新しい年を迎えました。最大級の寒波到来で、記録的な大雪になっている所もあるようです。元日の大阪は、冷たい風が吹き、とても寒い朝でしたが、青空がきれいでした。高村光太郎の「きっぱりと冬が来た」を思い出しました。凜とした空気の中、近くの寝屋川公園を散歩し、2021年のスタートを切りました。
2日は、大学ラグビーの準決勝でした。ラグビーが大好きな僕は、毎年この時期、東京にいて、国立競技場や秩父宮ラグビー場で、観戦していました。今年はそれもできず、自宅でテレビ観戦でした。残念ながら、母校の明治大学は天理大学に負けてしまいました。悔し涙を流した部員たちは、おそらく明日から1年後を目指してまた厳しい練習をしていくのでしょう。僕も、来年を楽しみに待ちます。
元旦の毎日新聞の三省堂の新聞広告(新明解国語辞典)に、「あなたは、どう考えますか」。「新たな1年を思い、これらのことばについて、一緒に考えてみませんか」とあり、「時代」「絆」「レジリエンス」が挙げられていたと仲間が知らせてくれました。
ナラティヴ・アプローチを学んでいた時、「レジリエンスは、伊藤さんたちの活動にぴったりだよ」と教えて下さったのが、愛知県がんセンター緩和病棟の小森康永さんでした。
2015年の第4回吃音講習会のとき、「レジリエンス元年」と位置づけ、それから、どもる人の、どもる子どもたちのもつレジリエンスについて考えてきました。そして、レジリエンスから、オープンダイアローグへ、健康生成論へとつながつていきました。当事者研究、ネガティヴ・ケイパビリティなども加わり、それらは、僕の目指す「吃音哲学」、「どもる子どもの対話的アプローチ」として結びついています。
全国のことばの教室の担当者に向けて、2020年6月頃に書いた、「新型コロナウイルス・吃音・健康生成論」の文章を、2021年の初頭にあたり、紹介します。
新年を迎えて、第1回目の発信です。今年も、よろしくお願いします。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/2
2日は、大学ラグビーの準決勝でした。ラグビーが大好きな僕は、毎年この時期、東京にいて、国立競技場や秩父宮ラグビー場で、観戦していました。今年はそれもできず、自宅でテレビ観戦でした。残念ながら、母校の明治大学は天理大学に負けてしまいました。悔し涙を流した部員たちは、おそらく明日から1年後を目指してまた厳しい練習をしていくのでしょう。僕も、来年を楽しみに待ちます。
元旦の毎日新聞の三省堂の新聞広告(新明解国語辞典)に、「あなたは、どう考えますか」。「新たな1年を思い、これらのことばについて、一緒に考えてみませんか」とあり、「時代」「絆」「レジリエンス」が挙げられていたと仲間が知らせてくれました。
ナラティヴ・アプローチを学んでいた時、「レジリエンスは、伊藤さんたちの活動にぴったりだよ」と教えて下さったのが、愛知県がんセンター緩和病棟の小森康永さんでした。
2015年の第4回吃音講習会のとき、「レジリエンス元年」と位置づけ、それから、どもる人の、どもる子どもたちのもつレジリエンスについて考えてきました。そして、レジリエンスから、オープンダイアローグへ、健康生成論へとつながつていきました。当事者研究、ネガティヴ・ケイパビリティなども加わり、それらは、僕の目指す「吃音哲学」、「どもる子どもの対話的アプローチ」として結びついています。
全国のことばの教室の担当者に向けて、2020年6月頃に書いた、「新型コロナウイルス・吃音・健康生成論」の文章を、2021年の初頭にあたり、紹介します。
新年を迎えて、第1回目の発信です。今年も、よろしくお願いします。
新型コロナウィルス・吃音・健康生成論
伊藤伸二
