2020年も残り1日となりました。コロナに翻弄されたような1年でした。時間は確実に過ぎているのだけれど、どこかで止まってしまったような、不思議な感覚を覚えます。
21歳で、吃音と共に生きると覚悟を決めてから55年。ラッキーな出逢いの連続で、ここまできたなあとつくづく思います。以前、北海道浦河の「べてるの家」との出会いを紹介する時、人と人とのつながりの不思議さを紹介したことがあります。
1986年の第一回世界大会の出会いの広場を担当して下さった村山正治・九州大学教授から始まり、九州大学留学センターの高松里准教授→大阪セルフヘルプ支援センターの松田博幸・大阪府立大学准教授→読売新聞記者の森川明義さん→人と人とが出会うお寺の應典院の秋田光彦住職→TBSの斉藤道雄ディレクター→2011年、「当事者研究」をテーマにした吃音ショートコースの講師として来て下さった、北海道浦河の「べてるの家」の向谷地生良さん、というふうに。
このように人と人とがつながっていきました。多くの人との出会いで、僕は、今、ここに立っていると思います。2020年が終わろうとしている今、出会ったたくさんの人に感謝の気持ちでいっぱいです。
今日は、そんな不思議な出会いについて1990年5月号のニュースレターの巻頭言に書いた、「一本の糸」を紹介します。ひたむきに取り組む人や集団と結ばれていると思われる一本の糸、今日まで続いてきたこの一本の糸は、今後も、未来へと続いているようです。楽しみながら辿る日が続きます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/30
21歳で、吃音と共に生きると覚悟を決めてから55年。ラッキーな出逢いの連続で、ここまできたなあとつくづく思います。以前、北海道浦河の「べてるの家」との出会いを紹介する時、人と人とのつながりの不思議さを紹介したことがあります。
1986年の第一回世界大会の出会いの広場を担当して下さった村山正治・九州大学教授から始まり、九州大学留学センターの高松里准教授→大阪セルフヘルプ支援センターの松田博幸・大阪府立大学准教授→読売新聞記者の森川明義さん→人と人とが出会うお寺の應典院の秋田光彦住職→TBSの斉藤道雄ディレクター→2011年、「当事者研究」をテーマにした吃音ショートコースの講師として来て下さった、北海道浦河の「べてるの家」の向谷地生良さん、というふうに。
このように人と人とがつながっていきました。多くの人との出会いで、僕は、今、ここに立っていると思います。2020年が終わろうとしている今、出会ったたくさんの人に感謝の気持ちでいっぱいです。
今日は、そんな不思議な出会いについて1990年5月号のニュースレターの巻頭言に書いた、「一本の糸」を紹介します。ひたむきに取り組む人や集団と結ばれていると思われる一本の糸、今日まで続いてきたこの一本の糸は、今後も、未来へと続いているようです。楽しみながら辿る日が続きます。
一本の糸
伊藤伸二
君の行く道は 果てしなく遠い
なのになぜ、何をもとめて
君は行くのか そんなにしてまで
1967年頃の若者の心をとらえた映画に『若者たち』がある。社会の様々な矛盾を若者の目でとらえ、好評だった社会派テレビドラマの映画化だ。地味な映画で、興行価値がないとされ、一般の上映ルートにのらず、いわゆる「お蔵」になっていた。その映画を一般公開に先がけ、最初に上映したのが言友会だった。主演の山本圭さん、監督の森川時久さん等が舞台に立って下さり、私たちの“吃音の公開討論と映画の夕べ”は250人の、当時としては大勢の人を集め成功した。この催しは、どもる人のセルフヘルプグループである言友会が大きく成長していくステップとなった。その後、映画『若者たち』は全国で上映運動が展開されヒットし、続編も制作された。上映運動の先鞭を言友会がつけたことになったのである。
僕の耳はきこえませんが、
みんなの耳もきこえませんでした
でも、だれもうらみません。
さようなら
23年後、『四つの終止符』の最初の上映も私たち言友会だった。1987年、「吃音ワークショップin名古屋」で聴覚障害者と共に観た舞台の映画化だ。年賀状で映画制作を知り、ロケ先の大原秋年さんにどもる人のワークショップで是非上映したいと電話をかけた。6月からの上映開始だが、5月4日ぎりぎりに間に合うと、大変喜んで下さった。
映画だけでなく、上映後の大原秋年さんの話も共感を呼んだ。私財を投げ打って初めての映画作りにかけた熱意が、いい映画をつくり大勢の人々に観てもらいたいという思いが、青春時代の体験談と重なり合って、聞いている私たちに伝わってくる。
その大原さんと夜遅くまで話し合った。また、前日は、番外編で表現よみの指導をして下さった、国語教育の田村利樹さんと話した。お2人との話し合いの中で人と人とのつながりの不思議さを思った。
大原さんには、映画を作るときはこの人にカメラをまわしてもらおうと決めていた人がいたという。その人は故人となり、実現はしなかったが、その人は、映画『若者たち』のカメラマンであった。また、最近、私たちを指導して下さった竹内敏晴さんの演劇研究所に、大原さんは1年ほど在籍していたという。
映画『若者たち』のシナリオを書き、その後ずっと私たちを温かく、厳しく見守って下さっているシナリオライターの山内久さん。今秋、放送予定の山内さんシナリオによるNHKドラマスペシャル『さくら』で、吃音の女の子が登場する。言友会の例会のような場面が出てくるのだが、その時の先生役を、今回、神戸で開催する吃音ワークショップでボイストレーニングを指導して下さった荒谷起吉三さんが演じる。
1982年の吃音ワークショップで、ステテコ姿で表現よみを楽しく指導して下さった東京都立大学教授の大久保忠利さんは、どもる私たちのグループで、表現よみが定着することをいつも気にかけていて下さっている。今回のワークショップ・番外編で表現よみを取り上げることをとても喜んで下さり、わざわざ東京から田村利樹さんを紹介して下さった。
「同じ方向を目指して生きている人たちがここにもいることを知って人間の良さを味わっています。今までの価値観にとらわれることなく、新しい人間観で生きている皆さんたちとこれからもつき合っていきたい」と田村さんが言って下さった。
大原さん、田村さんとの話の中で、今後、私たちに出会わせたい人の話が出た。
大原さんから、戦争孤児について書き続ける『雨にも負けて風にも負けて』の著者・西村滋さん、田村さんからはオペラの山村民也さん、国語教育の管野吉昭さん、などである。話に出たこれらの人たちと是非お会いできればと思う。
人と人が人を結びつけ、それがさらに広がっていく。ひとつのことに、大袈裟に言えば命をかけて、ひたむきに取り組む人や集団は、何か、どこか一本の糸で結ばれているような気がしてならない。今後、この一本の糸がどこへ延び、誰とつながっていくのだろうか。楽しみに辿っていきたい。1990.5.31
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/30