50代のどもる人が、娘の友人から仲人の依頼を受けました。仲人としての挨拶でどもってしまい、立ち往生している自分の姿が思い浮かび、悩みます。でも、できるだけのことはしようと、一般市民対象の「話し方教室」に行き、練習しますが、うまくいきません。そして、新聞で見た大阪吃音教室を訪れます。「吃音は治らない」と言われ、参加しても無駄だ、もう参加するのはやめようと思いますが、他に頼る所はなく、参加した3回目の大阪吃音教室のテーマは論理療法でした。彼は、仲人を依頼された話題を出し、みんなで彼の問題を考えました。そして、彼は、仲人を引き受けると決心したのです。吃音のために断ろうと考えていたのですが、論理療法に出会って、仲人を引き受ける決心をし、そして、自分で満足のいく結果となった「仲人体験」を、10ヶ月の心の記録として綴っています。この経験は、論理療法にとっても、吃音と上手につき合うことにとっても、僕にたくさんの示唆を与えてくれました。
N・Yさんの体験を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/11/15
N・Yさんの体験を紹介します。
どもる人間が、仲人を無事終えるまでの10か月に及ぶ心の記録
仲人
N・Y(自営業)
12月18日
私の家によく出入りし、食事やゴルフを共にしていた娘の友人から仲人の依頼があった。喜ばしいことだが、二つ返事で引き受けるわけにはいかない。仲人の挨拶でどもって立往生している自分のみじめな姿が目に浮かんだ。二人が帰った後、「人間は仲人などを頼まれるようになって一人前よ。やってあげなさい」という妻のことばにやってもいいかなとの思いはあった。2月中に正式に引き受けるか、断るかを決めることにし、それまでできるだけのことはやってみようと考えた。
12月27日
初めて「話し方教室」の門をたたいた。最初の自己紹介。「○○から来ましたNです」これだけのことが言えない。どもってどもってとにかく終えたが、不様な姿を初めて人前にさらけ出してしまった。
翌年1月9日
あのときは人前で話した初めての経験だったからあのような結果になったが今度は、との思いもあって、もう一度「話し方教室」に出かけた。この日のテーマは同窓会のスピーチだった。「お忙しい中、25年ぶりの同窓会に…」、手渡された原稿を読もうとしたが、ことばが出てこない。結局、一行も読めなかった。再びみじめな思いをし、これではとても仲人なんか引きうけられない、断らなくてはという思いが一段と高まった。
1月27日
仲人を断ろうとの思いが強まっていたものの、このまま引き下がってしまうのもすっきりしない。嫌な気分の毎日を送っていたとき、新聞で大阪吃音教室を知った。これまで吃音矯正経験のない私は、「吃音教室」と名がつくからには吃音を治してもらえるのではないかと大いなる期待を抱いて参加した。吃音を治すためにいろいろな訓練があるだろうと想像していたが、「大阪吃音教室」の内容は、私の想像していたものと随分と違っていた。
どもりは治らないかもしれないともはっきり言われ、愕然とした。私の求めていたものは、ここでは得られない。しかし、他に頼るものはない。
2月14日
私にとって、3回目の「大阪吃音教室」の日。治らないのなら行ってもむだだとの思いを抱きつつも車は森の宮へ走っている。引き返そうか、何度も迷ううちに車は森の宮に着いてしまった。せっかく来たのだから話だけでも聞いていこうと教室に入った。教室は、参加者の近況報告から始まる。私は今一番悩んでいる仲人の話をした。この日の教室のテーマは論理療法であった。論理療法の説明がなされた後、アルバート・エリスの非論理的思考の一つ『人生の困難はこれに立ち向かうよりこれを避けた方が楽である』が、私の仲人の件という具体例を通して話し合われた。この日が、私と吃音とのつき合いにとって分水嶺となった。みんなの話を聞いていくうちに私の心の中に大きな変化が起こってきた。「仲人を引き受けることにします」と明言してしまった。大阪吃音教室に参加する前とした後の自分が全く別人のようだった。(つづく)
1989年10月26日
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/11/15