新型コロナウイルスの感染拡大は、医療、教育、福祉、経済だけでなく、文化、スポーツなど、様々な分野に大きな影響を与えています。コロナが収束してからの私たちの社会がどうなっているのか、様々な予測、論評がなされています。不確実性の高い時代が来たことには間違いなく、問題解決能力(ポジティブ・ケイパビリティ)だけでなく、「答えの出ない事態に耐える力」=消極的能力(ネガティブ・ケイパビリティ)も注目されています。「今、私たちは戦争をしている」と、新型コロナウイルスとの戦いを声高に国民に訴えてきた世界各国のリーダーも、「新型コロナウイルスとの共存」を訴え始め、新しいスタイルの日常生活を提案しています。この一連の動きをみていると、つい、吃音とのつきあい方と共通するものを感じます。
新型コロナウイルスは、新型だけに未知です。未知のものに不安やストレスはつきものです。未知なものに対して、これまで人々は様々な対処で生き延びてきました。アウシュビッツの強制収容所という、命と向き合う過酷な状況下でも健康に生き延びた女性への調査から、健康生成論の首尾一貫感覚(SOCセンス オブ コヒアレンス)が浮かび上がって来ました。首尾一貫感覚は、つぎの三つの感覚です。
☆把握可能感…自分の置かれている状況を一貫性のあるものと理解し、説明や予測が可能だと見なす感覚。
☆処理可能感…困難な状況にあっても、それを解決し、先に進める能力が自分には備わっているし、困難を乗り越える時に必要となる“資源”(相談できる人や、考え方、哲学)があり、それをタイムリーに引き出せる自信があるという感覚。
☆有意味感…今、行っていることが、自分の人生にとって意味のあることで、時間や労力など、一定の犠牲を払うに値するという感覚。
医療、福祉の世界は転換点に立っていると言われてきましたが、新型コロナウイルスはその転換の背中を押したといえそうです。生活習慣病や多様な精神疾患、大災害などによるトラウマやストレス、先の見えない不安などに対し、これまでの、病気の原因を追及し、原因を除去することで病気を治す「疾病生成論」の考えでは立ち行かなくなりました。そこで、改めて注目されているのが、大変な状況の中で健康に生きる人の要因を探る「健康生成論」であり、健康状態を維持し続けた人々に共通していたのが、「把握可能感(わかる)」、「処理可能感(できる)」、「有意味感(意味がある)」の感覚でした。この三要素をバランスよくもつことが重要だと指摘されています。どもる子どもが成長し、これからのストレスが多い社会を生き抜くには、この三つの感覚を育てることが大切だといえるでしょう。
吃音は、歴史は古いものの、未だに原因も解明できず、有効な治療法もない、未知のものともいえそうです。「こわかった、どもりの勉強するまでは」と、ことばの教室に通う小学1年生が「どもりカルタ」に書きました。吃音の問題の本質について学ぶことで「把握可能感」をもつことができます。音読や発表、クラスの役割について、また自分の吃音の問題を、自分の力や周りの力を借りて対処していくことで「処理可能感」が育ちます。豊かに生きるどもる大人の人生を知り、自分の夢を語ることで、学童期に、吃音について学び、取り組むことの「有意味感」をもつことができます。
健康生成論をもとにして、どもる子どもの臨床を考えることは、文部科学省が学習指導要で示した「自立活動の指導内容」とも合致しています。ことばの教室や言語指導室での新しい吃音の臨床の展望を、健康生成論によって探っていきたいと考えています。
どもる子どもが、現在の学校生活でも、将来の社会生活でも、困難な状況に陥った時に対処していく力として、この3つの感覚が育っていることが大切です。ことばの教室でこの3つの感覚を育てていきたいと、親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会や、吃音親子サマーキャンプを実施してきました。これまで私たちが学んできた、論理療法、アサーション、当事者研究、ナラテイヴ・アプローチ、レジリエンスを活用して、「吃音を生き抜く吃音哲学」をつくろうとしています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/1/2