映画が好きで、よく映画館に行っていたと、昨日、書きました。僕が中学生の頃は、中学生がひとりで映画館に行くことは禁止されていました。そういう規則があることは知っていましたが、寂しさ、孤独を紛らわせるためには、僕には、映画は必要なものだったのです。何度も補導されましたが、今日紹介するエピソードは深く記憶に留まっています。
「今週は補導週間で、警察も補導員も出るから、今週はおとなしくしていろよ」
担任から言われていました。しかし、僕にとっては不要不急の映画館通いではなく、生活の一部として必要だったのです。石田秀夫という若手の担任教師に、補導員に捕まったことを報告に行ったとき、頭ごなしに叱るのではなく、「あれだけ映画館に行くなと言ったのに、行ったのには、何か理由があるのか?」と聞いてくれたら、教師と僕との対話が始まり、僕は吃音の悩みを話せたかもしれません。後になってカウンセリングを学んで、このときの教師の対応をよく思い出します。
もう10年以上も前になりますが、中学校の同窓会に参加しました。その時、この石田先生と会いました。同級生の行方君と僕を呼んで、石田先生は「お前たちふたりは、よく映画館に行ってたなあ」と言われました。僕なんか、全く存在感がなかったので、覚えているとは驚きでした。映画好きのエピソードと、この「正義感ゼロ」はセットとして忘れられない思い出です。
どもる子どもとの対話が大切だと、今、言っていますが、その原点ともいえる体験のひとつです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/18
「今週は補導週間で、警察も補導員も出るから、今週はおとなしくしていろよ」
担任から言われていました。しかし、僕にとっては不要不急の映画館通いではなく、生活の一部として必要だったのです。石田秀夫という若手の担任教師に、補導員に捕まったことを報告に行ったとき、頭ごなしに叱るのではなく、「あれだけ映画館に行くなと言ったのに、行ったのには、何か理由があるのか?」と聞いてくれたら、教師と僕との対話が始まり、僕は吃音の悩みを話せたかもしれません。後になってカウンセリングを学んで、このときの教師の対応をよく思い出します。
もう10年以上も前になりますが、中学校の同窓会に参加しました。その時、この石田先生と会いました。同級生の行方君と僕を呼んで、石田先生は「お前たちふたりは、よく映画館に行ってたなあ」と言われました。僕なんか、全く存在感がなかったので、覚えているとは驚きでした。映画好きのエピソードと、この「正義感ゼロ」はセットとして忘れられない思い出です。
どもる子どもとの対話が大切だと、今、言っていますが、その原点ともいえる体験のひとつです。
正義感ゼロ
伊藤伸二
何も自分が常に正しいことを考え、正しい行いをしているとは思っていないが、「正義感ゼロ」とまで通知簿に書かれると、「僕にも正義感はある」と叫びたくなくなる。
吃音の悩みの真只中にいた中学3年生。
高校受験勉強に身を入れなければならない時期なのに、私は映画ばかり見ていた。いつ指名されるかおびえながらの授業は、おもしろくない。家に帰っては、きょうだい4人の中で自分だけが吃音であることをひがみ、いつもいさかいを起こしていた。自分の吃音の悩みを友人にも家族にも一切話さなかった私は、学校でも家庭でも孤立していた。
吃音の苦しさ、つらさをまぎらわせる唯一のものが、一人でも暗いところでも楽しめる映画だった。中学生は家族同伴でなければ映画館に行ってはいけないという規則はあった。しかし、連れていってくれる親子関係はなく、一緒に行く友人もいなかった。いつ補導の先生に見つかるかの不安を抱きながらも、いつも一人で行っていた。「今の僕の楽しみは映画しかない」と開き直りに似た思いもあった。またそれまで一度も補導されたことはなかった。
その日は運が悪かった。楽しかった映画が終わり、立ち上がった時、不意に肩をたたかれた。心臓が早鐘のように打った。ついに時が来たのだ。
翌日、朝一番に職員室の担任の所に行って、昨夜、規則を破って映画を見に行ったことを報告した。
「悪いことをする奴に限って、少しでも罪を軽くしようと悪知恵が働くんだなあ。補導の先生からの連絡の前に言いにくる」
担任は軽蔑し切ったような目を私に向けて、はき捨てるように言った。当時の通信簿には行動評価の欄があり、責任感、積極性などとならんで正義感の項目があった。その学期末の通知簿のその欄に赤いペンでバッテンがつけら、「正義感ゼロ」と書きこまれた。
その担任の私を軽蔑し切った顔は、吃音の嫌な思い出と共に、私の脳裏から消えることはない。 (1990.6.15 大阪吃音教室「吃音者のための書くトレーニング」より)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/18