吃音についての話し合いと、吃音の作文はセットになっている


 第7回吃音親子サマーキャンプから、会場が大津市葛川自然の家に移りました。
 最寄り駅の堅田駅から、かなり車で走ります。仕事で遅くなったスタッフは、くねくねと曲がりくねった暗い夜道を心細く感じながら、車で駆けつけてくれていました。
 自然がいっぱいで、すぐ近くに川が流れています。そこでの川遊びが野外活動のメインでした。冷たい川の水をかけあいっこしている子どもたちの姿も印象に残っています。水しぶきがキラキラ光ってきれいでした。
 今もつきあいのある人の感想文がニュースレターには掲載されています。当時、高校1年生だった女の子は、こう書いています。
 「このキャンプは、私を豊かにしてくれる。自分の考えを持っている人や、夢とか目標を持つ人に出会って、刺激されるから。そして、また、私も大きくなりたいと思うのだ。もし、私がどもりでなかったら、この人たちと出会うこと、存在を知ることさえなかったんだと思うと、この偶然が不思議でたまらない。また、こういう場を与えてくれる人がいて私はラッキーだと思う。どもりでちょっとよかったなと思う」
 今、彼女は、NPO法人大阪スタタリングプロジェクトのリーダーで、公務員として、とてもしんどい中、しっかりとサバイバルしています。その原動力は何かと尋ねたとき、返ってきたのが、「子どもの頃、参加した吃音親子サマーキャンプで、どもることは悪いことではないという価値観を教えてもらったことだ」ということばでした。
 このような縁に恵まれ、出会いに恵まれ、30年間、続けることができたのだと、僕たちの方が、ありたがたいことだと感謝しています。


第8回吃音親子サマーキャンプ(1997年)
    会場  滋賀県・大津市葛川自然の家
    参加者 92人
   芝居  おおかみ森とざる森、ぬすと森(宮沢賢治)


書くことの意味
                            伊藤伸二

 どもりについてオープンに話し合う。これは吃音親子サマーキャンプが最も大切にしていることだ。しかし、子どもたちは最初は話し合いになかなかのってこない。これまでまったく吃音について話し合ったことがない子がほとんどだからだ。
 他の子どもが吃音について語る話を聞き、自分も話したくなってくる。吃音はやはりその子どもにとって大きな事柄だからだろう。
小学校4年生8人のグループの話し合い。他の子どもの発言に合いの手は入れるが、高木君は自分では語らない。質問をしても「別に・・」とはぐらかす。ちょろちょろと動き回る。真剣に話す子がいる一方で、 このようにふざけて話し合いにのらない子がいる。 どもりについてこの子はどう考えているのか、話し合いの中ではなかなか見い出せない場合があるが、その子が吃音について何も考えたり、感じたりしていないのではない。
吃音親子サマーキャンプで、私たちが大事にしているプログラムのひとつに、作文教室がある。1時間から1時間半、参加者全員が机に向かって、どもりにかかわる事柄を一斉に書く。子どもは自分のことを、きょうだいは妹や兄の吃音を、親は子どものことを、 ことばの教室の教師は担当している子どもの吃音について書くのだが、全員が静かに机に向かうため、話し合いの時のように動き回らない。ひとり自分のどもりに向き合う時間だ。 2回目の参加の、話し合いになかなか乗ってこなかった高木君がこんな文章を書いた。

《親子サマーキャンプに行ってよかったこと》
 2年のころ、よくみんなにからかわれたり、まねされて、ないて帰ったことがあります。でも3年のとき親子サマーキャンプに行って、 どもってもべつにいいんだということが分かりました。それからたまに発表できるようになりました。まだみんなから、からかわれているけれど、「それがどうしたんや」と言い返しています。

 2日目の2度目の話し合いでは子どもの書いた作文を読み合い聞くことにした。からかわれた嫌な体験も、またこのキャンプで仲間と出会ったこの喜びも率直に表現されている。他人が書いた作文を聞くことは、話し合いとはまた違った深みが出る。高木君は自分で読むのは嫌だと言ったが、 私が代わって読んでいるとき、むしろうれしそうだった。ことばで十分表現できなくても、吃音への思いは、子どもはいっばい持っているのだ。
どもりについて、自分のことばで話し、誰かに聞いてもらった経験。同じ悩みをもつ人達と出会った経験。それは、私がどもりと向き合い、どもりを受け入れて生きる出発となった。
病気や障害、生きる辛さを感じている人のセルフヘルプグループのメンバーも同じような経験をしている。どもる子どもが自分の吃音と向き合い、吃音を受け入れて生きる道を歩み始めるには、まず、辛いこと、苦しいこと、そしてそれを自分がどう感じているかを表現することが不可欠である。
 話すことで、文章に書くことで自己表現をしていきたい。さらには音楽、絵画も表現の手段だ。
 家庭の中で、親と子が一緒に文章を書く時間をもつことをすすめたい。それを家族のみんなの前で声を出して読むことができればなおすばらしい。そこから親と子の会話がすすんでいくだろう。
 ことばの教室でも、文章を書くことを大切にして欲しい。吃音について書ければ、吃音について話し合うきっかけともなるし、本人がよければ、他者に読んでもらうこともできる。その子どもの吃音への思いを、クラスの担任やクラスの子が読むことで、どもる子どもの思っていることを伝えることができ、吃音理解につながっていく。
自分を表現することなしには、自分をみつめることはできないし、何の変化も起こらない。(了)   (1997.9.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/9/1