むのたけじさんは、第二次世界大戦の敗戦の日、記者としての戦争責任をとるため朝日新聞社を退社し、一貫して戦争絶滅を訴え続けた反骨のジャーナリスト人です。ジャーナリズムがどんどん劣化していく中で、あのような人が今の日本にほとんどいないことが、あまりにも悲しいことです。
日本吃音臨床研究会の月刊紙「スタタリング・ナウ」の前に発行していたニュースレター(1989.12.25記)の僕の巻頭言の文末は、2016年に101歳で亡くなったジャーナリスト、むのたけじさんのことばで締めくくっています。詩集「たいまつ」は、僕の本棚の定位置にあり、今でも、時々読んでは、その中の厳しいことばに、僕は励まされ、勇気づけられています。
文章のタイトルも、むのさんのことばをお借りしました。「自分のコトバに自分の全体重をかけよう」です。最近、ことばの軽さ、軽薄さが目につきます。特に、日本の政治家のことばの軽薄さは、目を覆いたくなるほどです。怒りを通り越して、むなしさ、悲しさに包まれます。自分のことばで、自分を語ることの大切さを、今ほど感じることはありません。かけがえのない自分の人生を、自分のことばで語ること、続けていきたいものです。31年前の文章を紹介します。その前に、僕の心に残る、むのたけじさんのことばをいくつか紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/2
日本吃音臨床研究会の月刊紙「スタタリング・ナウ」の前に発行していたニュースレター(1989.12.25記)の僕の巻頭言の文末は、2016年に101歳で亡くなったジャーナリスト、むのたけじさんのことばで締めくくっています。詩集「たいまつ」は、僕の本棚の定位置にあり、今でも、時々読んでは、その中の厳しいことばに、僕は励まされ、勇気づけられています。
文章のタイトルも、むのさんのことばをお借りしました。「自分のコトバに自分の全体重をかけよう」です。最近、ことばの軽さ、軽薄さが目につきます。特に、日本の政治家のことばの軽薄さは、目を覆いたくなるほどです。怒りを通り越して、むなしさ、悲しさに包まれます。自分のことばで、自分を語ることの大切さを、今ほど感じることはありません。かけがえのない自分の人生を、自分のことばで語ること、続けていきたいものです。31年前の文章を紹介します。その前に、僕の心に残る、むのたけじさんのことばをいくつか紹介します。
・怠けることを何かに抵抗していることだと思うのは、最もみじめな怠惰である。
・暗いことにおびえるな。暗かろうが、在るものは在り、無いものは無い。暗いことで足の運びをごまかされるな。
・美しい生き方があるとすれば、それは自分を鮮明にした生き方である。
・相手からよく学ぶ者だけが、相手によく学ばせることができる。
・自分を変える力をもった一粒は、やがて1,000粒の種子になる。自分から登っていく一歩は、やがて1,000メートルの高さになる。
・夢を持て。夢を見るな。夢は、所有するものだ。見物するものではない。
・憎む相手とは口論をするな。そんなひまがあるなら、憎むものを断つヤイバを研げ。
・倒れないこと、倒されないことが自立ではない。ぶちのめされて、ぶっ倒されて、そして立ち上がるときに自立しはじめる。
・学ぶことをやめれば、人間であることをやめる。生きることは学ぶこと、学ぶことは育つことである。
・きのうは去った。明日はまだ来ない。今日というこの日に、全力を注ぎこもう。どんなにつまらなく思える一日であろうと、今日がなければあすはない。
・今日の失敗は、失敗した原因を正確に反省すれば、明日は武器となり、明後日には財産となる。
・北風の中に春の足音を聴き分ける、そんな耳を持ちたい。美女の舞踊に骸骨の動きを見定める、そんな眼を持ちたい。我を失うほどの窮境に置かれても、決して「はい」と「いいえ」は間違えて発音しない、そんな口を持ちたい。
・水を火に変え、火を土に変え、土を風に変え得るもの、それが<ことば>です。
自分のコトバに自分の全体重をかけよう
伊藤伸二
*社会的には重く暗いニュースが多い中で、こんなにも生きることや毎日の暮らしの中で、人とのつながりを深くまじめに考えている人々がいるのかと思うと、私もしっかりしなくてはと勇気づけられます。(北海道 北見市ことばの教室)
*自分のどもりを悩み抜いたからこそ、記事が実感を持って迫ってくるのでしょうか。これからも本紙を通じて多くのどもる人と心の交流をしたいと思います。(大阪府 どもる当事者)
*全体的には、身近にある問題を、さりげなく、しかも大切なポイントは臆さずに書いてあるように思います。一般の人々にも読んでもらいたいです。(東京都 町田市ことばの教室)
*吃音の解決法が全ての社会人の心配、不安、困難の解決法に通じている。その一つの病気や死の恐怖への対応にも共通していることで、毎号学ぶことが多い。(伊丹仁朗 倉敷柴田病院)
発行しているニュースレターに対するアンケートに好意的な、励ましの回答がたくさん寄せられた。また毎号、感想の手紙を何通もいただく。論理療法で考えた仲人の体験には、多くの反響があった。これらの反響に接するとき、編集・製作に携わる私たちは幸せな気持ちに浸ることができる。私たちが真剣に、熱意をこめて作っているこの情報紙を、読者の方々も真剣に読んで下さっていることが実感でき、胸が熱くなる。製作中に何度も読んでいるのに、刷り上がったものを、また何度も何度も読み返す。そして、その人の人生を思う。
自分自身の吃音とのコミュニケーションのために。私たちを取りまく人々とのコミュニケーションのために。吃音を持ちながら有意義な自分らしい人生を送るために。ことばや人との関わりを深く考えるために。
私たちが月刊紙の内容に特に力を注いだのは、どもる人の自分史であった。どもる人の生々しい体験は時に読む人に共感と感動を与える。そのふれあいの中で劇的にその後の人生が変化する人は事実いる。しかし、多くの人々に真に役立てるにはその人の体験の中の何がその人の人生を妨げ、何がその人の心の解放に影響を与えたか、分析し、整理することが必要である。1975年、3か月かけての全国吃音巡回吃音相談会と一緒に行った、大がかりな全国的などもる人の実態調査の中から、「吃音はそのままでも吃音にとらわれない自由な生き方ができる」という確信を持ち、また私たち自身の体験の整理の中から「吃音者宣言」が生まれた。以来、静かに確かにどもる人の中に吃音者宣言は根づいた。しかし、まだ多くのどもる人は悩みの中にある。そこで、後に続くどもる人のために、吃音者宣言実践編を作ろうと呼びかけた。
どもる人のまとまった自分史、つまり、吃音者宣言実践編が出され、それに対し、吃音研究者、どもる子どもの親、成人のどもる人から感想が寄せられ、今号で掲載することができた。これを機にもっと多くのどもる人の実践記録を集め、それを幅広い立場の人々の協力を得て整理していきたい。「吃音とつき合う」実践の積み重ね、整理、分析は、私たちでしかできない仕事なのだから。
「ことばを語るにせよ、書くにせよ、人それぞれに自分のコトバに自分の全体重をかける態度が大切であってそのように努力してこそコトバは人と人が分かり合うための道具となり、種子となり、人間の暮らしの中に生きるだろう」 −むのたけじ 詞集たいまつ− 1989.12.25
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/2