「あなたが誰であろうと、きつ音であろうとなかろうと、常に自らの成長を意識し、きつ音があなたの未来を決めることがないようにしてください」
まもなく第46代アメリカ大統領に就任するジョー・バイデンさんが、僕たちと同じようにどもるということを少し前に知りました。日本よりも、人前でスピーチする力が重視されるアメリカ社会で、大きな苦労があったことだろうと推察します。
NHKのニュースサイトNHK NEWS WEBの特集1月19日で、下記のタイトルの記事を見ることができます。映像もあります。どもりながらスピーチしている少年に、バイデンさんは、「同じクラブの仲間だ」と言ったそうです。僕は、これがいいなあと思いました。治すのではなく、共に豊かに生きるそのものだと思ったのです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/20

NHKのニュースサイトNHK NEWS WEBの特集1月19日で、下記のタイトルの記事を見ることができます。映像もあります。どもりながらスピーチしている少年に、バイデンさんは、「同じクラブの仲間だ」と言ったそうです。僕は、これがいいなあと思いました。治すのではなく、共に豊かに生きるそのものだと思ったのです。
「きつ音」の大統領誕生へ アメリカ社会に希望見いだす人たち(1月19日 20時52分)
1月20日に第46代アメリカ大統領に就任するジョー・バイデン氏。バイデン氏の就任を特別な思いで見守っている人たちがいます。「きつ音」がある人たちです。会話の際に、言葉を繰り返したり、詰まったりする「きつ音」。日本国内で100万人以上、そしてアメリカでも300万人以上にあるとされています。実は、バイデン氏も、子どもの頃からきつ音に悩んできました。スピーチなど、人前で話すスキルが重視されるアメリカ社会。そのアメリカで、きつ音の人が大統領になることに希望を見いだす人々に話を聞きました。
(ワシントン支局 太田佑介)
全米が注目した「きつ音」の少年のスピーチ
去年8月、オンラインで開催された民主党の全国党大会。バイデン氏の指名受諾演説に備えていた私は、ある少年のスピーチに思わず作業を止めて、画面に見入りました。
ブレイデン・ハリントンさんのスピーチ
「こんにちは。僕の名前はブレイデン・ハリントンです。13歳です。バイデンさんがいなければ、こうしてここでお話していません。僕たちは数か月前にニューハンプシャー州で会いました。バイデンさんは『僕たちは同じ“クラブ”の仲間なんだ』と教えてくれました。僕たちは…きつ音なんです。僕と同じような人が…大統領になったなんて本当にすごい。僕はただの普通の子どもです。そして、生まれてからずっと気になっていたことについて、ほんの短い間にバイデンさんは僕に自信をくれたんです」
全米の多くの人が視聴する党大会でスピーチすることは、並大抵の緊張ではないはずです。しかし、言葉に詰まりながらも、カメラを見据えて懸命にバイデン氏にメッセージを送ったハリントンさんのスピーチは、全米の注目を浴びました。
ハリントンさん本人に、話を聞くことができました。
去年2月、父親に連れられて地元の東部ニューハンプシャー州で行われたバイデン氏の集会を訪れたといいます。その会場で、父親がバイデン氏にハリントンさんがきつ音であることを伝えると、バイデン氏はハリントンさんに肩を寄せながら、こう声をかけたのだそうです。
バイデン氏がハリントンさんにかけたことば
「私もきつ音の時、こここういう風に、ははは話していた。練習が必要だったが、約束する。君にはできる。君の未来はきつ音によって左右されるべきではない」
子どもの頃「きつ音」に悩んだバイデン氏
バイデン氏は子どもの頃、重いきつ音に悩んでいました。自らの自伝「守るべき約束」の第一章は「障害」。きつ音でうまくしゃべることができず、「障害のジョー」などとあだ名をつけられたとしています。また、高校では全校生徒が朝礼で順にスピーチをするのに、バイデン氏には順番が回ってこなかったといいます。その時の気持ちについて「今日でさえ、その時感じた不安感、恥ずかしさ、強烈な怒りを、当時と同じくらい鮮明に思い出すことができる」と記しています。バイデン氏は発声練習のために、鏡に向かって詩を暗唱することをひたすら繰り返したといいます。
バイデン氏が実践した詩の朗読 ハリントンさんに
バイデン氏はハリントンさんに、自らが過去に実践した詩の朗読を勧めました。ハリントンさんはそれ以来、熱心に朗読を続けています。バイデン氏はハリントンさんをはじめ、きつ音がある人々およそ20人と連絡先を交換して、アドバイスを続けているのだといいます。ハリントンさんもバイデン氏に応援メッセージを送るなど、2人は今も交流を続けています。バイデン氏が大統領に就任することに勇気をもらったというハリントンさん。
将来、同じようにきつ音に悩む子どもを助けるために、言語聴覚士になりたいと夢を語ってくれました。
