宝箱にいたような3日間
昨日の続きです。
第4回吃音親子サマーキャンプのドキュメントと子どもの話し合いを紹介してきました。今日は、親の学習会の様子と、どもる兄への応援歌のようなどもらない小学2年の弟の作文と、中学3年女子の感想を紹介します。
僕たちのキャンプは、吃音親子サマーキャンプという名前のとおり、親子で参加することをとても大切にしています。学童期・思春期と成長するにしたがって、吃音の問題は変化していきます。その子どもの人生の、よりよい伴走者となっていただくためには、親の参加が不可欠なのです。単なる付き添いではなく、ひとりの参加者として、自分の人生や子育てを振り返り、生き方をもう一度考えてみるきっかけになればと思っています。
どもる子どもの親同士が交流することで、親のセルフヘルプグループもできます。一緒にプログラムに参加しますが、親だけの話し合いや学習会も行っています。
第4回吃音親子サマーキャンプ(1993年)
会場 京都府綾部市 聴覚・言語障害者総合福祉センター「いこいの村」
参加者 39人
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/24
昨日の続きです。
第4回吃音親子サマーキャンプのドキュメントと子どもの話し合いを紹介してきました。今日は、親の学習会の様子と、どもる兄への応援歌のようなどもらない小学2年の弟の作文と、中学3年女子の感想を紹介します。
僕たちのキャンプは、吃音親子サマーキャンプという名前のとおり、親子で参加することをとても大切にしています。学童期・思春期と成長するにしたがって、吃音の問題は変化していきます。その子どもの人生の、よりよい伴走者となっていただくためには、親の参加が不可欠なのです。単なる付き添いではなく、ひとりの参加者として、自分の人生や子育てを振り返り、生き方をもう一度考えてみるきっかけになればと思っています。
どもる子どもの親同士が交流することで、親のセルフヘルプグループもできます。一緒にプログラムに参加しますが、親だけの話し合いや学習会も行っています。
第4回吃音親子サマーキャンプ(1993年)
会場 京都府綾部市 聴覚・言語障害者総合福祉センター「いこいの村」
参加者 39人
親の学習会
1日目の夜と2日目午後に、母親5人父親2人に、どもる大人、地元京都のことばの教室の先生らが加わって、親の学習会が開かれた。子どものようすを一人一人話してもらううちに、親と子のコミュニケーションがテーマのひとつとなった。
§親には言わず、お地蔵さんにお願い
この学習会に参加していた成人のどもる人のほとんどが、親にどもりのことを話せなかったと回想する。
A君(小4)のお母さんも「私には何も言わないが、スイミングからの帰り道にある首なし地蔵に『首から上のことひとつだけ願いごとがかなうんやったら、僕のことばがちゃんと言えるようになりますように』と言っているのを横から見て、胸がいっぱいになった」と話してくれた。
B君(高1)の場合は中学に入っていじめがひどくなり、それをきっかけにどもりの悩みを話すようになった。中1の時「お母さん、僕のどもり、治るんやろか?」と尋ねてきて、「治らないかも知れへん」と答えると、顔色がさっと変わったという。よく「僕がこうなったのは、お母さんのせいや!」と言われて、返答に困るということがあるが、こういう問いへの答え方はなかなか難しいようである。
C君(小5)のお父さんは「うちの子はどもりについて何も言わない。『治るんやろか』とか『何でどもりになったん?』と聞いてくれるほうが、一緒に話したり考えたりできるので、親としては楽な気がする」と言う。確かに、子どもが落ちこんでいる時に親子の会話があり、しんどい状態が親子で共有できる時は、何をどう考え、どうしたらよいか、対策が立てやすいであろう。
§お父さんは4年間わかってくれなかった
B君の場合、小4の頃から悩みが大きくなったようだが、お父さんがその悩みに気づくようになったのは、中1か中2の頃、いじめっ子に盗まれた自転車を一緒に探すようになった頃だと言う。その頃から、単に励ますだけでなく、子どもの立場に立った対応ができるようになったと言う。「もしお父さんやお母さんが、悩みをわかってくれなかったら、どうなってたかわからない。今は理解者や」と言うB君から、「お父さんは4年間(小4から中1まで)僕をわかってくれなかった」と言われたと、苦笑いされた。
§死ぬ前には一言いうてね
