鹿児島のことばの教室担当者である溝上茂樹さんによる、第28回吃音親子サマーキャンプの報告のつづきです。溝上さんの自分自身のことや、キャンプの感想が続きましたが、いよいよ、本題の第28回吃音親子サマーキャンプの報告に入ります。まず、キャンプの大きな柱の話し合いについてです。子どもたちの生の声をたくさん拾ってくれています。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/13
吃音親子サマーキャンプに導かれて(3)
鹿児島市立名山小学校 ことばの教室 溝上茂樹
第28回吃音親子サマーキャンプ報告
話し合い 1日目
キャンプの目玉の活動である話し合いは、初日の1時間半と翌朝2時間、設定されています。小学低・中・高学年と中学生、高校生のグループに分かれ、ファシリテーターとして、話し合いを深める役割を担ったどもる成人やことばの教室の教員、言語聴覚士がそれぞれのグループに入ります。私は小学5・6年生のグループに参加しました。
1回目の話し合いは自己紹介から始まりました。名前やどこから来たか以外にキャンプに来た理由などについて話していきます。「ここではほぼ全員の人がどもっているので、どもりについて話し合いたいなと思って来ました」「特に理由はないけれど、自分と同じようにどもる人と全然会話をしたことがないから話したくて来ました」「来るのは2回目です。1回目の時に、同じようにどもる人と一緒に話して気持ちが分かるようになって、よかったからです」「今年で2回目です。1回目ですぐ友だちもできて、その友だちが、会えるの楽しみにしているよと言ってくれたので、2回目も来ました。学校だったら早く言えと急かされるけれど、ここでは急かされることもなく、安心して話せるし、みんなの思いが分かるから参加しました」。
子どもたちが話すキャンプに来た理由から「普段の生活の中ではどもるのは自分だけ」という孤独感を感じました。そして、だからこそ、同じようにどもる仲間とつながりたい、どもりについて話し合いたいという強い気持ちが感じられました。
まず、自己紹介の中にあった「学校だったら急かされる」という話題で話し合いが始まりました。「急かされるのか?」の問いかけには、「たまにある」「それはない」「1年生から一緒の子は大丈夫だけど、転校生は自分の吃音のことが分からないから、急かされることもある。でも、みんなが転校生に教えてくれるから大丈夫」など様々だった。
そんな中で「急かされるのではなくて、無視される」と話す子がいました。みんなで詳しく聞いていくと、「言いたいことがあっても待ってくれなくてどんどん話が進んで、話が別の方向に行ったり、自分が言う前に話が終わったりしてしまう。言いたいことがあっても結果的に何も言えない」との様子を「無視される」と表現しました。そのことが、友だちや先生との関係の悪化につながったり、不登校や途中で家に帰ってしまう行動の原因の一部になっているのかもしれません。
次に「自分と同じ病気」と言った子どものことばから、「吃音は障害か病気か、どちらでもないか」という話題になりました。「病気ということばを使っていたけど、病気だと思うの?」と、みんなに投げかけると、「障害じゃないし、病気でもない。障害と病気の中間くらい」「病気でもないし、障害でもない。障害っていうほど深くない」「治らない病気だというわけでもない」「おおざっぱに言うと、病気か障害だろうけど、でも障害ではない」「そんなに深くもないけど、軽くはない」などの考えが出され、更に話し合っていく中で、「吃音は、普通にしゃべれたりどもったりする波があるから障害じゃない」「病気だったら、薬で治る。吃音って病名じゃないし、病気だったら治らない病気もあるけど、吃音っていう障害名ではない」「病気ってなんか身体に怪我とか異変があるようなこと。異変がないから病気とはいえないと思う」など、子どもたちの多様な吃音に対する考えが出されました。
話し合い 2日目
2日目の話し合いでは、昨日出されていた、「友だちとの会話で、どもっている間に話題がどんどん通り過ぎていって嫌な思いをするときに、周りの人にどうしてほしいか」について話し合いました。「どもっていても、ずっと聞いてほしい」「時間がかかっても聞いてほしい」「ことばが出ないときに、こうじゃないかなというのが予想できたら、言ってほしい」など、自分のしてほしいことを話すことができました。
「どもって時間がかかるというのが迷惑をかけているみたいな感じがする」の話では、「別に吃音になりたくてなったわけじゃないんだから、いいんじゃない」「空手の号令とかたまに自分がするけど、どもってみんなの練習時間を減らしてしまうから、ちょっと悪いかなと思うことがある」「待ってくれるのはいいけど、みんなが、はあーとためいきをついて、声には出さないけど早く終わってほしいという感じがする。そんなときに、せっかく言おうとがんばっているのになあという気持ちになる」と、自分のことも周りのこともよく観察していると分かる発言が続きました。
授業中の音読については、「学年が上がってくると音読が少なくなって、黙読が増えたから楽になった」「音読ではあまりどもらない」という子がいる一方で、「4年生のころ、ようし今度回ってきたら今日はちゃんと読もうと準備をしていたら、とばされた。それが原因で音読をしなくなった」「たまにどもらないときもあるけど、どもる時は1行に2、3分かかるときもある」と音読での苦戦を話す子がいました。
普段の学校生活の中で感じたいくつかの話題について話し合っていく内に、昨日、「言いたいことがあっても、話が進んで、話が別の方向に行ったり、自分が言う前に話が終わったりしてしまう。言いたいことがあっても結果的に何も言えない」と話した子どもが、「実は、どもっているときに、補助してくれて、代わりに言ってくれる親友がいる。どもった時に助けてくれたことがきっかけで親友になった」とうれしそうに誇らしげに話しました。吃音は友だちや先生との関係の悪化の一因である反面、親友ができる要因にもなっていました。
「私の教室の1年生のどもる子どもが、幼稚園の時はどもることを知ってくれている子が多かったから聞かれなかったんだけれど、小学校に入学して、いろんな幼稚園や保育園から来ているから、どうしてそんな話し方をするのと聞かれて、悪気があるわけではないと分かっているけれど、どうやって説明するか困っている。みんなだったらどういうふうに説明しますか」
ことばの教室の教員がみんなに質問すると、4人が一斉にしゃべり始めました。「吃音っていうのは、最初のことばが出にくくて、つまってしまうようになるものです。なぜそうなるのか、どうしたら治るのかは判明していませんなどと、吃音について説明したらいいと思う」「僕は、まず、吃音は治らないものだということを伝えたい」「吃音は、個性と考えた方がいい。方言みたいに地域によってことばも話し方も違うし、人はそれぞれ違うから、それと同じように考えたらいいと言う」4人の子どもたちの、少しでも困っているどもる子どもの役に立ちたいという、他者貢献の気持ちの強さを感じました。(2018.7.21)(つづく)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/10/13