昨日のつづきです。吃音の症状が重く、人生に消極的になっている彼が、僕との関わりで変われば、「吃音を治す努力は一切しない」僕の方針が間違っていないことになります。彼とはこんな約束をしました。「僕は国家公務員で国から給料をもらっているので、一週間に90分の面接料は一切いらない。そのかわり、僕が出した宿題は必ずしてくる。その約束が守れるなら、僕は君のために一週間に一度の面接を引き受ける。それが条件だ」と言いました。彼が「宿題は必ずする」と約束をしたので、彼との取り組みが始まりました。
 「吃音が治ったとしたら、君が一番したいことは何か」と彼に聞くと、「彼女が欲しい」と言いました。「それでは、6か月で彼女をつくるために、一緒に取り組もう」と提案し、「彼女をつくるために何をするか」を、僕の助手の成人のどもる人と3人でいろいろとアイデアを出しました。話し合いながら、アイデアをシールに書いていきました。そして、作り方を教えて、K・J法の図解を作ってくるようにと宿題を出しました。ところが、次の面接の日、彼は宿題をして来ませんでした。「なぜしなかったのか」と尋ねると、「模造紙がどこで売っているのか分からなかったから」と言うのです。文房具店で買えることを知らないことに、本当にびっくりしました。子どものころから、親が全ての必要なものを買い与え、彼はひとりで買い物に行ったことがなかったのです。そこで、「なぜ宿題をしなかったのか」、いろいろと質問をしていきました。今度は必ず、K・J法の図解を作ってくるように約束しました。この宿題で、彼の課題が明らかになっていきました。

  
行動する吃音者へ (2)
                           N・I
転機、そして
 そういうわけで、K先生にご相談させていただいたのが、社会人一年生の去年の秋でした。僕はその時、どもりについて次のように考えていました。「人前でどもってでもどんどん話し、どもっても平気でいられるよう性格を強化すれば、その結果どもりは治るだろうから、そこではじめて自分のやりたいことをやろう…」と。
 しかし、K先生のお考えは、どもりを持ちながら生きていこうというものでした。どもりはなおらないという覚悟から、欠陥を持ったままでどうしたらいいのか、という積極的な発想の大切なことを教えて下さいました。
 当時の僕は、どもりを治すという努力をなぜ放棄するんだろうと疑問に思いました。どもりながら行動できるのならそれでいいかもしれないが、治すに越したことはないのではないか、と。
 後になってわかった事ですが、どもりながら生きていくというのは、ひとつの開き直りだったのです。どもってはいけないという気持ちをほぐすためには、すらすらしゃべれることへの馬鹿げたイメージを打ち崩し、どもりは治らない、という開き直りに達することが肝要だと思います。どもりを治せば行勤できるからどもりを治すのではなく、どもりは治らないし、治ったところでどうということはない。それなら、どもってもやりたい事をやり、悔いのない人生を送ろうではないか、ということなのです。
 今までの悪循環の逆手をとるわけですが、この発想の転換はすぐに出来たわけではなく、その時は、まだまだ半信半疑の状態でした。
 相談の結果、11月の末から一週間に一度、定期的に相談に通うことになりました。それでも、はじめの頃は、まだ空想の世界へ逃げこんで自分を守る癖から抜けきれず、現実の行動に取り組む意欲も何もありませんでした。現実の苦しさから逃げず、空想の誘惑を、断ち切って現実を見据えるためにしなくてはならないことがありました。そしてそのきっかけとなるでき事は、意外に早く訪れたのです。
 私の相談相手に決まったIさんとの週に一度の面接がはじまりました。第2回の面接で、「女性にもてるには?」というテーマのK・J法を行うために、自由に話し合いました。そして、そのテープを僕が家へ持って帰り、K・J法を完成してくることになったわけです。
 ところが、一週間たって相談に行った時、僕はK・J法をやっていきませんでした。決して忘れたのではなく、やらなくてもいいんだと勝手に解釈してさぼってしまったのです。一応、テープを聴いて、ラベルに書き取るところまではやりましたが、最後まで完成させるとなると、模造紙やマジック・インキなどを購入しなくてはならず、大変な作業のように思えて、まさか最初からそこまで要求されることはないだろうと、高をくくっていました。そして、この勝手な合理化、甘えこそが僕にとってどもるという事実以上に問題であることを、「何故K・J法をさぼったか?」のK・J法をすることによって明らかにしていくことができたのです。
 これは重要な発見でした。しなければならない事でも困難を感じると、自分に対してなんとか理屈をつけて逃がれ、あくまでも自分は誠実なんだと思い込むこと、この慰安こそが僕の空想の本質だったのです。
 僕にとって行動への第一歩とは、この空想の世界への入り口を閉じることでした。「行動への尻込みから生じる言いわけを拒絶し、自分を厳しく追いこんでいくことが、自己を空想から現実に引きもどす重要な鍵なのだ。今の僕には、どもっても行勤し、自的達成の実績を積み重ねていくことが最も必要とされているんだ」そう気づいたのは、それから間もなくのことでした。
 新年に入ってから、西堀栄三郎著『石橋を叩けば渡れない』を読みました。読んだ当初は、少なからぬ抵抗を覚え、「哲学がない」、「盲目的行動信仰だ」と批判したくなりました。しかし考えてみると、僕のこの態度こそが自分の消極さをごまかすためのよろいであり、打ち崩さねばならない偶像だったのです。
 「いいことをしようとする意志さえあれば、うまくいかなくてもそれは誠実な態度だ」というのが僕の長い間の考えでした。むろんこれが誤っているとは思いませんが、これを隠れみのにして自己の消極性を正当化していた点が問題なのです。
 最近では、何事もやってみなくてはわからないし、それに、その結果とは別のところに意外な収穫があるかもしれない、という考えに変わってきています。行動のイメージをマイナスからプラスへ転換させようというわけなのです。
 こうした行動に対する考え方の変化が、僕をして著者の言わんとする所を理解せしめていきました。未知の経験の大切なこと、そしてその心構えの積極的なあり方など、学ぶことは多かったのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/30