1986年、京都で、僕が大会会長になって、第一回吃音問題研究国際大会を開催しました。そして、その後3年ごとに世界大会が開かれることになりました。どもることは悪いこと、恥ずかしいこと、劣ったことと考えていた僕たちが、どもるという共通項で世界中から集まる、それだけでも、すごいことでした。参加した多くの人が、まるで夢のようだと言ったのも、当然なのかもしれません。人を遠ざけていた吃音が、人をつなぐ役割を果たしたのですから。
 インターネットがまだ無かった時代です。今から思えばよくまあ開催できたものだと思います。2000万円の大会経費をカンパと参加費だけで集め、京都国際会議場の大ホールに海外からの代表34名を含め、世界11の国から400人もの人が集まったのですから。僕の人生の中で一番の思い出になりました。
 僕は、世界大会を開くにあたり、どもる当事者だけでなく、吃音研究者、臨床家、どもる子どもの保護者など、立場の異なる、吃音に関わる人たちが対等に議論し、対話することを大切に考えていました。お互いの立場を尊重し、互いの体験、研究、実践に耳を傾け、どもる人にとってよりよいものをみつけていきたいとの思いからでした。
 コロナ禍の今、過去に書いた文章を紹介していますが、1992年9月30日に書いたこの文章が、今回紹介するもので、アメリカ・サンフランシスコで開かれた第3回大会世界大会が終わってから書いたものです。遠い、遠い昔の出来事ですが、今も僕の心の中には、親友の、ジョン・オールバックがいます。会いたいです。
 

  
第三回吃音問題国際大会雑感
                           伊藤伸二
 「夢の世界にいるようだ」「こんなに楽しいことを3年後なんてとても待てない、来年アメリカでしたい」
 京都で開かれた第1回国際大会での次期開催国を決める代表者会議。第2回大会を3年後に西ドイツでとの流れに、だだっ子のように一人抵抗を続けたのが、アメリカのグループの一つNSPの会長ジョン・オールバックだった。
 待てなかったはずの6年が過ぎ、彼は今大会の大会会長として、楽しそうに動き回っている。その彼を眺めながら、6年前の京都での国際大会のフィナーレでの彼のスピーチを思い出していた。
 「これまで私たちは、皆、孤立していました。希望の光を求めてさまよってきたのです。私たちの歩いている道は平坦ではありませんでした。どもりからの解放を叫んでも、社会の人たちは、その叫びに耳を覆い、聞こうとしてくれませんでした。でも京都のこの大会でこうして出会えた私たちは、もうひとりぼっちではありません。世界中に仲間がいるのです。どんな困難があろうとも、決してあきらめないでがんばりましょう」と言い、更に次のように呼びかけた。

・どもりは必ず治るなどと偽りの希望を与える人たちとは戦いましょう。
・自分自身を、吃音を素直に受け入れられない人には温かく援助しましょう。
・どもりを差別し、さげすむ人には、私たちが啓蒙しましょう。
・どもりで悩む若者、子どもがいたら愛情をもって接しましょう。

 第3回大会は、ジョン・オールバックのこの考え、取り組む姿勢が色濃く出た大会となった。
 『この大会を、カナダのどもる人たちのために素晴らしい仕事をし、昨年自動車事故で亡くなったマリー・ポウロスに捧げる』としたこと。
 社会へ吃音問題を訴える映画「勇気について」の製作者や主人公の11歳のアリッサを特別ゲストとして迎え、大きく取り上げたこと。
 劇、ダンス、チャリティー・オークション、全米の活動家の表彰式など、参加したどもる人個々人の交流に重点がおかれたことなどだ。
 しかし、吃音の研究、臨床の本場アメリカで開かれる大会にしては、また、6年目の国際大会としては、内容の薄いものとなった。30あったワークショップもバラエティーに富んでいたものの、内容について物足りなさを感じた人が少なくなかった。企画の段階で、吃音研究者、臨床家にあまり協力を求めなかったのも一つの要因だろう。「どもる人だけが集まるのではなく、世界の吃音研究者、臨床家、どもる人が参加し、それぞれの立場を尊重し、互いの研究、臨床、体験に耳を傾けながら議論をし、解決の方向を見い出そう」との、第1回を開催した私達が目指した国際大会の方向性がだんだんと稀薄になっていく危惧さえ感じられた。
 また、世界各国の吃音へのアプローチの違いが明確になりながら、それはなぜなのか、突っ込んだ議論ができず、吃音問題解決に、世界各国のセルフヘルプ・グループがどのように体験を出し合い、議論し整理していけばよいかの展望を見い出せなかったのも、残念なことであった。
 このような大会内容に対する不満を漏らす海外参加者も少なくなく、日本のリーダーシップを期待する声も多く聞かれた。
 幸い、世界吃音連盟の推進母体となる世界吃音コミュニティーの三人委員会のメンバーに、アメリカのメル・ホフマン、ドイツのトーマス・クラールとともに日本の伊藤伸二が選ばれた。この三人で、第1回大会の大会宣言の趣旨を今改めて思い起こし、その方向性を皆で確認していきたい。
 日本が、真に世界に羽ばたく時がきたようだ。 1992.9.30


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2012/1/29