大阪吃音教室で実際に行った論理療法による個人ワークの様子を、当時のニュースレターから紹介します。自分の問題を出してくれたのはSさん、消防士です。

 
大阪吃音教室報告 論理療法講座 1992.1.31 
                      (報告 徳田和史)

 今回は、参加者の中から個人の問題を出してもらい、伊藤さんがカウンセラーになって、論理療法による個人ワークを行いました。その中のひとつを紙上再現してみます。

伊藤 今、日常生活の中で現実にとても困っているとか、腹が立っているとか、イライラするとか、悩んでいるとか、具体的問題としてあれば、支障がない範囲で出してみて下さい。論理療法の考え方で、多少なりとも自分を楽にすることができるかもしれません。自分の問題を出してみようと思う方いませんか?

消防署に勤務しているSさんが問題を出してくれました。

Sさん 仕事柄、消防車とか救急車に乗務します。昨日も救急車に乗務していたのですが、車輌には無線機が搭載されており、絶えず本部と無線で連絡をします。患者の容体とかを刻々と送信するのですが、緊急の、特に深夜においての場合、早く言わなければいけないと思う気持ちが先に立って、ゆっくりと言えなくなり、どもって言葉が出ない場合があります。言いやすい言葉に言い換えていると時間がかかるので実は困っているのですが。
伊藤 どもって言葉が出なくても、結局は無線はしているんですよね。その無線で、どのような不都合が起こりますか?
Sさん 無線で必要なことは伝えていますが、本部の無線の相手がイライラしているのです。
伊藤 なぜ、相手がイライラしているのが分かるのですか?
Sさん 普段の日常会話の中で、「無線の時はもっと早く話せよ」とか言われるのです。
伊藤 それに対して、あなたはどのように答えるのですか?
Sさん 「何とかつまらないように早く話すようにします」とか言うんですけどね。
伊藤 でも、現実にあなたはどもるので、本部の人の期待通りにはできないのでしょう。今日は、論理療法の講座なので、言葉が出にくいことに対してのアプローチではなく、現実に起こっていることをどう受け止めるかのアプローチですが、それでいいですか?
Sさん はい。
伊藤 今の仕事に就いて何年になりますか?
Sさん 18年です。無線を使い始めてからは2年です。
伊藤 2年間、ずっと今のような気持ちを持っているのですか?今まで自分で解決するために工夫したり、努力したことはありますか?
Sさん これではいけないと思い、落ち込むのですが、努力はしていません。
伊藤 努力をしていないということは、何とかやれているということですか? どういうふうに解釈したらいいのですか? どうしても解決したければ、悪あがきにしろ、いろんなことを工夫して、努力しているはずですが、それをしなかったということは、切羽詰まった問題ではなかったということですか? 上司や無線を伝える相手から、「早く話せ」と指摘されても、その指摘は自分としては耐えられる範囲なんですね。
Sさん まあ、そう言われれば、そうですね、はい。
伊藤 消防士として18年間がんばってきた。そして、2年間は、無線も使ってきた。「おまえ、何を言うてんのや、しようがないなあ」と言われても、2年間がんばってこれたのは事実ですよね。ということは、これからもがんばれるということではありませんか?
Sさん そうですね。そう言われると、少し気が楽になります。自分なりにがんばってきたんだなあという気持ちにもなります。
 アマチュア無線をしたり、電話で練習したことがありますが、練習と現実とでは違いますね。実際の現場では相当精神が動揺していますから。
伊藤 ということは、場面を想定していくら練習しても、緊急な場面で深夜という本番とは状況が違いますね。この問題を解決するには、現実の場面、つまり緊急で深夜という場面で、自分で工夫してみなければしようがない。自分なりの何かをみつけることですね。場面に慣れるということも大切だろうし。
 ただ、失敗した時、うまくいかなかった時に、自分でひどく落ち込まないように自分自身を助ける考えを持つことが大事です。無線でどもらずに早く伝えたいと思うのは当然のことですね。だけど、それを絶対そうしなければならないと考えたら、その仕事を辞めるしかないでしょうね。上司から「おまえは役に立たん」と文句を言われたら、無線のない職場に配置転換してもらうか、転職するしかない。
 無線で早く伝えたいという気持ちは大事で、自分なりに努力はするけれども、それができないからといって自分を責める必要はない。現実に2年間無線と関係してきて、給料がダウンしたわけでもないですよね。「まあ、どもらずに無線できたらいいなあ」程度に考えてみる。「緊急の用だからどもらずに早く伝えるべきだ」の考え方から解放されれば気持ちは楽になりますよ。「早くよりも、確実が大事だ」と考えて、「早く」とせかされて早く言っても、丁寧に言っても、そんなに時間は変わらないと思いますよ。
 ついつい持ってしまっている、非論理的で非現実的で実現不可能な考え方は、一般的には認められている考え方かもしれない。スムースに話すべきだ、緊急の時には早く話すべきだ、などは、一般的には正しい考え方かもしれない。しかし一方、自分自身にとってはどうかと考えてみる。それができない自分ならそれを選択しない。助けてくれるのは自分しかいないのだから。
 早く、うまく話すに越したことはないけれども、うまく話すことができない自分を責めることはやめよう。そして現実に消防署員として本当に不都合なら、上司から配置転換か“クビ”と言ってくるだろうし、そうでない限り自分はちゃんと仕事をこなしているのだ、という考えを持っていいんじゃないでしょうか。
 論理療法の考え方はこう展開していくのですが、Sさんどう感じますか?
Sさん ただ、出勤している各車の全ての者が、自分のどもる無線を聞いているという不安が、なかなか消えません。でも、聞いている人たちが、自分が考えるほどは、気にならない人もいるかもしれないと、今、思いました。
伊藤 なるほどね、全車輌に無線がいくのなら、できればスムースに話したいよね。当然そうだ。「また、あいつ、どもって話している」と思われたくないね。
Sさん そして本部の者が、「早く話せ」と無線を通して言ってくるんですね。自分のペースで話せればいいのですがね。
伊藤 相手のペースに合わせようとしたら、合わせられない僕たちはシンドイね。向こうは向こうのペースがあるから要求してくるでしょう。こちらはこちらのペースがあるのだからそれを通して構わない。やっぱり、相手に合わせようとか、普通にしようとか、そういうことが自分を悩ませている根本かな。
 自分は自分でしかないわけだし、自分のペースでいくしか方法がない。そしてまた論理療法は全て“考え方”の問題として処理してしまおうというわけではなくて、変えられるものであれば、“できごと”に対してもアプローチをしてみてもいいのです。どもらないで無線できるように、吃音の症状をある程度隠したいということであれば、それができるのであれば、それはやってもいい。でも、それができない場合に、できないからといって、自分を責めることはやめよう、ということなんですね。

 以上がSさんに対する個人ワークです。いかがでしょうか。
 事実に基づき、論理的に“考え方”をチェックし、心の中の文章記述を変えてみましょう。“できごと”は同じでも“考え方”を変えれば“悩み”も変わります。自縄自縛の考えを解きましょう。そして人に惑わされないで自分を大切にしましょう。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/11/19