吃音を周りの人に公表するかどうかは、吃音を考える際の定番ともいえるテーマです。僕も、いろいろな相談会やワークショップなどで、吃音を公表するかどうか、よく相談を受けました。公表すべきかすべきでないかなどと、大上段に構えることでもなく、どもる僕たちは、いつものようにどもりながら話していくしかないと思うのですが。
 就職の面接や自己紹介で、どもったらどうしよう、どもったら大変だと言う人がいます。
どもる人間である僕たちが、どもって話すのは、ある意味当然のことです。どもらないように工夫することはあったとしても、うまくいかないときは、自然にどもるしかありません。隠せるのなら隠してもいいでしょうが、同じような場面は今後いくらでも出てきます。どこかで、えいやっと覚悟を決めるのが、僕はいいと思います。「さらけ出して生きる」なんて言われると、大事のように感じられますが、どもるときはどもるままに、自然の成り行きにまかせてどもりながら話していくしかないと思うのです。古くて新しいテーマです。1992年6月25日に書いた文章を紹介します。


  
自らをさらけだして生きる
                          伊藤伸二

 多かれ少なかれ、隠したいことを持たない人はいない。秘密を持つこと、それを守り続けることが出来るのは、成熟した人間の証でもある。また、自らが認めたくないこと、劣等感を持っていることを隠したいと思うのは自然な気持ちだ。全てをさらけ出していることが、無条件に素晴らしいこととも思えない。しかし何かを隠し続けることが、日常生活に支障をきたす場合、検討してみる必要がある。
 話す場面をうまく避ければ、また普段はあまりどもらない人であれば、吃音は隠し続けることができる。しかし、隠しおおせないのではと不安や恐れを持つ場面に遭遇する時がある。その時悩みが噴出する。

 「近々新しい職場で歓送迎会があり、大勢の前で自己紹介をしなければなりません。うまくできるかどうか心配で、この一カ月ずっと悩み、円形脱毛症になりました。今、病院で薬をもらって飲んでいます」
 過日行われた、吃音の個人的な悩みに焦点をあてたグループワークで悩みが出された。

伊藤  あなたの今の悩みの源になっている考えを探してみませんか。
参加者 人前ではどもりたくない。どもるべきではない。どもるとばかにされる。どもりだと分かると仕事上でマイナスになる。このように考えてきました。だからずっと、どもらないように工夫し、どもりを隠す努力をしてきました
伊藤 これからも、ずっと隠し続けて生きるつもりですか。

 このようなやりとりがしばらく続いた後、本人と15名の他の参加者に、「どもりを隠すことによって起こるプラス面とマイナス面を挙げて下さい」と問いかけた。つぎのようなことが出された。

プラス面
  嫌な気持ちにならないで済む
  普通の人間に見られる
  ばかにされないで済む
  相手と対等に立てる
マイナス面
  疲れる
  実際の能力以下にみられる
  精神的負担、苦痛が大きくなる
  行動が制限される

 どのようなことでもプラスとマイナスはある。しかし、一時的に嫌な体験をしないで済むなど、吃音を隠し続けることによって得られるプラスは、活力あるものとは言い難い。一方、隠すことによるマイナス面は自分自身の人生に大きな影響を与える場合がある。
 プラスとマイナスを厳密に検討している訳ではないだろうが、自分を大切によりよく生きようとすると、人は、隠さない方を選択していく。しかし、子どもの頃からそのように意識的に育てられている人でない限り、例えばハンディキャップをさらけ出して生きることを選択することは、容易いことではない。隠すことでプラスとまではいかないまでも、それなりの安定を得ているからだ。隠さない生き方への転換には、きっかけとなる出来事や人との出会いがある。

 この5月、私たちの吃音ワークショップで、中学校の教師、崎坂祐司さんが、「自分をさらけ出して生きる」の演題で話して下さった。崎坂さんは、除々に体が不自由になる難病に、「夢だ、悪い夢だ」といらだち嘆く生活を送っていた時、先輩教師と出会う。自分の全てをさらけ出してかかわってくれる彼との出会いの中から、「子どもたちに自分の体のことを語り、出来ない事は出来ないと素直に話す」、自分にしか出来ない教育を目指し始める。
 崎坂さんが会長を務める難病アミロイドーシスの患者の会「道しるべの会」では、崎坂さんのように「自分をさらけ出して生きている人」と「隠し、ひっそり生きたいとする人」がいると坂崎さんが話した。同じ難病のスウェーデンの団体に次のスローガンがある。アミロイドーシス患者の吃音者宣言のようなものだ。

 1 我々は隠してはならない
 2 我々は見られなければならない
 3 我々は沈黙してはいけない
 4 我々は要求をはっきりさせ、その立場で影響をあたえなくてはいけない
 5 我々は諦めてはいけない
 6 我々は厄介な状況にもかかわらず、闘わなければならない

 「今、とっても落ち着いています。歓送迎会、がんばります。失敗しても逃げていては、いつまでも成長しないし、そこでドキドキしながら立ち向かうことが、自分にとって、プラスになっていくことを信じて…」
 グループワークが終わった後、彼はこう振り返った。
 勝手なことを言わせてもらえれば、歓送迎会でどもらずに言えるより、周りの人にはっきりと、どもりと分かる程どもればいいなあと私は思う。なまじっか、どもらずうまくいくと、隠すことに成功したことになり、同じことをまた繰り返すからだ。ピンチはチャンスなのだ。1992.6.25


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/26