自己受容

 今年の吃音親子サマーキャンプの日程は、2020年8月21・22・23日でした。
 今日は、8月19日。例年なら、吃音親子サマーキャンプ直前で慌ただしく準備している頃です。キャンプのしおり、サマーキャンプの旗、芝居の台本や小道具、朝のスポーツの道具など、持っていく荷物で、部屋中いっぱいになっているはずでした。慌ただしく、忙しいけれど、大好きな時間でした。しかし、今年は、新型コロナウイルスのために中止になりました。
 吃音親子サマーキャンプは、昨年、節目の30回を終えました。朝日新聞記者が3日間、密着取材をして下さり、キャンプ最終日、写真入りで大きな記事になったことを、みんなで喜び合いました。30年間、夏の行事として定着していた吃音親子サマーキャンプがなくなり、なんとも不思議な夏を過ごしています。
 30年間の歴史を刻んできた吃音親子サマーキャンプ、大勢のどもる子どもたち、その親、そして、ことばの教室の担当者や言語聴覚士の人たちとの出会いがありました。昨年、これまでの参加者の総人数を、朝日新聞の記者から尋ねられ、過去の記録を整理してみると、どもる子どもと家族の参加者が2199人、スタッフが1027人、合計3226人の参加でした。
 どもる大人と、ことばの教室の教師や言語聴覚士などの専門家との共同の取り組みは、世界的にも珍しいものです。吃音親子サマーキャンプの後のニュースレターで、毎年、その年のサマーキャンプの報告をしていました。30年間を、毎回、巻頭言として僕が書いたニュースレターの一面記事で振り返ってみます。

第1回 吃音親子サマーキャンプ(1990年)
     会場  滋賀県 和迩浜の民宿
     参加者 50人

   
自己受容
                         伊藤伸二

 「自己を受容し、自己を肯定して、素直に自分らしく生きる」
 どもる人に限らず、全ての人々の願いだと言っていい。人は、自分の持っている欠点やマイナスだと思っている部分をできれば取り除きたいと思い、また取り除こうと努力もする。
 しかし、努力をしてできることとできないことがあり、その判別はそれほどたやすいことではない。成人してから体重を増やしたり減らしたりすることは意志と努力があればできるが、身長を自らの努力で伸ばすことができると思っている人はいない。吃音の場合、努力すれば治ると周りの人は思いやすく、どもる人自身も正しい方法をみつけ、努力すれば治ると思ってしまう。だから、努力すれば治るかもしれないものを受容するというのは、敗北者のすることであり、建設的な生き方を目指す人間のすることではないと考えてしまう。
 吃音症状を治すための確たる治療法がない中で、「吃音は努力すれば治るもの」と考えない方が賢明である。
 吃音問題解決の道は、自己を受容することから始まる。そして到達目標もまた自己受容なのである。自己を受容することは出発点なのだが、全てまるごとの自己受容というわけにはいかない。これまで自分で自分に×印(バッテン)を与えてきたことが、50あるとしたら、そのうちの1つでも2つでも受け入れることから自己受容の道を歩み始めたといえよう。パッと道が開ける、いわゆる悟る人は極めて少ない。自己否定から一足とびの自己受容はむしろ、もろい。傷が癒えた薄皮が、一皮一皮はがれるような長い道のりだと思う。自分が好きになるときもあれば、嫌でたまらないときもある。吃音症状に波があるように、自己受容と自己否定の波の中で揺れ動いているのが自然の姿なのではないか。その波があるということを知っておくことも大切だと思う。
 自己を受容する出発点として、どのようなことができるであろうか。どのようなプロセスを経て自己受容への道を歩むことができるのか。人は、それぞれに違い、一人の成果が他の人にも応用できるということでもない。しかし、大勢の体験をもとに整理する中から共通のものもあるはずである。理論というほどのものではなく、おそらく、提案にしかすぎない程度のものだろう。それでもないよりはある方がよい。
 どもる人の自己受容の内の一つ、吃音の受容は吃音を話題にし、他人の吃音を聞き、他人の吃音の体験を聞くことから始まる場合が多いと、私たちは体験的に知っている。かつて大勢の吃音に悩む人が吃音治療機関を訪れた。吃音の症状そのものは効果があまりなかったが、行ってよかったという人は多い。この世で自分一人が吃音で悩んでいるという状態から、悩んでいるのは自分だけではない、これだけ大勢の人がどもりに悩み、苦しみ、しかし、その中で生きようとしている、自分以外のどもる人との出会いは、吃音に直面し、吃音を客観的にみつめる契機となる。
 今夏の吃音サマーキャンプでは、「どもる子どもの話し合い」「グループを作っての協同作業と発表の場」をプログラムの中に入れた。プレッシャーの中で、他の子どもがどもりながらも発表し、発言する姿に接して、子どもたちはきっと何かをつかんでくれると確信したからである。
「楽しく過ごせた。みんなどもりだから」
 「一番楽しかったのはみんなとトランプしたこと。こんな楽しいことは初めてだった」

 吃音矯正所の宿舎で、消灯時間が過ぎてからも、人目をしのんで夜遅くまで話し合ったり、トランプをしたり、飲んだ若い頃のことが昨日のことのように思い出される。
 吃音の受容は、自分以外のどもる人との出会いから始まることがある。どもる人のセルフヘルプグループの誕生もそこからであった。(1990.8.31 )


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/19