全国巡回吃音相談会は、今から考えれば、かなり大きなプロジェクトだったようです。当時の私は、ただ勢いに任せて走っていただけですが、後になって大きなできごとだと分かりました。相談会での講演記録は、後で紹介しますが、出発のドタバタを書いた文章がありましたので、前回とダブるところがありますが、紹介します。

 
「どもりで悩んでいるみなさん、私たちとともにどもりについて考えましょう」
 オンボロ車に、スピーカーと横断幕をつけて、旅回り役者の一座のように全国を回れば楽しいだろうなあ、私はそんなどもりの旅をしたいと周りの人に語っていました。
 そんな夢物語が、1975年10月から翌年2月にかけて、全国巡回吃音相談会として実現しました。きっかけは、私が「吃音を治す努力の否定」の前提で、吃音の問題を考えていく方向に確信が持てるようになったからです。「吃音は治らないかもしれないが、吃音を持ったままでもよりよく生きていこう」との考え方を一人でも多くのどもる人と共有したい。そのためにできるだけ多くの人に「吃音を治す努力の否定」の考え方を伝えようと考えたのです。また、「吃音を治す努力の否定」の考え方が、相談・治療機関もなく、ひとりで悩んでいる人にどれだけ受け入れてもらえるか、受け入れられないとすれば、どこに問題があるのか、多くの人に指摘してもらいたいとも思ったのです。
 実際、私の提起に対して、「吃音の程度が軽く、積極的な人ならできるかもしれないが、消極的で、吃音の重い人には無理だ」との批判がかなりありました。また、言友会の内部からも、「どもりを治したいと会に参加してくる人たちに、治す努力をやめようというような話はできない」という意見もありました。それらの批判に向き合い、今後の展望も探る意味でも、全国でひとりで悩んでいる人と話したかったのです。
 多くのどもる人、ことばの教室の先生、どもる子どもの保護者に私の考えを伝えて、批判があれば批判してもらい、再度考えを深めていきたい。ある意味、過激な、これまでとは全く違う視点での吃音の取り組みです。「検証の旅」をしないと先には進めなかったのです。また、吃音の悩みも人様々です。いろんな角度から、どもる人がどのように悩み、どう対処してきたかの「悩みの実態調査」もしたいと思いました。
 そこでチームをつくり、私に同行してくれる人を募りました。伊藤研究室でマネージメントをしてくれる人も数人手を挙げてくれました。悩みの実態調査の項目検討には、大阪教育大学の特殊教育特別専攻科の現職の教員が参加してくれました。私の研究室では夜遅くまで大勢の人が集まり、準備に取り組みました。
 しかし、いざ実行となると、本当に実現できるものか不安も出てきました。なにしろ困難な条件ばかりです。費用にしても、3人で出かけるので、百万円程度はかかると思われましたが、費用がありません。これまで全くつきあいのなかった「ことばの教室」や「親の会」が果たして協力してくれるだろうか。不安はつきません。困難な条件ばかりを考えていると、いつ実現できるかわかりません。とにかくやろうと、覚悟を決めました。
 相談会を開く地域の「ことばの教室」に相談会の主旨を伝え、会場の世話をお願いしました。地域の新聞社やNHKに報道を依頼したのですが、出発2週間前になっても、返事は帰ってきません。焦りましたが、考えてみればずいぶん乱暴な話です。これまで何の連絡もしてこなかった「ことばの教室」へ、突然、吃音相談会を開くから会場を頼むとお願いするのですから。出発3日前、ようやく第1回目の北海道の帯広、そしてつづく東北地方の会場が決まりました。
 そこで、「ことばの教室」と新聞社、私たちが把握しているどもる人に案内とよびかけの文書を送りました。自動車にスピーカー、横断幕というのは実現しなかったのですが、ひとり30キロ近くのリュックを担いで大阪を最終の寝台列車で出発しました。 (つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/30