大阪吃音教室の講座「職場での吃音」を紹介しました。続いて、大阪吃音教室の定番の講座「どもって声が出ないときの対処法」を紹介するつもりでいたのですが、日本吃音臨床研究会のホームページを更新し、僕の論文を掲載してもらったので、そのことについてお知らせします。
 「吃音を治す努力の否定」が論文として出てきた最初です。1975年の論文です。

 これは、僕が、講演や講義でよく話す、ひとりのどもる男性の話です。彼とは、僕が大阪教育大学に勤めていたころ、出会いました。彼との面接の記録を、大阪教育大学の紀要に載せました。
 彼は、かなりどもります。僕が出会ったどもる人の中で、ベスト3に入るくらいの人です。彼は、図書館に勤めていたのですが、来館者との応対も、職場の会議での発言も、同僚との会話も、うまくできていなかったようです。そのため、仕事に支障が出て、上司の命令で、大阪教育大学の僕の研究室を訪れました。しかし、僕は、彼のどもりを治すことはできません。僕は、彼のどもる症状より、彼の、すべてに消極的な行動パターンの方が気になりました。そこで、彼に、「僕はあなたのどもりは治せないし、治そうと思わない。でも、吃音のために消極的になっている、あなたの行動パターンは一緒に変えていけると思う。それでよかったらやっていこう」と伝えました。どもりながら、自分らしく豊かに生きていくことを提案したのです。この論文を書いたのは、1975年、今から45年前のことです。「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」という実践でした。

 その頃流行っていたKJ法を使い、彼と一緒に、彼の行動パターンを図解していきました。その取り組みによって、彼は、少しずつ、自分の行動パターンに気づいていきました。 また、彼の吃音には特徴がありました。それは、彼の、いわゆる随伴症状でした。彼自身も、どもることはもちろん気になっていましたが、それより随伴症状の方が気になっているようでした。彼の随伴症状は、話そうとすると、舌が出るというものだったのです。
 治す試みはしないといいながら、僕は、舌が出るということを頭に置いて、彼の行動パターンを変えるひとつの提案をしました。それは、6ヶ月後に迫った、どもる人たちの全国大会での発表でした。

 言語聴覚士養成の専門学校の講義では、よくこの事例を提示し、彼についてひととおりの情報提供をした後、では、どんな取り組みを提案したのだろうか、グループごとに話し合い、発表してもらいました。論文に書いてあることをそのまま紹介するより、ずっと興味を持って考えてもらえたようです。
 さて、僕が提案したことは何でしょう。
 ホームページに掲載されている論文を読めばすぐ分かりますが、その前にぜひ、想像してみて下さい。

 この論文は、日本吃音臨床研究会のホームページに掲載されています。トップページに、9個のバナーがあります。その中の「伊藤伸二のページ」の中の、研究業績 論文・著書のところをクリックして下さい。まず、著書が出てきて、その後に、執筆論文が出てきます。執筆論文の7番目に「成人吃音者の一処遇例〜治す努力を否定して」(1975年 『大阪教育大学紀要』NO.24)の論文を読むことができます。

 「明るく、積極的で、吃音の症状の軽い人なら、できるかも知れないが、吃音の症状が重く、消極的な人には無理だ。やはり吃音症状を改善することが先決だ」
 僕が「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」と提唱すると、よく出された批判です。だから、彼と出会ったとき、彼が大きく変わっていけば、僕の考え方は正しいことになると考えて、一所懸命彼と関わりました。6か月の関わりで彼は見事に変わり、3年後には舌が出る随伴症状もなくなり、吃音そのものも大きく変わりました。
 彼と関わらなかったら、僕は自信をもって僕の考えを推し進めることができなかったかもしれません。僕にとっては恩人のような来談者でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/28