インタビューの最後に、世界中の「同じ“クラブ”の仲間たち」に向けて、バイデン氏から教えもらった次のメッセージを送りたいと話しました。
「あなたが誰であろうと、きつ音であろうとなかろうと、常に自らの成長を意識し、きつ音があなたの未来を決めることがないようにしてください。あなたの進む道に困難があるとき、それはその困難を乗り越えるための新たな力になるのです」
バイデン氏の大統領就任で “社会の変化の兆し”も
バイデン氏が大統領となることに、社会の変化の兆しを感じる人もいます。南部テキサス州ダラスで雑誌の記者として働くホセ・ララットさん(44歳)です。ララットさんもきつ音があります。
ホセ・ララットさん
「自分自身の名前を言うのさえ難しいです。言葉を出そうとしても、竜に胸や首に爪を立てられているような感じです。電話の時には特に症状がひどくなります。相手からは『電話が壊れたのか』と思われるほどです」
ララットさんには辛い過去があります。8年前、地元のラジオ局の番組に出演した時のこと。放送中に緊張からか、きつ音が何度も出てしまったところ、番組の途中にもかかわらず、スタジオから追い出されてしまったというのです。
ホセ・ララットさん
「コマーシャルに入ったとたん、プロデューサーが駆け寄ってきて、私のひじを持って椅子から引っ張り、建物の外に追い出されました。とても辛かったです」
きつ音が社会でよく理解されていないことを痛感したというララットさん。バイデン氏の大統領への就任が、きつ音に対する社会の認識を高めてくれることを期待しています。
ホセ・ララットさん
「彼は我々に誇りを与えてくれました。国のトップにもなれることを示してくれました。きつ音のことをまだ多くの人が知らないのが現状ですが、きつ音があるバイデン次期大統領のおかげで、認識が高まりつつあります」
きつ音への向き合い方 変わることへの期待
きつ音の支援の現場では、バイデン氏の就任が、きつ音への向き合い方そのものを変える助けになることへの期待が高まっています。
きつ音の研究と教育を行っているテキサス大学オースティン校。
大学では子どもから大人まで、年間500人のきつ音の人たちを対象に、オンラインやサマーキャンプで無料のセラピーを実施しています。ここでは、きつ音を治したり隠したりするのではなく、むしろ、個人の特徴として受け止め、きつ音で大勢の人の前で話す練習などを繰り返すことで、自信をつけることに力を入れています。
セラピーに参加した男子学生
「誰かが私に…きつ音を出さないよう言ったら、…それは私に話すなと言っているのと同じです」。
セラピーに参加した女子学生
「…私はきつ音ですが、きつ音についてみんなに分かってもらいたいのは、その人の知性や学習能力とは関係がないということです」
テキサス大学オースティン校 コートニー・バード博士
「見方を変えて、きつ音を障害とみなす必要はないと理解することです。世界に同じ人は2人とおらず、誰もが違うしゃべり方をするのですから。私たちは今、きつ音の人が大統領になる世界を目にしています。私がバイデン氏に伝えて欲しいメッセージは、きつ音があってもいいということです」
スピーチ重視されるアメリカ社会で
アメリカ社会では、人前でいかに自信を持ってスピーチし、明確に表現し、相手にどれだけ強い印象を残せるかが非常に重視されます。それは幼いころからの学校での授業、就職面接、顧客へのプレゼンテーション、法廷での質疑応答から選挙まで、社会で最も重要なスキルのひとつと言っても過言ではありません。そうした中で、きつ音の人々は、言葉を発することに自信が持てないことによって、キャリアの形成や人間関係に深刻な影響を受ける可能性が高いことが、研究でもわかってきています。
「誰も1人で重荷を背負うべきではない」
バイデン氏のきつ音は消えたわけではありません。大統領選挙期間中の2019年12月にも、民主党の討論会の最中に、きつ音が出たことがあります。その様子について、サンダース元ホワイトハウス報道官が「わわわわわわわわ私はバイデン氏が何を言っているのか分からない」とツイートしました。これに対し、バイデン氏は「私はきつ音を克服するために生涯をかけて努力してきた」と反論。サンダース氏はバイデン氏がきつ音であることは知らなかったとして謝罪し、ツイートを削除しました。
バイデン氏は自伝の中で、自らのきつ音について、こう語っています。
バイデン氏の自伝より
「誰もがそれぞれ、何らかの重荷を背負っていて、その重荷はほとんどの場合、私のものより重い。そして重荷があるからといって、誰も肩身の狭い思いをするべきではないし、誰も1人で重荷を背負うべきではない」
「きつ音の大統領」の誕生をきっかけに、アメリカ、そして世界で、きつ音に対する理解が広がり、その障壁が低くなることが、人々の願いです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/20