今日、紹介する「ゲシュタルトの祈り」には、助けられました。どうしてもこれが大切だ、これが必要だと思い、一生懸命伝えても、それをそのまま受け止めてくれる人ばかりではありません。そんなときは、空しさを覚えるのですが、それをすぐ打ち消してくれるのが、「ゲシュタルトの祈り」です。その後、僕は、倉戸ヨシヤ先生のゲシュタルト・セラピーに出会うことになります。高野山のワークショップなど、関西でのワークショップにはかなり参加し、最後には「ゲシュタルト療法50セッション」にも参加しました。その時、修了書としていただいたのが、英文の「ゲシュタルトの祈り」でした。今も大切にしています。
 老子の思想をわかりやすく紹介した、加島正造の「求めない」も、僕を助けてくれました。ついつい「…してやったのに」となりがちだったところを、消してくれました。
 人はそれぞれに違うことを肝に銘じ、僕は僕の信じる道を歩いていきたいと思っています。

  
ゲシュタルトの祈り
                         伊藤伸二

 他者に自分の意見や行動が理解されない、支持されない時、人はどう対処するだろうか。
 自分の意見や行動に誤りがあるか検討し、修正すべきはするという人もいるだろう。ある人は理解しない、支持しない人を責めるかもしれない。自説を信じ、それが広く理解されることを願い、そしてそれがこれまでの方向と全く違う場合、摩擦が起こる。
 “どもりは治る、治すべき”に対し、“どもりは治らないかもしれない。治すことよりそれを持ったまま生きる道を探ろう”は、どもる人に、また吃音にかかわる人々にとって、180度の発想の転換を意味する。
 この方向転換は、10年の歳月と一万人近いどもる人の体験の中から生まれた。また、言語障害の研究者や臨床家の指導を受けたり、他の分野からの借りものではないだけに、大いなる自負と自信があった。
 自信はあったが、批判は当然予想していた。しかしいざ痛烈に批判されると、気負ってそれに対峙した。また、批判のための批判と、どもる人や言友会を思っての善意の批判との区別がつかず、全ての批判に勢い込んで反発した。私たちのあまりの尖鋭な反論に、善意の人はたじろぎ、私達との交流を断った。
 また、一気に流れを変えようとしたために、反発するどもる人が言友会から去った。
 どもりを治したいと集まってくるどもる人にどうすれば〈吃音者宣言〉を理解してもらえるか。どもる人への愛情から、どもりを治そうとする臨床家に私たちの真意をどうすれば分かってもらえるか。
―私たちの会に入ったどもる人なら〈吃音者宣言〉を理解して欲しい。私たちの会は全てのどもる人の役に立たねばならない。臨床家は、治そうとすることによるマイナス面に思いを巡らすべきだ―このような意識を自分自身では気がつかないままに持っていたのではないか。
 だから周りの人々から、「あなたたちは気負い、肩肘張って声高に自らのことを主張している」と感じられたのかもしれない。生み出すことに立ち合った〈吃音者宣言〉だが、それと今後どうつき合うか悩んだ。宣言が出され3年目、13年程前のことだ。その頃、ゲシュタルト・セラピーの提唱者パールズの詩『ゲシュタルトの祈り』と出会った。
 
 私は私のことをする
 おまえはおまえのことをする
 私はなにも、おまえの気にいるために
     この世に生きているわけじゃない
 そしておまえも、私の気にいるために
     この世にいるわけじゃない
 おまえはおまえ、私は私
 もし私達がお互いに出会うなら、
     そりゃあ素晴らしいことだ
 もし、出会わなかったら、
     そりゃあ、仕方のないことさ

 スーッと、肩の力が抜けるのを感じた。人はそれぞれに違うのだ。また違うから素晴らしいのだ。〈吃音者宣言〉と出会ってよかったという人もいれば、反発する人もいるだろう。他者に自分の考えや意見を押し付けられるものではない。ことばだけで説明したり説得したりするより、〈吃音者宣言〉の実践を積み重ねることが大切なのだと知った。
 その実践を通して、できるだけ広く理解されるように分かりやすく語る努力は続けたい。しかし、それがうまくいかなかったとしても、それは仕方のないことだ。全てのどもる人に、吃音にかかわる全ての人々に支持されるということは無理な話だ。私たちと合わないどもる人がいて当然なのだ。
 その後、私たちは〈吃音者宣言〉を直接のテーマに議論することが少なくなった。それがかえってよかったと思う。だから言語障害の分野以外に目が向き、いろいろなことが学べた。回り道をしたからこそ〈吃音者宣言〉が静かに根付いた。この回り道のきっかけを作ってくれたのが『ゲシュタルトの祈り』であった。この出会いに感謝したい。1992.6.4


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/25