分間の話の内容を紹介してきました。今日で最後です。1999年の収録でしたが、話している内容は、今と変わりありません。一貫性がある、ブレていないということだと、自分では思っています。自分の信じる道をまっすぐに歩くことができていること、ありがたいと思います。何度も書いていますが、相手にいい質問をしていただくと、本当に気持ちよく話せます。相手が話したいことを聞いていくのは難しいことかもしれませんが、対話をしていく中で、それはキャッチできるものなのかもしれません。それをキャッチできるのが、対談の名手と言われる人なのでしょう。重光萬石さんに僕はそれを感じました。ネットで「重光萬石」で検索すると昔の画像と、今の画像も出てきて、お芝居など広範囲に活躍されているのを知って、とてもうれしくなりました。
 「トロ」を食べに誘ってみようかな。


   
ラジオ天国! 重光萬石です

重光 話が元に戻りますが、3歳くらいのことばを覚えかけたときの子どもは、周りの大人たちと一緒に喋りたいと、その気持ちの方は勝っているんだけども、発声する訓練がまだ十分できてなくて、そういった時期にどもりとすごく似た症状を呈してしまうと、そのときにあんまり厳しく反復練習させたりすると、それがどもりにしてしまうことがあるんだということを聞いたんですけど、それはどうなんですか。
伊藤 それは可能性としてありますね。子どもが喋っている時にちゃんと言いなさいとか、もっとゆっくり言ったらそんなにつっかえないのに、というふうに厳しく言われ続けると、もう喋りたくなくなるし、喋っていることに対して罪悪感をもってしまう。そうすると、身を固まるし、喋れなくなります。そこらへんからどもり始めるという可能性もないことはないですね。
重光 じゃ、喋ることに対して悪いことだとか怖いものだとかそういうふうに思わせないということがまず第一番ですね。
伊藤 楽しくおしゃべりが一番大事です。また、自分の喜怒哀楽の感情を表現していくことが大事で、流暢にはっきりと喋ることが大事なのではない。それを、どもりに似たことばの繰り返しなどを、注意されたり、なめらかに話すことを押しつけられると、どもり始めることが起こることがありえますね。
重光 どもりは、それを克服しようとするよりもどうつき合っていくかが、なんか重要みたいに感じるんですけども、これに対する療法として論理療法というものがあるんですか。これはどういものですか。
伊藤 はい。これは、どもりの療法ではなくて、心理療法のひとつなんですが、考え方次第で悩みが消える、簡単に言えばそういうことなんです。何かものごと、できごとが起こって、そのことで悩んだりくよくよしたり、もう二度とこういうことはしたくないとか思う。それは、そのできごとが直接に悩みを生むのではなくて、その真ん中に必ずその人のもっている考え方、受け止め方がある。それを非論理的思考といいます。例えば、人前でどもってひどく落ち込むのは、「人前でどもるのは恥ずかしい、みっともないことだ」とか、「人前では流暢に話すべきだ」とかの考えを強くもっているからです。すると、どもって失敗したときに、ああ俺はもうだめな人間だと思ってしまう。それを、「人間、流暢に喋るにこしたことはないけれど、人前でどもったからといって自分がダメ人間ということでもない。流暢に喋ることばかりがすばらしいことではなかろう」と考えれば、人前でどもってもそれほどくよくよ悩んだりすることはない。
重光 なるほど。そういうふうに考え方を変えていくということなんですね。よく結婚式の披露宴の司会を、みなさんやられる場面が多いと思うんですけれど。僕もプロの端くれとしてよく皆さんからどういう風に上手にやったらいいですかと聞かれることがあるんです。その時、みなさんが本当は聞いてくるのは、どういうふうに流暢にやったらいいですかというニュアンスなんですよ、よくよく聞いてみると。でも、本当は別に流暢じゃなくても、内容がちゃんとしっかりして、次にやるのはこれです、次に紹介するのはこれですと、内容がきちっと的確に表現できてればそれが一番いいことで、案外司会者に求められているものは、流暢に喋ることよりも、きちっと会を進行させていくことなんですよね。だから、そこで大きな失敗さえなければ、別にことばにつっかえてたって言い間違いしたってそれはそんなに気にすることじゃないというふうに思うんですよ。
伊藤 ほんとうにそうだと思いますね。結婚式で思い出すのは、どもる人が就職とか結婚とかいろいろ大きな壁にぶち当たることがあるんですが、男性の人生のイベントで最後にぶち当たるのが新郎の父親としての結婚式の挨拶なんです。今までどもりを隠して、それなりにしのいで生きてきた。妻にも息子にも自分のどもりについて話していないし、周りにも気づかれていないほどにまあまあ喋れる。どもりそうな緊張する場面は今まではできるだけ逃げてきた。だから、周りの人間は自分がどもりだとは知らない。でも、挨拶文の中に、自分の言いにくい固有名詞などがあると言えるだろうかの不安が出てくる。新郎の結婚式の挨拶は病気で休むわけにはいかない。そうなると、流暢に喋れるだろうかとものすごくノイローゼになるくらい悩む。そういう人の相談にのることがあるんですが、簡単な処方箋があります。
重光 どうするんですか。
伊藤 新郎の父親のあいさつで流暢にぺらぺらとしゃべってもなんのおもしろみもない。本当に感激して、つっかえてしどろもどろになってするあいさつの方が本当のあいさつだから、あんたはむしろどもってどもってどもってあいさつしたらと教えるわけです。極端に言えば、絶句して涙を流すだけで、父親としての歓びは伝わる。
重光 なるほど。そういうことなんですね。でも、本当はできたらそのことが家族にも、お父さんどもってるからというふうに言えるようになってくると、もっと家族関係もいいと思うんですけどね。
伊藤 それがすばらしいですよね。
重光 でも、これにどういうふうに上手につきあっていくかということはなかなか難しい問題もたくさんあると思うんですが、今、伊藤伸二さんは大阪吃音教室で毎週1回、どもりと上手につきあう方法という講座をされています。日本吃音臨床研究会から『吃音と上手につきあうための吃音相談室』(絶版)という本ができております。今日は伊藤さんにいろいろとお話をうかがったんですが、結局は考え方を変えることなんでしょうが、なかなか伊藤さんのように達人になるには・・
伊藤 いやいや、達人じゃなくて、人生を誠実に、ていねいに生きることだけですよ。
重光 誠実に、ていねいに生きる。そうですか。今度、トロ、食べに行きましょうか。
伊藤 はははは。
重光 今日は、立て板に水のように、ぺらぺらとしゃべることよりも、誠実に、まじめにていねいにおしゃべりすることが大事なんだなあと身に染みてきました。やっぱり我々も、つっかえないように言わなきゃと思ってしまいますが、本当はそんなことよりも、何を喋るか、何を取り上げるかが、一番大事なことなんですね。これから勉強し続けようと思います。(了)
      「スタタリング・ナウ」 2001.6.16 NO.82 日本吃音臨床研究会


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/4/23