ベーシック・エンカウンターグループは、数人から10人程度の参加者とファシリテーターと呼ばれるスタッフで構成されます。期間中は、ゆったりとした時間の流れの中で、あらかじめ話題を決めない自由な話し合いを中心に過ごします。
僕は、それまで、7日間ほどの長い期間行われる、カウンセリングワークショップといわれた時代のワークショップに数回参加していました。しかし、無理矢理に自分に向き合わせようとするファシリテーターのありかたに疑問をもち、そのようなグループからは遠ざかっていました。
ところが、1989年の年末、翌年3月に10年間経営してきたカレー専門店をやめることにしており、これまでの人生、これからのことを考えたいと思い始めると、急に、ベーシック・エンカウンターグループに参加したくなりました。調べてみると、1986年の第一回吃音問題研究国際大会で出会いの広場を担当して下さった、九州大学の村山正治先生が、大分県の九重高原で4泊5日のベーシックエンカウンターグループをしておられることを知りました。急に思い立ったために、すでに申し込みが締め切られていましたが、そこをなんとか無理をお願いして参加させてもらいました。
これまで経験したグループとは違い、居心地がよく、僕は自由に発言し、笑い、泣き、とてもいい経験をしました。これからもずっと参加したいと思いました。翌年、2回目の参加をしました。そして、3回目の参加申し込みをした時に、村山先生から、ファシリテーターとしての参加を打診されました。臨床心理学を専門に勉強をしたわけでもないので、一瞬は躊躇しましたが、セルフヘルプグループ活動を続けてきた伊藤さんなら大丈夫だと、村山先生が後押しして下さり、引き受けました。その後、九重のエンカウンターグループだけでなく、新しく始まった由布院のエンカウンターグループでは開始から終了までずっと、ファシリテーターをさせていただきました。たくさんの人と出会い、たくさんの人生を聞きました。その経験は僕の中で大きな財産になっています。そのことはまた書いていきたいと思いますが、1989年に最初に参加した時の体験を、1990.2.28付けのニュースレターの巻頭言として書いています。
とても心に残っていて、今も、自分を戒めていることでもあります。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/27
僕は、それまで、7日間ほどの長い期間行われる、カウンセリングワークショップといわれた時代のワークショップに数回参加していました。しかし、無理矢理に自分に向き合わせようとするファシリテーターのありかたに疑問をもち、そのようなグループからは遠ざかっていました。
ところが、1989年の年末、翌年3月に10年間経営してきたカレー専門店をやめることにしており、これまでの人生、これからのことを考えたいと思い始めると、急に、ベーシック・エンカウンターグループに参加したくなりました。調べてみると、1986年の第一回吃音問題研究国際大会で出会いの広場を担当して下さった、九州大学の村山正治先生が、大分県の九重高原で4泊5日のベーシックエンカウンターグループをしておられることを知りました。急に思い立ったために、すでに申し込みが締め切られていましたが、そこをなんとか無理をお願いして参加させてもらいました。
これまで経験したグループとは違い、居心地がよく、僕は自由に発言し、笑い、泣き、とてもいい経験をしました。これからもずっと参加したいと思いました。翌年、2回目の参加をしました。そして、3回目の参加申し込みをした時に、村山先生から、ファシリテーターとしての参加を打診されました。臨床心理学を専門に勉強をしたわけでもないので、一瞬は躊躇しましたが、セルフヘルプグループ活動を続けてきた伊藤さんなら大丈夫だと、村山先生が後押しして下さり、引き受けました。その後、九重のエンカウンターグループだけでなく、新しく始まった由布院のエンカウンターグループでは開始から終了までずっと、ファシリテーターをさせていただきました。たくさんの人と出会い、たくさんの人生を聞きました。その経験は僕の中で大きな財産になっています。そのことはまた書いていきたいと思いますが、1989年に最初に参加した時の体験を、1990.2.28付けのニュースレターの巻頭言として書いています。
