吃音親子サマーキャンプと劇づくり 渡辺貴裕(3)
『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編 晩成書房、第590号、2006年12月、36−45頁)に掲載された、渡辺貴裕さんの「どもる子どもたちによる劇づくり」の続きを紹介します。
吃音親子サマーキャンプ初日の夜に、事前に合宿で渡辺さんの指導を受けたスタッフが、参加者の前で演じてみせます。今年の劇の大筋を知ってもらうためなのですが、どもる大人がどもりながら演じる姿を見せることになり、子どもたちにはがんばってみようという勇気を与えるようです。
もうひとつ、事前レッスンで、渡辺さんは、劇の稽古に入る前の導入としてのエクササイズをいくつか教えてくれます。挿入されている歌を使ったり、ある場面を取り出してやりとりをしてみたり、アレンジしてエクササイズの形にし、スタッフがまず経験します。これが楽しいので、スタッフは、それぞれのグループ練習のときにエクササイズを取り入れています。早く配役を決めて、せりふの練習をするという方法をとらず、劇の世界にどっぷりと浸かり、楽しみながら、みんなで作りあげていくのです。スタッフがまず、渡辺さんの手によって、その劇の世界に浸っていきます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/9/22
『演劇と教育』(日本演劇教育連盟編 晩成書房、第590号、2006年12月、36−45頁)に掲載された、渡辺貴裕さんの「どもる子どもたちによる劇づくり」の続きを紹介します。
吃音親子サマーキャンプ初日の夜に、事前に合宿で渡辺さんの指導を受けたスタッフが、参加者の前で演じてみせます。今年の劇の大筋を知ってもらうためなのですが、どもる大人がどもりながら演じる姿を見せることになり、子どもたちにはがんばってみようという勇気を与えるようです。
もうひとつ、事前レッスンで、渡辺さんは、劇の稽古に入る前の導入としてのエクササイズをいくつか教えてくれます。挿入されている歌を使ったり、ある場面を取り出してやりとりをしてみたり、アレンジしてエクササイズの形にし、スタッフがまず経験します。これが楽しいので、スタッフは、それぞれのグループ練習のときにエクササイズを取り入れています。早く配役を決めて、せりふの練習をするという方法をとらず、劇の世界にどっぷりと浸かり、楽しみながら、みんなで作りあげていくのです。スタッフがまず、渡辺さんの手によって、その劇の世界に浸っていきます。
どもる子どもたちによる劇づくり〜第17回吃音親子サマーキャンプより〜
渡辺貴裕(東京学芸大学大学院准教授、当時岐阜経済大学講師・教育方法学)
3回目の練習(3日目・8時半から10時半)
上演前の最後の練習。途中、本番で使う学習室に移動しての「リハーサル」(一グループあたり20分)がある。
まずはウォーミングアップ。手首をプラプラ振ったり、体を上下にバウンドさせたりするのを真似してもらいながら、体をほぐす。さらに、体をバウンドさせた状態から「ヤッ」「ワッ」などと掛け声をかけてポーズをとるのを、後についてやってもらう。それから、声出し。のどを開けるために、あくびの真似をしてもらう。渡辺「ふわーあ」、子どもたち「ふわーあ」。……あまりうまくいかない。次に、窓の外に見える荒神山に向かって、「父ちゃーん」と呼びかける。渡辺「父ちゃーん」、子どもたち「父ちゃーん」。「それじゃあ父ちゃん聞こえないで、もう一度!」「父ちゃん山の頂上まで行った。昨日登ったところ。そこまで声を届けて!」。そうやってけしかけると、グッグッと声が出るようになっていく。
リハーサルまで時間がないので、区切りごとにグループに分かれてそれぞれでおさらい。学習室に移動して、リハーサル。時間が限られているのであわただしい。部屋に戻って感想を出し合い、それをもとにもう一度最初から稽古。
時々言葉が出てこなくなるのが気がかりだったりんたろう。2つめの区切りの、ロバの話をもっと聞きたくて、仕事に戻る父についていくダニーを演じている。しかし、どもって間が空くことを恐れるのか、次のセリフ次のセリフへと急いでしまう。
りんたろう(ダニー) 「………お、おれ、それに乗れる?」
たいき(父) 「乗れねえでどうする。」
