自己概念くずし 「どもっていては、好かれない」は思い込みだった
今日は、幻の第31回吃音親子サマーキャンプの初日。今頃は、公式プログラムが全て終わり、スタッフ会議の真っ最中です。子どもたちや保護者は、入浴を済ませ、それぞれの部屋で、リピーターの人は、1年ぶりの再会を喜び、その間のたくさんのできごとを話し、初めて参加した人は、少しずつ打ち解けていることでしょう。複数回参加している人が、初参加の人にさりげなく声をかけ、話をし、話を聞き…そんな温かくやさしい文化がいつの間にか根づいている素敵な空間なのです。
こんなふうに、きっと今頃は…と思いをはせているのは、僕たちだけではなかったようです。今、僕の個人メールに、いくつかメールが届いています。メールの件名につけられているのは「#サマキャン2020」です。SNSでの拡散をねらっているものではなく、吃音親子サマーキャンプへの強い思いを、今年はそれぞれの地でかみしめているのです。遠く離れていても、サマーキャンプのことを思うことで、つながりを一層強めているということでしょうか。
思えば、30年間、そんな思いを持った人たちと出会ってきました。そんなうれしい出会いがあったからこそ、30年間も続けてこられたのだと思います。奇跡のような30年間だったような気がします。
3日間、荒神山のシンボル、楠の大きな木を思い出しながら、過ごすことにします。
第3回吃音親子サマーキャンプ(1990年)
会場 滋賀県 皇子山のユースホステル
参加者 20人
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/21
今日は、幻の第31回吃音親子サマーキャンプの初日。今頃は、公式プログラムが全て終わり、スタッフ会議の真っ最中です。子どもたちや保護者は、入浴を済ませ、それぞれの部屋で、リピーターの人は、1年ぶりの再会を喜び、その間のたくさんのできごとを話し、初めて参加した人は、少しずつ打ち解けていることでしょう。複数回参加している人が、初参加の人にさりげなく声をかけ、話をし、話を聞き…そんな温かくやさしい文化がいつの間にか根づいている素敵な空間なのです。

思えば、30年間、そんな思いを持った人たちと出会ってきました。そんなうれしい出会いがあったからこそ、30年間も続けてこられたのだと思います。奇跡のような30年間だったような気がします。
3日間、荒神山のシンボル、楠の大きな木を思い出しながら、過ごすことにします。
第3回吃音親子サマーキャンプ(1990年)
会場 滋賀県 皇子山のユースホステル
参加者 20人
自己概念くずし
伊藤伸二
私たちは日々、様々な人、出来事と出会う。同じ体験をしても、その体験についての感じ方、受けとめ方は、人それぞれに違う。これは、個々人が違った自己概念をもっているからである。
「私は〜である」「私は〜が好きだ」「私は〜苦手だ」「私は〜についてこう思う」
自分自身をどう受けとめ、どのように思っているか、自分自身に対して持っている概念を自己概念と言う。
これらの自己概念が行動や思考の枠組みをつくる。
自分の自己概念を知り、それがどのように行動に影響しているかを知る。それが自分を生きづらくさせているのであれば、その自己概念をくずし、新たな自己概念を作り上げなければならない。私たちの場合、どもりについての受けとめ方が自己概念の中核をなす。
今年の吃音親子サマーキャンプで、中学3年生から大学1年生までの7人と私たち成人吃音者でじっくりと話し合った。「どもっていては、話すことが多い仕事につくべきではない」。職業選択の話になった時、彼たちは、このような自己概念を持っていた。この概念はその後のより良い生き方につながらない。これをくずし、新しい自己概念をつくることが大切だ。
私たちは、彼たちに自分の体験や、セルフヘルプグループに集まる多くのどもる人の体験について話した。話すことの多い仕事に多くのどもる人が実際についていること。私たちがこれまで逃げてばかりいてつまらない、中・高生時代を送り、損をしたと考えていることなど。
若い人たちが、一人でどもりに悩んでいたのでは、考えられないことが、話し合いの中で明らかになっていく。彼らにとって、私たちとの出会いは、これまで持っていた自己概念について検討するいい機会となった。次に彼らに必要なのは、行動することだ。行動してみて、私たち吃音の先輩の言っていたことが、間違っていなかったことを知る。行動を通して、新たなに自己概念がつくられる。
「どもっていては、人から好かれない。まして異性から好かれるはずがない」
私は、これまでの経験から、この固い思い込みをもっていた。そんなことはない、と多くの人から言われたが、信じられなかった。そんな僕に、先輩は、どもっていてもダンスはできると、ダンス教習所に連れていってくれた。その教習所はレッスンの後、自由に踊る時間がある。その内レッスンでは踊れるようになったが、レッスン後のパーティーになると、全く踊れない。その時は自分でパートナーをみつけなければならないからだ。どもることへの不安と恐れから「踊っていただけませんか」と申し込めないのだ。じっと他人が楽しそうに踊っているのを、指をくわえてながめているほどばかばかしいことはない。何日もそんな日が続いた。逃げずに行動してみよう。意を決して申し込む。何度も、何度も断られる日が続く。それでもめげずにチャレンジしてみた。数日後、踊ってくれる人が現れた。うれしかった。不思議なもので一度自分で申し込み、踊れると自信がつき、積極的に申し込めるようになった。
次のステップとしては、踊ってくれた人を喫茶店に誘いたい。女子大学のスポーツクラブ主催のタンスパーティーに大学のクラスメート4人で行ったとき、自分一人ではできなかったが、仲間と一緒に誘った時、女子学生3人と喫茶店に行くことができた。皆は楽しそうに話し、2時間はあっと言う間にすぎた。私はほとんど話すことなく聞き役にまわっていたが、少なくとも場の雰囲気をこわさないよう明るくしていた。後で分かったことだが、べらべらしゃべり、場を盛り上げていた友達よりも、静かに聞き役になっていた僕が一番好感を持たれて、3人の女性から好かれていたらしい。その中の一人と付き合うことができ、そのことを知った。この経験があって初めて、「どもっていても、好かれないということはない」ことを知り、長年もっていた「どもっていては、人から好かれない。まして異性から好かれるはずはない」との自己概念をくずすことができた。
頭の中だけで考えていたのでは、自己概念をくずすことはできない。できるところから行動することが、大切なのだと分かった。(1992.11.30)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/21