鹿児島のことばの教室担当者である溝上茂樹さんによる、第28回吃音親子サマーキャンプの報告のつづきです。話し合いに続いて、もうひとつのキャンプの大きな柱である劇と、恒例となった卒業式についてです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/14
吃音親子サマーキャンプに導かれて(4)
鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹
みんなで一体になって取り組む劇
話し合いと並んでもうひとつのキャンプの柱の劇は、「モモとと灰色の男たち」でした。これは、2010年第21回のキャンプでも上演された劇で、私はその時は、サマーキャンプの1ヶ月前に行われた劇の指導のためのスタッフの事前合宿に参加しました。私が演じたのは床屋のフージーさん。劇はとても苦手なので、できれば避けたいことでした。かなり緊張していたのか、合宿の初日の夜に飲んだ紙コップ一杯のビールで夜中に気分が悪くなり、次の日の練習はふらふらになりながら練習したのを覚えています。避けたいはずの劇なのに、なぜ事前の合宿にも参加したのか、今でもよく分かりませんが、避けたい気持ちよりみんなと劇をやりたいという気持ちが上まわったとしか言えません。結局、子どもたちの前で見本として演じる本番はうまく演じることはできなかったような感じがしますが、終わった後、経験したことのない達成感を感じたのを覚えています。
今年の劇が終わった後の子どもたちの感想の中にも「灰色の男をやって、アドリブで倒れるときにしりもちをついたら痛かった」「工夫してやってみた最後の万歳が楽しかった」「仕事のお笑い芸人がおもしろかった」「ぼくらの漫才がそんなに笑われると思ってなかったので、むっちゃうれしかった」など、自分たちが話し合って、演技の工夫をして演じたことが観客に大いに受けたことで、達成感が感じられたようです。
子どもたちの劇の上演の前座として、保護者によるパフォーマンスが行われます。毎年、工藤直子さんの「のはらうた」からとった「荒神山ののはらうた」と題する詩で構成されたものです。子どもたちは、自分たちの出番の前に繰り広げられる、家では見たことのない親の姿に驚き、勇気をもらうようです。保護者の中にも、実は人前でのパフォーマンスが苦手だという人もいるでしょう。しかし、子どもも苦手なことに取り組んでいるのだからと、自分を奮い立たせている人もいると聞きました。卒業式で挨拶した保護者のひとりが、「もし皆さんがお知り合いの方に、この吃音親子サマーキャンプのことを紹介するときには、とりあえず作文とパフォーマンスのことは隠して、だまして連れてきて下さい。私も苦手だったパフォーマンスと作文からやっと卒業させていただきます」と笑いながら話していました。このお父さん、パフォーマンスの練習では率先してみんなをリードし、心の底から楽しんでいる様子でした。「恥ずかしかった」と言っていたお母さんが、参加回数を重ねるにつれて、熱が入り、女優のように熱演している様子も見てきました。子どもも親もスタッフも、ともに、苦手なことに一緒になって取り組むことに意味があるのだと感じます。仲間の力を借りて、少し自分自身を奮い立たせて、苦手なことに挑戦しているということなのでしょう。
卒業式
「子どもによっては、なかなか話し合いに参加できなかったり、劇に加われなかったりする子もいると思いますが、この場の空気に触れるだけでいいのです。それぞれの参加の仕方があります。その中でのいろいろな経験が、この三日間の中で積み重なっていくのだろうと思います。このサマーキャンプに連れてくることだけで、親の役割は十分に果たしたと、いつも思っています」
伊藤伸二さんのことばで卒業式が始まりました。
今年の卒業生は4名です。
こうき : キャンプに参加するようになって、吃音のとらえ方や考え方が変わりました。最初の頃は、治したいと思っていたけど、気にしなくていいんだと思えて、気持ちが前向きになりました。友だちもいっぱいできたし、自分にとってサマーキャンプは、前向きになろう、また一年がんばろうと思える場所となりました。大学に行くと環境が変わるので不安もありますが、前向きな気持ちで一日一日過ごせたらいいなと思っています。