Dさん(中3)のお母さんは、「電話で名前が言いにくいなど困っているようだが、悩みは聞いてやるが『あとは自分でがんばり』と本人に任せている」と言う。本人が泣きごとを言ってくると、「そんなにしんどかったら、一緒に死んであげようか?」と半分冗談で言うことがある。すると本人は「まだ結婚もしていないし、赤ちゃんも産んでないからいやや」と言い返すそうである。B君のお母さんも「死にたかったら一緒に死んだるから、死ぬ前には一言いうてね」と、よく言うそうである。
一番身近にいる親が相談相手になることができれば、子どもにとって大きな支えとなることであろう。
2日目午後の学習会は、どもる大人に体験談を話してもらった。スタッフの一人が、小学・中学時代の父や兄との厳しい関係を中心に振り返って話した。また今回参加した子どものお母さんで、自身もどもるEさんにも急きょお願いして、話してもらった。小学時代の辛い体験や、看護婦としての現在の職場で、院内放送やスタッフの申し継ぎに困るが、それなりに頑張っていことなどが話された。
他のどもる大人も、子どもの頃や社会に入ってからのいろんな体験を次々に話し、親も熱心に耳を傾けた。
このふれあいスクールは、私たちどもる成人のセルフヘルプグループの仲間がプログラムを立て、進行や司会も担当する。この親の学習会でも、吃音の先輩として、参加した子どもたちの今後を予測し、生じるであろう様々な問題点に体験者ならではのアドバイスができたのではないかと思う。
参加しての感想
おにいちゃん
平山たかし(小学2年)
おにいちゃんは、ことばがなかなか出ない。どうしてかなあ。おにいちゃんは、すきでなったんじゃない。なかなかことばが出ないときは、まってあげてきくように、お母さんに言われています。おにいちゃんが、ことばでこまっているのがわかります。こえがでえへんとかで、ときどき言われることがあります。ことばが出ないけど、がんばって言う気もちがたいせつだと思っています。おにいちゃんは、ことばが出なくてこまっているようだが、言えるんだから、ふつうの人とおんなじと思っています。でも、おとなや子どもも、おにいちゃんといっしょな人たちがいます。おにいちゃんだけじゃないんだよ。おとなの人になっても、ことばが出ない人たちが、このふれあいスクールに、たのしく、ゆかいに、人と人たちが、友だちだと、うれしくなりました。おにいちゃんも、いっぱい友だちをつくってください。
夏休みの思い出
藤田佳代子(中学3年)
このふれあいスクールに行くことを私はためらっていました。どんな人が参加しているのか分からないし、何をするのかも。でも行ってみたら想像とは全然違っていました。晩、みんなで話していて、私がいくらどもってもみんな、いっも私の周りにいる子みたいに、嫌そうな、「またなの?」というような顔をせず黙って聞いてくれたり、他の子がどもってもその子の言いたいことを代わりに言ってあげたり、こういうのを体験して、仲間なんだなあとしみじみ感じました。同じ学校だったらどんなによかったかとも思いました。
私が一番印象に残ったもののひとつは、カレー教室です。いろんなスパイスを使って作るカレーは初めてで、いろいろ苦労をしました。包丁を洗っていてざっくりと切ってしまった左の中指も今は思い出の一つです。そして初めて会った一つ年上の溜さんや小3の愛ちゃんとも仲良くなれました。
もうひとつは話し合いです。みんなで輪になってこれまでの経験を話しました。みんなの話を聞いていたら「私もその気持ち分かる!」と言いたいくらい私と同じことで悩んでいる人もいて、より一層親近感が深まりました。
一番苦しくてつらかったことは、劇の「夕鶴」。つうは結構せりふが多くて、言いにくいことばもいっぱいあって大変でした。練習中何度もどもって恥ずかしかったし、出てこないことばがとてももどかしかったです。けどそんな私にいろいろと対策を練ってくれたりしてくれて感動しました。本番中、結構緊張したけど、あまりどもらなかったし、私自身がつうに半分以上はまりこんで、私にとって大変いい経験になりました。他の人もどもっていたけれど、みんな演技がとても上手でとても楽しかったです。
この2泊3日間、みんなの前で堂々とどもれたことがなんといっても一番うれしかったです。まだ、「私はどもりです」と学校の友達やクラスのみんなに言えないけれど、それを言える日もそう遠くないと思います。
「好きでどもりになったんじゃない」と作文で書いてくれた平井家の次男に一言お礼を言いたい。ありがとう!!
この3日間、私は宝箱の中にいたような気がします。(了) (1993.10.28)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/24