仲人を引き受けると決心してからのNさんは行動的でした。いいと思うことは何でもしようとアクティブに動きました。まず、どもる人の全国大会であるワークショップに参加しました。そのときのテーマは「生きがい療法」でした。
生きがい療法でガンに克つ 表紙 元サイズ ハーフ「生きがい療法」は、倉敷市の柴田病院に勤められていた伊丹仁朗さんが、末期の癌患者とともにモンブラン登頂をしたことで、新聞やテレビで大きく取り上げられました。その伊丹さんの著書「生きがい療法でガンに克つ」を読んだ僕たちは、伊丹さんを講師に迎え、2泊3日のワークショップを開催しました。森田療法的なこの「生きがい療法」は、僕たちの考えと共通することが多く、ワークショップは実り多いものになりました。そのワークショップに、以前、石川県から、息子の結婚式で新郎の父親の挨拶が恐くてできないと何度も大阪に来て僕に相談していた人が参加しました。その人をNさんに紹介しました。その新郎の父親としての挨拶をした人の体験も参考になったようです。
 その後、関西話し方教室のフェスティバルで優勝し、伊丹仁朗さんの「生きがい療法」の1日学習会にも参加しました。自営業で仕事が忙しいにもかかわらず、娘さんの友だちの仲人の挨拶に、ここまで真剣に取り組めるとは、やはりどもる人のまじめさ、真剣さには目を見はるものがあります。仲人の挨拶はひとつのきっかけで、長年、自分を悩ませてきた吃音に50歳代になって初めて向き合うことができたのが、うれしくて、いろいろと活動したかったのかもしれません。
 そんなNさんですが、結婚式が近づいてきて、仲人の挨拶文を作り始めてまた悩みます。平らな道をまっすぐに進んでいくのではないと痛感させられます。くねくねと回りながら、落ち込んだり持ち直したりしながら、吃音とつき合い、吃音とともに生きていくのだと思います。
昨日の続きを紹介します。

5月3・4・5日
 2月に仲人を引き受けると正式に返事をしてかち、とにかくいいと思うことは何でもやってみようと決心した。ゆきづまったり、迷いが出たとき、大阪吃音教室に出てさえいれば、何かが得られる。休んではいけないと思った。その延長で5月の伊丹仁さんを講師にした「生きがい療法」の吃音ワークショップに参加した。大勢のどもる人と出会い、特に新郎の父親としての挨拶で悩んだ体験を持つ人と話し合えたことは有意義だった。また大勢の人の前で悩みながちも仲人をすることになったいきさつを話した。

5月13日
 「関西話し方教室10周年記念フェスティバル」が催される。254人ほどが参加し、15人がスピーチを競う。その前の「話し方教室」で、スピーチを予定した3人が出場を辞退し、その3人の内2人がどもる人だったということを知った。先生から「Nさんは辞退しないで下さいね」と言われた。逃げ出したい私の気持ちを先生は見抜いていた。
 当日、15分前、控え室に行く。何度水を飲んでも喉が乾く。さあ、自分の出番だ。もう仕方がない。どうにでもなれと思った。司会者が私の紹介を始めた。「Nさんは小さい頃からどもりで悩んでおられます」と言って下さったおかげで緊張が少しほぐれた。「みなさん、こんにちは…」うまくスタートできたが、中途でどもり出した。後半またもちなおし、なんとか終わった。控え室に戻ると先生がかけつけ、「Nさん、大変よかったよ」といって下さったが、半信半疑だった。とにかく終わった。全身の力が抜け、ぐったりとしているとき表彰式が始まった。「優秀賞、エントリーナンバー18番、N・Yさん」に、私は耳を疑った。舞台の上で表彰状の朗読を聞いているとき、足が震えた。そして、トロフィーをいただいたときは思わず万歳をしてしまった。雲の上にいるような気分。自分が自分でないように思った。翌朝は4時半に目が覚めた。あの苦しかった出場前、スピーチが終わった後の満足感、表彰式でのあの感激。どもる人間がどもらない人たちと一緒にあのスピーチ大会に出たことを思い出していると、涙が自然にあふれてきた。論理療法のアルバート・エリスが非論理的思考としてあげた、『人生の困難は立ち向かうよりもこれを避けた方が楽である』のことばをふと思い出した。

7月6日
 吃音ワークショップin伊豆で知った「生きがい療法」の学習会が倉敷で行われる。仕事をやりくりして参加した。「生きがい療法」でいう死の恐怖を吃音恐怖に置き換えた。不安を持ちつつもやるべきことはしなければならないという思いを改めて確認した。この学習会に参加する前、私は少し落ちこんでいた。というのは、優秀賞をもらったスピーチコンテストのビデオを見たからだ。うまくやれたと思っていた。優秀賞までもらったのだから。しかし、自分が考えていた以上にひどく醜くどもっている。思わず目をそむけたくなった。舞台で万歳をしたあの感激をそのままにしておきたかった。ビデオなど見るべきではなかったと悔やんだ。優秀賞は「がんばれ!」という意味だったのだと悟った。この日の「生きがい療法」一日勉強会は私にもう一度「がんばれ」と励ましてくれた。

8月6日
 そろそろ仲人の挨拶文を作らなければならない。『仲人のスピーチ』『仲人の仕方』という本を2冊買い、読み始めた。2冊をじっくり読んだが結局は同じことが書いてある。何度も何度も文章を作り、書き直した。言いにくいことばを言いやすいことばに換えるため文章がぎこちない。なかなか納得のできる文章が作れずに思い悩んだ。まだまだ先のことだと思っていたのに、文章を作り始めると不安が急に広がってきた。文章がなかなかできないせいもあって、仕事の合間にもすぐ仲人の挨拶のことが思い浮かぶ。10月10日、うまい具合に病気にならないかな、本当にそう思い始めた。できたら逃げたい。(つづく)      1989年10月26日


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/11/16