今日、紹介するのは、今から30年前に書いたものです。その時に、以前とは違ってきたことを書いたのですが、30年という年月の間に、さらに社会情勢は大きく変化しました。その変化の加速度はより増しているようです。
価値観の多様化がすすみ、良い方向もあるですが、ちょっと違うなあと感じることも少なくありません。同調圧力が強くなり、異質なものへの寛容度が小さくなったために生きづらさは却って大きくなった面もあるようです。
僕は、どんなに社会が変わろうと、吃音とともに豊かに生きることができるという一点において、55年前と全く変わっていません。そのための発信も続けています。
前回の文章に、「吃音者」のことばを使わないと書きましたが、30年前の文章は「吃音者像」となっています。以前書いたものなのでそのまま使います。
最近使わないことばは、その他にもいくつかありますが、それらを他の人が使うことについては寛容です。しかし、僕たちは絶対に使わないし、周りの人にも使って欲しくないことばがあります。それは「吃音症」です。
吃音の豊かな世界を「症」として、扱う「吃音症」に、僕は断固反対です。どもる人本人も、このことばを使うことに疑問をもたないことに、僕は、残念な、悲しい気持ちになります。そのことについてはまた触れると思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/29
価値観の多様化がすすみ、良い方向もあるですが、ちょっと違うなあと感じることも少なくありません。同調圧力が強くなり、異質なものへの寛容度が小さくなったために生きづらさは却って大きくなった面もあるようです。
僕は、どんなに社会が変わろうと、吃音とともに豊かに生きることができるという一点において、55年前と全く変わっていません。そのための発信も続けています。
前回の文章に、「吃音者」のことばを使わないと書きましたが、30年前の文章は「吃音者像」となっています。以前書いたものなのでそのまま使います。
最近使わないことばは、その他にもいくつかありますが、それらを他の人が使うことについては寛容です。しかし、僕たちは絶対に使わないし、周りの人にも使って欲しくないことばがあります。それは「吃音症」です。
吃音の豊かな世界を「症」として、扱う「吃音症」に、僕は断固反対です。どもる人本人も、このことばを使うことに疑問をもたないことに、僕は、残念な、悲しい気持ちになります。そのことについてはまた触れると思います。
吃音者像
伊藤伸二
16年前「治す努力の否定」を提起したとき、『吃音を自分を肯定して、今を生きよう』というこの提起に共感して下さる方も多かったが、反発、反感、失望も見られた。吃音が治ることも否定するのか、吃音が治っている人がいる現実を無視しているのかなど少しピントのずれた指摘もあったが、「吃音が治りにくいとは分かるが、なぜ治す努力まで否定しなければならないのか?」「治す努力をしても、吃音に負けない生き方ができるのではないか?」。つまり、治す努力とより良く生きることは両立するという主張だった。実際にそのような生き方をしている人がいることは事実だろう。なのになぜあの当時、「治す努力の否定」を提起したのか? 1960年代の若者には、学生運動や小田実の「なんでもみてやろう」のように、何かをやろうというエネルギーがあった。このように私は生きたいという夢があり、さらには時代を捨身で変えようとするエネルギーもあった。このエネルギーは、吃音で悩む人なら吃音を治そうとする姿勢にもつながる。
人生の設計をしたとき、吃音がハンディになると考えた人は、自分のより良い人生を獲得するために、吃音を治そうとした。多くのどもる人は吃音を治す試みに、ある意味で人生をかけたといってよい。しかし、吃音を治そうとしたエネルギーは残念ながら空転し、治らない現実の前で挫折し、時間を浪費した。
「吃音を治そうとする時間やエネルギーを、他にふりかえれば、たとえ吃音が治らずともより良い人生の実現は可能だ。治そう、治そうとすることがかえって自己を否定することにもつながり、さらには逃げの人生に迷いこんでしまう。人の持つエネルギーには限りがあり、何かに集中するためには今あるものを捨てなければならない」
こうして、私は「治す努力の否定」を提起した。
この「治す努力の否定」には、まず、吃音を治そうとするエネルギー、あるいはその他のエネルギーがあることがその前提にある。ある方向に流れているエネルギーを止め、それを別の方向に流す。エネルギーがあるからこそ否定する意味があるのである。しかし、最近のどもる人の吃音への思いは随分と変化した。価値の多様化により、吃音にあまり悩まずにすむ土壌が社会的に形成された一方で、無気力な若者も増えた。これはどもる人だけの現象ではなく、一般の若者に共通で、生きるエネルギーが稀薄になった。これは、どもる人の吃音を治そうとするエネルギーの稀薄へと結びつく。吃音が気にはなっていても是非治したいとは思わず、また治す努力をしようともしないどもる人に「吃音を治す努力の否定」は何のインパクトも与えない。
長年のセルフヘルプグループ活動の中で、セルフヘルプグループに集まるどもる人の意識は確実に変化し、「吃音の受容」は一定の成果があがったが、このようなどもる人を含めた若者の社会現象にも目を向ける必要が出てきた。安直な吃音の受け入れは生きるエネルギーに結びつきにくいのである。
『吃音にもっと悩め、治そうと時には切実に思え。そして動いてみろ。そこからもう一度吃音を人生を考え直せ』
あの頃には思いもよらなかった、つまり逆のことを言ってもいいようなどもる人が増えた。その一方で深刻な悩みを持ち、どもる人のセルフヘルプグループにすら足を向けられないどもる人も増え始めた。
当時のどもる人の熱い思いのほとばしるような体験談を読むと、吃音に悩み、吃音を治そうと思い、精一杯の努力をしてきた姿が浮き彫りにされている。時代が違うよと言われればそれまでだが、1965年の夏に30日間合宿生活をした、「吃音は必ず治る」の宣伝に集まった人たちは このようにエネルギーに満ちたどもる人が少なくなかった。それが、最近、このようなどもる人が少なくなったなあとの思いを改めて持った。
今後、これまでの「吃音を治さなければならない」の型にははまらない、どもる人がいくつもいくつも無数に生まれてくるに違いない。それに対応していくのはそれほどたやすいことではない。どもる人の生きるエネルギーをどう育てればよいか、従来とは違う発想が求められ、より一層の知恵の出し合いと実践が必要である。1990.4.30
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/29