ちょっと芝居がかったような卒業式での様子に、丹野さんらしいなと思いながら、紹介してきました。
僕は、自己紹介や挨拶、面接などで、どもる人がどもらずにできたという経験を、それほど大きなこととは考えていません。むしろ、逃げ出さず、どもりながらも目的を達成できたということが大きいのだと思います。丹野さんも、断らず引き受けて、どもりながらも最後まで言い切ったことに、大きな満足感を感じていたのではないでしょうか。
娘さんの感想も合わせて紹介します。娘さんの感想を読むと、丹野さん一家と共に吃音が存在したことがよく分かります。
丹野さんとはもう25年ほど会っていません。僕の中ではまだ「フーテンの寅」さんのイメージのままです。数年前に少し電話で話しましたが、今、電話をしてもケイタイが通じなくなっています。21歳で出会って、今僕はあと2か月で77歳です。丹野さんは、僕より8歳年上なので85歳です。もう一度会いたいと思うのですが。もし、消息をご存じの方がいらっしゃったら、教えていただければうれしいです。僕としては久しぶりにあのころに帰ったような気分になりました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/27
僕は、自己紹介や挨拶、面接などで、どもる人がどもらずにできたという経験を、それほど大きなこととは考えていません。むしろ、逃げ出さず、どもりながらも目的を達成できたということが大きいのだと思います。丹野さんも、断らず引き受けて、どもりながらも最後まで言い切ったことに、大きな満足感を感じていたのではないでしょうか。
娘さんの感想も合わせて紹介します。娘さんの感想を読むと、丹野さん一家と共に吃音が存在したことがよく分かります。
丹野さんとはもう25年ほど会っていません。僕の中ではまだ「フーテンの寅」さんのイメージのままです。数年前に少し電話で話しましたが、今、電話をしてもケイタイが通じなくなっています。21歳で出会って、今僕はあと2か月で77歳です。丹野さんは、僕より8歳年上なので85歳です。もう一度会いたいと思うのですが。もし、消息をご存じの方がいらっしゃったら、教えていただければうれしいです。僕としては久しぶりにあのころに帰ったような気分になりました。
娘の卒業式に謝辞を読む 3
東京言友会会長 丹野裕文(歯科医師)
私は謝辞を読み終わると、それを巻紙に収め、壇上の箱の中に入れ、教職員、卒業生、父兄、そして来賓の方々に深々と頭を下げて私の席に座った。意外と冷静であった。そのうちに、「やったのだ!」「やれたのだ!」という実感が少しずつ涌いてきた。そして、心の中でつぶやいた。
『娘よ!よく聞いたか? これが、父のこれまでの生きざまなのだ。お前の父は、今までこれだけ苦労して生きてきたのだ。もうお前も十五才、物事の分別がよく分かる年代になってきた。父は晩婚のため、あとどれ位長くお前と共に生きられるかわからないが、父のこの姿をお前の目によく焼き付けておいておくれ。父はこれまで、精一杯頑張って生きてきたのだよ。』
その後、全員起立して「卒業式の歌」を斉唱したが、私は全身の力が抜け、ただかろうじて立っているだけだった。
卒業式は無事終了した。司会者の指示で、卒業生は拍手のもとにつきつぎと立ち上がって退場していった。そして来賓の番になり、お偉方を先頭にして退場していった。
私はまた一番最後に位置し、泣きはらした顔を見られるのが恥ずかしいので、下を向いたまま歩いていった。そして父兄席の前で深く頭を下げると、意外にも多くの拍手を浴びてしまい、何となく照れ臭い気がして、足早に退場したのである。
§式が終わって
講堂を出て校長室に戻ると、食事の用意がしてあった。そして意外にも、学園長をはじめ多くのお偉い方々が、私に対して称賛のことばをかけてくれた。私は恐れ入ってしまい、隅で小さくなっていたが、ハッと気がついた。
意を決して、言友会の名刺を持って区長のところへ行き、「私はこういう会を作っており、区に会館がありますので、今後ともよろしくお願いいたします。」と話した。すると、「是非とも応援したい」との返事が返ってきた。
また、元PTA会長が目を真っ赤にして寄って来られ、「私も四十六年前までは、あなたと同じようにどもりで悩んでいました。今それを思い出して泣けて泣けて仕方がない…」と言われ、私の手を握ったのである。
その夜、自宅に未知の方から電話があった。「今日の卒業式はすばらしかった。今まで何度か卒業式に出ていますが、あんなに感動したのは初めてです。娘も私も一生忘れることができない卒業式でした。この一言が言いたくて電話しました。どうもありがとうございました…」
私は今回の謝辞では、不思議なほどどもらなかった。これまでなら、千五百人の前で話すということは、考えてみただけでしりごみしてしまうことであった。日常生活ではほとんとどもることはなくなっているが、かしこまった席での挨拶などは不安が大きく、緊張してどもってしまうことが多かった。だから今回もできれば断りたかったし、うまくやれる自信もなかった。それができた。それも完全にできた、ということは、これからの私の人生にとって、大きな自信をもたらしてくれた。もう私には、話すことに関して何も恐れるものはない。これが、今回の、最高の結論である。
父の謝辞を聞いて
丹野○○
父が謝辞をすることになって私は「名誉だ、うれしい」という気持ちと「きちんとみんなの前で読むことができるのだろうか?」という不安とが入り混じった複雑な心境でした。父が家で読みを録音してみたら、まるで演説のようでした。私はとても心配になりました。しかし、本人はお風呂の中で暗誦するなどやる気満々でした。
不安な気持ちのまま卒業式をむかえました。私は講堂に入る前、思わず神様に手を合わせました。どうか父の読む謝辞が成功しますようにと…。
ゆっくりと、しかし着実に卒業式は終盤へと近づいてきました。謝辞の前の答辞を聞いた時から私はもう半べそでした。とうとう謝辞の番が来てしまいました。私はもう一度いのりました。
「謝辞」
父がそう読んだ瞬間、目の前が真っ暗になりました。あの録音テープと同じ読み方だったのです。しかし先へ進むにつれてだんだんと感情がこもってきました。そして、ある部分にさしかかろうとした時、父の声は涙声へと変わっていました。私が卒業することと、自分自身の過去の体験が、一瞬にして脳裏を横切ったのだと思います。私も思わず涙がこぼれました。まわりをチラッと見ると、先生や友達もハンカチで涙を拭っていました。無事に謝辞を読み終えると、来賓、諸先生、父兄の方々、そして友達、みんなのすすりなく声が聞こえてきました。大成功だったのです。誰もが感動したすばらしい謝辞でした。そして一度もどもりませんでした。
私生活ではいつも脳天気な父ですが、この時ほど誇りに思ったことはありませんでした。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/2/27