「どもりながら、目標を達成する」ため、5か月でひとつのことを成し遂げることに取り組みました。具体的に取り組んだのは、腹話術です。
 大学を卒業して、大学の図書館に勤めたものの、電話は全くとらないし、来館者の応対もしない、そんな彼の勤務態度を見かねた上司の「職場命令」で僕との取り組みが始まりました。話すことから徹底的に逃げていた彼が動き始めたのが「一本の電話」でした。生まれて初めてひどくどもりながら、腹話術の情報を得るという目的を達成した彼は、「どもっていたら、何もできない」の物語(ナラティヴ)を、「どもっていても、相手は話を聞いてくれる」の物語に変えることができました。そして、5か月の取り組みのひとつの成果として200人もの人の前で、「なぜ、私が腹話術に取り組んだのか」の話をして、実際に腹話術を披露しました。
 子どものころから、「どもるからかわいそう」との母親の甘やかしで、買い物も電話も一切してこなかった彼が、「一本の電話」をきっかけに行動をしていくことに立ち会えたことは、僕にとって貴重な経験でした。彼との取り組みの中で、「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」という僕の仮説が有効だと証明されました。
 その数年後、知人の大阪教育大学の図書館の係長から、彼が図書館学の研究会などで、積極的に活動をしていることを聞いた時は、涙が出そうになりました。彼との取り組みを「研究紀要」を紹介しながら、大学や専門学校で講義をするときには、彼に電話をして、近況を聞いていました。図書館員として立派に仕事を続けていることを確認し、講義の中で彼の話をしていたのです。僕にとっては、大きな大きな出会いでした。
 「どもることは恥ずかしく、劣ったもので、治さなければいけない」との吃音に関するドミナント・ストーリーを「吃音と共に豊かに生きることはできる」とのオルタナティヴ・ストーリーに変える実践をしていたことになります。最近学んでいる、「ナラティヴ・アプローチ」をしていたのだと、彼との実践を振り返って思います。
 「全国大会で腹話術をやったことは、僕にとって一つの実績でした」と彼は言います。彼が思う以上に、彼との取り組みは、「吃音を治す努力の否定」を提起する、僕にとって大きな実績でした。
 
行動する吃音者へ (4)
                          N・I
 200人の前で
 いよいよ5月になりました。本番に先立って練習しておこうと思い、相談に行った時、Iさんの前でためしに演じてみました。結果は、みじめな失敗でした。「やはり、人前へ出ると駄目なのかなあ」とガッカリしてしまいましたが、とにかく、言葉づかいをもっとざっくばらんにし、リラックスして話せるよう、台本を書きかえました。
 全国大会は、5月3・4・5日の3日間、高野山で行われました。大会に参加したことは、僕にとって貴重な体験でした。多くのどもりの人々が明るく詰し合い、友達になっている。そこには、さまざまなどもり方や、どもりに対する考え方があり、それを知っただけでも、多いに参考になったからです。
 5日の朝、神山先生の講演がありました。その中で先生は、3ヶ月から6ケ月くらいに期間を切って、自分のやりたいことを死ぬ気になってやりなさい、という意味のことをおっしゃいました。僕が腹話術をやってきたのは、実はこのことだったのです。しかし、とても死ぬ気でやったとは言えませんでした。そこで僕としては、今からでも発奮してなんとかやりとげなければ!と、決意を固めたのです。
 午前11時過ぎ、研究発表が始まりました。僕は一番最後だったので、多少安心していたのですが、自分の本番が近づくにつれて、次第次第に心臓が高なり、緊張は強まっていきました。「この場から逃げだしたい」そんな思いが頭をかすめたりもしました。しかし、がんばろうという意欲が、それをおしとどめてくれました。
 いよいよ、僕の出番がやってきました。名前を呼ばれて立ち上がる時に、少し気遅れを感じましたが、前へ出てしまうと、案外落ちついていることができました。かえって、どもりまくってやろうと思っていましたので、最初の「こんにちは」がひっかかっても、あわてることはありませんでした。今まで目の前にしたことのないほど多くの人々が、僕を見つめています。自分があがってしまって、言葉がまったくつかえてしまわないのが、不思議なくらいでした。
 腹話術を演じる段になって、練習の時の失敗が、ちらりと脳裏をかすめました。しかし、あの時の恥ずかしさは、もはや感じません。そこで、思いきって演じてみました。すると不思議なことに、今まで練習でもできなかった程うまくいったのです。人形の声でどもらず、自分の声でどもったのがうけたり、予想外の所で、皆がどっとわいたりして、思いがけない成功をかざることができました。

新しい境地をめざして
 全国大会で腹話術をやったことは、僕にとって一つの実績でした。この実績が、どもりへのとらわれをなくしていく足がかりになるでしょう。しかし、最近は、どもることが以前に比べてこわくなくなったかわり、現実に目を据えるようになったため、かえって精神的に苦しい状態なのです。空想の世界への逃げ道を、断ち切ることには成功しつつある、と思いますが、まだまだ現実は僕に手ごわく、ままならないのです。
 とにかく、今は、どもりを持ったまま生きる、という境地をめざして、いよいよ歩きだしたところです。次のステップをめざして、意気込みも新たに頑張ろうと思っています。

参考図書
『知的生産の技術』梅樟忠夫著(岩波書店)
『発想法』川喜田二郎著(中央公論社)
『石橋を叩けば渡れない』西堀栄三郎著(日本生産性本部)  (了)


 N・Iさんの体験を、彼との面接を続けた僕が、勤務先の大阪教育大学の研究紀要に掲載したのが下記の論文です。
「成人吃音者の一処遇例〜治す努力を否定して」1975年 大阪教育大学紀要 NO.24

 日本吃音臨床研究会のホームページのバナー「伊藤伸二のページ」の<研究業績 著書・論文>の7番目に掲載しています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/11/1