えんじゅ : 初めてキャンプに参加したのは小学生6年生の時、半ば、無理矢理引っ張って来られたような感じでした。昔からことばが出づらいと思ったときはあったんですが、吃音ということばも知らず、あまり気にしていませんでした。でも、小5、6年ぐらいに顕著になり、どうしても音読ができませんでした。読もうと思っても読めないし、でも先生は当ててくるし、周りからからかわれても、一体何が起こっているのか分からないので言い返しようもなかった。ちょうど反抗期と重なって、精神的にもぐらぐらしたときがあり、その時が一番しんどかった。そんなときにサマーキャンプに初めて参加したのです。まず驚いたのが、自分以外にも同じようなどもる人がいっぱいいるのを知ったことです。そこで自分だけではないんだと安心できた。自分に起こっていることなのに何なのか分からないものにちゃんと「吃音」という名前がついていたということにも安心した。どもりについて話すことは今までなかったことなので、みんなで話し合いをして、1回参加しただけでも、だいぶ価値観や考え方が変わりました。結局5回参加しましたが、ようやくちょうどいい向き合い方をつかんだように思います。やっぱり回数を重ねることは大事だと思います。最初は本当に、どもることが嫌で、本当にこんなのなかったらいいのにと思っていました。今は、いろんな場で困ることがあるから好きではないけれど、まあ自分の一部みたいになり、どもったらどもったでしょうがないか、みたいな楽観的な感じになれたのがよかったと思います。初めは、同学年の子がいなかったんですが、卒業した年上の子や年下の子たちも、話しかけたら返してくれるし、小学生なんかは何もなくても寄ってくるし、私はそういうことがあまり得意ではないから、素直にうれしいです。やっぱり普通の友だちとは違う感覚、同じ吃音というものをもっているという前提で集まっているというのが違うなと思って、ここで出会った人たちは大事だなあと思います。貴重な経験でした。ここに参加しなかったら、今頃、どんなにひん曲がった人間になっていたか分からないので、このキャンプに参加してよかったと思います。
たいち : 初めてサマーキャンプに参加したのは、中学1年生の時で、それから連続で参加しました。初めて参加したときにびっくりしたことは、たくさんのどもる人に出会えたことです。僕よりひどくどもる人もいれば、軽い人もいたけれど、自分とは違うどもる人に出会え、それぞれの経験を聞けたので、そこから学べることがいろいろありました。同年代の子と、学校で嫌なことがあったとか、吃音でからかわれたとかいう話もしたけれど、でも自分以外にも同じ思いをしている子がいるんだ、みんながその中でがんばっているんだと聞いてとても救われました。どもっていても、その前にひとりの人間であることに変わりはないということを強く思いました。
あおい : 小学6年生で初めて参加して、本当に安心し、ほっとできました。サマーキャンプから帰った後、吃音について、いろいろ調べてみました。2年目の中学1年生のときに、「僕と吃音は、切っても切れない」と作文に書いたことを覚えています。今、高校3年生になり卒業を迎え、改めて思うことは、本当にサマーキャンプに参加してから性格も明るくなって行動も積極的になったということです。今の自分があるのは、小学六年生で吃音サマーキャンプに参加できたからだと思います。そして、自分が吃音だったから、いい自分になれたんじゃないかと思います。本当に、吃音とは、切っても切れないいい仲になったので、感謝しています。
メモを読む子どもは一人もいません。一人一人がちゃんと前を向いて、自分で考えたことを、自分のことばで話していきます。真摯に語る4人の姿は、本当に頼もしい存在でした。
伊藤さんの「最後にこの4人の前途に祝あれとみんなで大きな拍手で送りましょう」のことばで卒業式が終わりました。(2018.7.21)(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/14