前回にも書きましたが、大阪教育大学の研究紀要に書いた、彼との出会いは、僕にとって極めて大きな意味をもちました。彼はどもる状態は極めて重く、おまけに舌が出る随伴症状があり、吃音に向き合うことにも、吃音に取り組むことにも、消極的になっていました。しかし、実際の所は、彼はあまり困っていませんでした。職場で電話は一切とらないし、図書館の来館者が質問をしてきても全て逃げて、職場では「どもる」ことはほとんどなかったからです。困ったのは彼よりも上司でした。上司はいろいろと調べて、大阪教育大学には言語障害の研究室があって、その主任教授もどもる人なので、なんとか治してくれるだろうと考えたようです。そして、相談を受けた主任教授から、バトンタッチされて、直接関わるようになったのが僕でした。6か月で大きく変わった彼ですが、当時を振り返って、体験を書いていました。その体験を紹介していきます。
 日本吃音臨床研究会のホームページに紹介している論文『成人吃音者の一処遇例−治す努力を否定して』(1975年 大阪教育大学紀要 NO.24)と合わせてお読み下さい。

      
行動する吃音者へ (1)
                               N・I
幼年時代
 僕の幼年時代に関する記憶は、おおむね断片的かつあいまいで、どもるようになったいきさつ等については、まったく思い出すことができません。僕の記憶では幼稚園に入る前からどもっていたようです。赤ん坊の頃から神経質で落ち着きがなく、よく母の手を焼かせたそうです。そして、やり場のない不安を解消するためか、時々お寝小をしました。それは小学校の5年生頃まで続きました。小学校時代は情緒が不安定で、よく喧嘩をしました。クラスの中ではおとなしいほうではなく、スポーツや勉強もよくできましたが、いったん親しい人達から離れると、借りてきた猫のようにおとなしくなり、まったく何もできなくなってしまうのでした。

吃音矯正を通して
 高校1年の夏休みに、親にすすめられ、大阪の民間矯正所へ通いました。ここでは、「正しい」口形と呼吸の方法を習ったほか、どもりは必ず治るという確信を得ました。どもりは必ず治るという確信は、それまでまったく持ったことがありませんでしたので、どもりが完全に治ることへの激しいあこがれが僕の心に湧いてきました。「どもりは必ず治る。いや、治さねばならない」と。
 しかし、習った話し方がたいそう特殊なものでしたから、人前でとてもその話し方をおこなうことができませんでした。しかも話す時には、やはりどもるのが嫌なので、どうしてもどもりを隠そうとしてしまいます。そして、どもらないことへのあこがれが強くなっているために、逆にどもりへの嫌悪感が強くなってきたのです。その結果、どもってはいけない、どもることは悪いことだという強迫観念のようなものができてしまったのです。これは、本当にまずいことでした。
 とにかく、自分の意志を相手に伝えるという目的よりも、どもるかどもらないかということに大きな注意が向きました。すると自分の意志を伝えねばならないときでも、どもるのがいやで黙っているという事態がおこってきたのです。やがて、すべての責任をのがれるようになり、話さねばならない場所へはできるだけ出ないようになりました。
 そういうわけで、僕はだんだん現実から逃避し、空想の世界に入り込むようになっていきました。そして、現実と空想は離れてゆき、空想の世界にのみ自分の満足を見出すようになっていったのです。
 吃音矯正所へ通い終わってしばらくしてから、それまでは普通の、ことばが出ない、難発だったのが、言おうとすると舌が出てしまうようになってきたのです。これは、現在まで治ることなく尾をひいています。
 しかし、とにかく何が起ころうと空想の世界に入れば忘れられましたし、現実の世界での居心地の悪さはそれで帳消しになっていったのです。
 高校3年生の春、母にすすめられ、別の所でもう一度吃音矯正をうけました。ここでの矯正法は、意志の力でどもりをのり越えようというものでした。「勇気の中にどもりは住めぬ」とか「どもりの全責任を自分で負おう」という具合で、どもりが心の問題であることを強調していたようです。
 ここでの具体的な矯正方法としては、実地訓練がありました。街へ出て通りがかりの人に道をたずねたりするのですが、これが案外度胸づけになり、一時的にどもらなくなりました。しかし、僕の場合どもれば舌が出て、それがとても気にかかり、どもりながら話すということはできませんでした。従って、一時的に効果のあがったこの方法も、かえってどもりを隠す練習をしてしまう結果に終わってしまいました。
 大学時代は、実地訓練をしても失敗することが多くなりました。そこで、こんどはどもっても平気でいられる精神力を持てば、逆にどもらなくなるのだという考えが強くなってきました。しかし、こっそりと精神力をつけどもりを治してからみんなの前へ出たいという気持が強かったため、現実の場において積極的に行動することはできませんでした。
 大学を卒業し就職してからは、話さねばならない事態にたびたび直面し、どもって嫌な思いをする機会が多くなりました。しかし、仕事ですから逃げるわけにはいかず、段々気分的にせっぱつまってきたのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/29