とても心に残っていて、今も、自分を戒めていることでもあります。
3つの反省
伊藤伸二
この冬、いくつかのワークショップに参加した。その中のひとつ、べーシック・エンカウンターグループでの恥ずかしい体験を紹介しよう。
反省その1 「みんな」
グループで出される話題は、「このようなものであるべきだ」というようなものはないのだが、グループメンバーが共通に関心を持つ話題とそうでないものがある。勇気を出して自らを開いて提供した話題がメンバーに関心を持たれていないと感じることは寂しい。話題を提供した人が「つまらない話題を出したのじゃないか」と後悔し、自分を責める発言をした。そこでつい「あなたが今ここでその問題を出して下さったこと、みんな喜んでいますよ」と言ってしまった。すかさず「みんなって言わないで下さい」と指摘された。「私は関心を持って聞けました」と言えばいいのを「みんな」と言ってしまう。周りの人も私と同じように思っているだろうと決めつけられた「みんな」こそいい迷惑なのだ。誰かがそのように言えばきっと同じ反応をしただろう。
どもる人のセルフヘルプグループの中での話し合いでは、「大体、どもる人は…」とか「私はいいのだが、どもりの重い人は…」と、私をどこかにおいて一般的なものに広げて、私自身が消えてしまうことがよくある。つまり、私への責任が軽くなるのだ。そのときには「私は〜」と言うようにとかなり厳しい指摘をしている自分自身が、場が違うとこのようなことを言ってしまう。「みんな」ということばはよほど注意しないと使ってしまうものだということを改めて実感した。クラスの一人か二人しか持っていない物を「クラスのみんなが持っているから買って」とせがんだ子どもの頃を思い出した。
反省その2 推察
メンバーの一人が少し混乱し、普段なら気づくであろうことがなかなか気づけない。そのAさんに対し、何人かの人が関わり、その関わりに対してのAさんの反応を聞いて、Bさんは独り言を言った。「えーそんな、残念だ。がっかりだ」。私はてっきりAさんの言動に対して「寂しい、残念」と言っていると察した。そこで「独り言でなく、直接本人に言って下さいませんか」と思わず言ってしまった。「Aさんに対してではない。グループのメンバー全員にがっかりしたんです」とのBさんのことばに驚き、申し訳ないことを言ったと思った。関わるとすれば、「Bさん、今、寂しい、残念と独り言をおっしゃいましたが、よかったら誰に対して、どんなことで、寂しいとお考えなのでしょうか」と問うのが筋なのだ。多分こうであろうと推察し、それをことばに出す。「事実と推察を区別しよう」と、論理療法で学び、日頃自分自身も注意し、他人にもそうしようと言ってきた。その本人が分かったように推察を言ってしまう。言い知れぬほど恥ずかしかった。
反省その3 共感
メンバーの一人がグループの話し合いの中で孤立感を持ったのか、泣きながら「みんな、私の気持ちを分かってくれない」と言った。その人のこれまでのやりとり、そしてその態度から、いろんなことが思いめぐって私も悲しい、寂しい気持ちになり、自然と涙がこぼれた。「あなたの悲しい、寂しい気持ち分かりますよ」と言わずもがなのことばを言ってしまい、居心地が悪かった。訂正しようかと思いながらチャンスをつかめずにいたときに、メンバーの一人に「気持ちが分かったとおっしゃったけど、何が分かったのですか」と質問された。救われた思いで、すぐに応えた。「先程あなたの寂しい気持ちが分かると言いましたが、言い替えます。Cさんの寂しい、悲しいということばとそのことばをおっしゃった姿を見て、いろいろなことが思い浮かび、私も悲しい寂しい気持ちになりました」こう言った後、やっと気持ちが落ち着いた。
相手の気持ちを真に理解することは難しい。理解したつもりになっていることが多い。「あなたの気持ちよく分かります」なんて軽々しく言うことではないのだ。あなたの気持ちというとき、私自身は離れてしまっている。
日頃ことばに気をつけているはずの自分が不用意なことばを使ってしまっている。自分の思いや考えをまっすぐに相手に伝えることの難しさと大切さを改めて気づかされた。
1990.2.28
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/27