りんたろう(ダニー) 「か………けるの、早い?」
父のセリフの時にはもう目が台本に向いている。
しかし、考えてみれば、ここはいくら間が空いてもよいのだ。ダニーの頭のなかがロバについての想像でいっぱいになって、父にもっと話を聞きたくなる。関心の焦点がロバに向いてさえいれば、間の長さはまったく問題にならない。
私自身これに気付いていなかった。直接りんたろうに説明しようかと思ったが、やめた。「いくらどもってもいい」と言うよりも、やりとりを体験してもらうほうが得策だろう。ひとまず、「ダニーは父ちゃんの答えを知りたいんだから、もっと聞いてね。台本は後で見たらいいから」と伝える。
ダニーと父とのやりとりのなかで、電車通りの手前で父と別れたダニーが、通りを渡っていく父に「父ちゃーん、父ちゃーん」と呼びかける箇所がある。舞台上ではダニーと父の距離はほんの数メートルしか離れていない。
渡辺 「これ、舞台ではこんだけしか離れてないけど、ほんまにそうなん?」
りんたろうは首を横に振る。
渡辺 「じゃあ、あのへん(窓の外の茂みを指さす)に父ちゃんがいると思って呼びかけてみよう」
りんたろう(ダニー) 「と、とうちゃーん、……とうちゃーん」
父役のたいきに、今ので振り返れそうか尋ねる。たいきは首をかしげる。もう一度挑戦。
りんたろう(ダニー) 「と………とうちゃーん、……とうちゃーん」
驚いた。すごい迫力だ。練習を重ねるうちに、たいきのほうが押され気味になる。私は、りんたろうにはこの役は厳しいのではないかと思っていたことを恥じた。自分のほうこそこの場面の勘所を理解していなかった。
一部分を取りあげて濃密な稽古を繰り返していると、出番がない小2のさきとかえでの集中が途切れてきた。他人の稽古を見ずにふたりで遊びだしてしまう。
仕方がないので、全体での練習はここで打ち切り。残りの30分ほどは、「自主稽古」してもらうことにした。いつも間違える箇所の練習をしたり、どうやったらロバに入れ込むダニーになれるか友達と相談したり、ブリッジしたまま歩いて(!)遊んだり、寝転がって休んだり、いろいろだ。あとは本番を迎えるのみ。
上演本番(3日目・10時半から12時)
子どもたちによる劇の上演に先立って、親による出し物が行われる。数グループに分かれた親が、集団で動きながら、全身を使って、詩を表現する。今年は、工藤直子の『のはらうた』シリーズより。普段見ない親の姿に子どもたちが沸く。最初のほうは親にもまだ恥じらいがあるようだ。しかし、子どもたちも劇の練習をがんばっているという意識と、他のグループのウケる様子が、親たちをふっきれさせるのだろう。出番待ちの親から、「これ、思いっきりやったほうがええみたいやで」というつぶやきが聞こえてきた。
そして「コニマーラのロバ」の上演。まずはAグループからだ。
毎年感じることだが、本当に観客があたたかい。子どもたちはもちろん、親も、自分の子どもであるか否かにかかわらず、演じている子どものちょっとしたやりとりや仕草に笑う。
Aグループの場面が終わる。いよいよBグループの出番。
まさひろ(ダニー)とまさと(父)のやりとりから始まる。父に「(コニマラには)ロバがいる」と聞かされたときのダニーの「ロバだって?」の驚きようがいい。ふたりのやりとりが続いた後、無関心そうにちょんと座っていたさき(母)の「おまえさん!いいかげんにしなさいよ」というセリフが入る。観客は意表を突かれて、笑みがこぼれる。
りんたろう(ダニー)とたいき(父)のシーンへ。りんたろうが「父ちゃーん、父ちゃーん」と呼びかける箇所。2回目の「父ちゃーん」の出だしで詰まり、声が出てこない。りんたろうの体がこわばって震える。数秒の静寂が流れる。
「……、……、と、父ちゃーん」
出た!それを受けとめたたいきが振り返る。ゾッとするほどのリアリティーだ。集中を切らさず待っていたのが、さすがだ。劇の全体から見れば、ここは地味な部分である。しかし、私にとっては、とても印象的な瞬間だった。
Bグループの上演は、なつみが、実在しないロバに夢中になってしまったダニーを見事に演じきって、幕となった。部屋は大きな拍手で包まれた。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/9/22