僕が、映画が好きなことはいろいろなところで度々書いています。小学2年の秋から続いている、孤独で寂しい僕の唯一の友だちが、読書と映画でした。いくつもの物語が僕の救いになりました。
父親が映画が好きだったこと、そのことが僕には大きなプレゼントになったのでしょう。小学生で、字幕を追うのが大変だったろうに、洋画が好きでした。週に2度は映画館に通うほどの「映画狂い」でした。三重県津市で上映された、当時のアメリカ映画、フランス映画は、ほとんど観ていると思います。男優では、バート・ランカスターが特に好きでした。そして、好きな映画は、ジェームス・ディーンが主演した「エデンの東」です。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/17
父親が映画が好きだったこと、そのことが僕には大きなプレゼントになったのでしょう。小学生で、字幕を追うのが大変だったろうに、洋画が好きでした。週に2度は映画館に通うほどの「映画狂い」でした。三重県津市で上映された、当時のアメリカ映画、フランス映画は、ほとんど観ていると思います。男優では、バート・ランカスターが特に好きでした。そして、好きな映画は、ジェームス・ディーンが主演した「エデンの東」です。
エデンの東
伊藤伸二
「人に認められない、愛されないことがどんなに辛く、悲しいことか。息子に何か頼みなさい。君が頼りだということを示して上げなさい。このままでは、あなたに愛されていないと信じて、彼は今後生き続けるのですよ」
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兄のフィアンセだった彼女にうながされて、病床の父は、ジェームス・ディーンの演じるキャルに、口うるさい看護婦を追い出せと頼む。父から初めて頼られた時のうれしそうなジェームス・ディーンの顔にいつもほっとする。
このシーンにくると、いつも涙があふれた。何度観ても同じだった。映画館を出るとき、恥ずかしいほど目が腫れるほど泣いた。
どもりの自分が許せなかった。いつもひとりぼっちだった。できのいい兄といつも比べられているように感じていた。中学2年の夏のある出来事からだが、父からも母からも愛されていないと思っていた。兄といつも比べられ、いつも認められている兄がうとましかった。ジェームス・ディーンはまるで自分そのものだった。
思いきり涙を流すことで、今の辛さが少し癒された思いがした。映画館を出ると、父への母への兄への恨みが少し和らいだからだ。
何度も何度も同じ映画を上映の度に観た。その数、30回は越えているだろう。その度に、父を母を少しずつ許せるようになっていくのが分かる。映画を観る回数とその後の人生体験による自分の成長が、歩みを同じくしているのも実感できた。
どもっている自分が、人から愛されている。そして、恋人に、僕の好きな映画を観に行こうと誘えるようになった。同じ場面で大泣きしたが、その顔を彼女の前でも隠さずにいることができるようになった。一人で観ているときとは全く違う不思議な思いが胸いっぱいに広がる。人に認められ、愛されるようになった私が、これまでとは全く違う立場で、『エデンの東』を観ているのだ。4人きょうだいの中で、私一人がどもりで、きょうだいは比べられた。成績も行いもすべて兄より私が劣っていた。
清く正しく、誰からも愛された兄、ことごとく反抗し、ひねくれていく弟。このきょうだいの葛藤を描いた『エデンの東』が、辛かった時代の私を救ってくれた。正しかった強かった兄が、結局は破壊の道を歩み始め、誰からも愛されていないと思っていた弟が、兄の婚約者の愛を得たからだ。私も、最終的には兄に負けないかもしれないとの期待を持たせてくれたことも私には大きかったようだ。
『エデンの東』は今ではビデオがあり、映画館に行かずとも、いつでも好きな時に観ることができる。しかしほとんど観なくなった。私にとって『エデンの東』は、もう必要がなくなったのであろう。
『エデンの東』とは別のつき合い方ができるようになったが、清く正しいと自分で思っている兄については、昔の感情とほとんど変わっていない。
今でも兄は、私の嫌いな人間のままだ。(《自分を綴る》1996.7.19)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/17