吃音を治す努力ではなく、より良く生きる努力をしよう
48年前に僕が「吃音を治す努力の否定」を提起した時、何の努力もしないのかと捉えた人もいたようです。吃音を治す努力より、人として生きることにこそ、目を向け、努力しようというものであり、努力のエネルギーを、仕事や生きる楽しみにこそ使おうとの提案でした。それを具体的に示してくれています。
社内の問い合わせが多いが、どもってうまく話せない。そのとき、どうするか。彼女は、過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめ、Q&Aを大量に作成し、どもってうまく話せないという自分の弱点をカバーしました。前に紹介した黙認値も、苦手な電話から逃げるために、電話がかかってこないように、完璧な仕事をしました。これが私たちが使うサバイバルです。産休に入るときの送別会で彼女に送られた賛辞にも、彼女はまだ「吃音があったからこういうことができた」「吃音があってよかった」のように、吃音を肯定することはできないと言っています。吃音を肯定できなくても、どもっている自分を認め、その自分のまま生き抜いている姿に清々しさを感じます。
「吃音と共に生きる」と言葉では簡単に言うことができるけれど、実際はこんなに大変な努力を、どもる人それぞれがしています。心からのエールを送ります。大変な努力だけど、それが充実した人生につながっているのだと僕は思います。
長い文章ですが、就職活動や面接で悩んでいる人、就職してからさまざまな困難な中にいる人に、ぜひ読んでもらいたいと願っています。吃音に悩む人の就職活動を支援する人にもお読みいただきたいと思います。自分にとってのより良い環境を求め願うだけでなく、本来努力しなければならないのは、ここだということを彼女はさりげなく伝えてくれます。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/13
48年前に僕が「吃音を治す努力の否定」を提起した時、何の努力もしないのかと捉えた人もいたようです。吃音を治す努力より、人として生きることにこそ、目を向け、努力しようというものであり、努力のエネルギーを、仕事や生きる楽しみにこそ使おうとの提案でした。それを具体的に示してくれています。
社内の問い合わせが多いが、どもってうまく話せない。そのとき、どうするか。彼女は、過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめ、Q&Aを大量に作成し、どもってうまく話せないという自分の弱点をカバーしました。前に紹介した黙認値も、苦手な電話から逃げるために、電話がかかってこないように、完璧な仕事をしました。これが私たちが使うサバイバルです。産休に入るときの送別会で彼女に送られた賛辞にも、彼女はまだ「吃音があったからこういうことができた」「吃音があってよかった」のように、吃音を肯定することはできないと言っています。吃音を肯定できなくても、どもっている自分を認め、その自分のまま生き抜いている姿に清々しさを感じます。
「吃音と共に生きる」と言葉では簡単に言うことができるけれど、実際はこんなに大変な努力を、どもる人それぞれがしています。心からのエールを送ります。大変な努力だけど、それが充実した人生につながっているのだと僕は思います。
長い文章ですが、就職活動や面接で悩んでいる人、就職してからさまざまな困難な中にいる人に、ぜひ読んでもらいたいと願っています。吃音に悩む人の就職活動を支援する人にもお読みいただきたいと思います。自分にとってのより良い環境を求め願うだけでなく、本来努力しなければならないのは、ここだということを彼女はさりげなく伝えてくれます。
サバイバル・イン・マイ・ライフ
就職して一カ月の頃思ったこと。それは「すらすら話せなくてつらい」や「どもることを変に思われてつらい」といった気持ちではなかった。「私はなんて自分のことしか考えてこなかったんだろう」。仕事をしてお給料をもらうことがいかに大変か、自分がいかに甘えた心を持って過ごしてきたか、ずっしりと打ちのめされていた。
これは、私が仕事で認められるまでのストーリーである。
就職したIT会社は、学生のとき19日間のインターンシップで課題に対する能力や姿勢を見てくれ、発表時に私がひどくどもっても中身を評価してくれた会社だ。この会社の入社研修はとても厳しかった。研修課題は自作のプログラムを提出し合格することを条件に始まった。与えられたものは、課題が書かれた資料と外部ネットワーク接続不可のパソコンのみ。講師への質問不可、研修者同士の教え合い不可。たった一人で合格しなければならなかった。
日が経つにつれ、まわりはどんどん合格して第二、第三の課題に進んでいく中、私は一カ月経ってもいまだ第一の課題を提出できるレベルに到達できないでいた。
課題を提出できない。研修に合格できない。すなわち私は仕事ができない。自分の吃音のことだけを心配して、それだけで頭がいっぱいだった入社前の私が恥ずかしい。どんどん心が暗くなり、追い詰められていく。どこか高いところから飛び降りてしまいたい。吃音以外のことで初めて死を考えた。
隣の席の研修生が退職した。彼女も私と同じく第一の課題を提出できていないうちの一人だった。私は辞めたくない。もう逃げたくない。あんなに吃音で苦労した就職活動をもう一度やるなんて絶対に嫌だ。私は死にたいのではなく、生きて、社会で活躍したいんだ。
時間はかかったが、全ての課題に合格することができた。そして開発部門に配属された。
配属先の自己紹介では吃音のことは言わなかった。入社前は「最初の自己紹介で吃音のことを言わなかったらいつ言うんだ。自己紹介は絶好のチャンスだ」と思っていた。しかし言わなかった。差別を恐れて隠そうとしたわけではなく、能力を平等に見てくれるこの厳しい会社で、吃音のことを言うのはどこかずるいような、大目に見てほしいという甘えがあるような、自分だけ特別待遇をお願いしているような気がした。だから言わない選択肢を選んだのだ。
私が開発担当になった機能はトラブルが多く、社内の問い合わせが多かった。電話がかかってきても、どもってうまく話せない。私は過去の問い合わせを洗い出し、整理し、社内サイトにまとめた。Q&Aも大量に作成した。私に電話をかけなくとも、それらを見れば解決できるようにした。問い合わせが段々減って行った。この取り組みが評価された。 そのうち開発職よりも問い合わせを解決していくことにやりがいを感じ、新しくできた問い合わせ対応専門チームに志願した。社外のお客様からの問い合わせを直接受けるチームだ。今までのような製品の中の一部の機能だけでなく、製品全体について、自分でプログラムを読んだり開発担当に聞いたりして問い合わせを解決していく。お客様と電話で対応するチームであれば志願していなかったが、有り難いことにメールのみでやり取りを行うチームであった。
開発職のとき、「人を巻き込むのが下手だ」と言われていた。吃音があるから人と話すのは怖い。しかしこの問い合わせ対応チームの仕事ではそんなことを言っていられなかった。15分で解決しなければならないこともある。話すことへの怖さはありながらも、どんどん質問しに行った。電話では自分の名前が言えないが、対面では知り合いには名乗らなくていいし、初めての人には社員証を見せればいい。急いでいても、電話したくないがゆえに別の階まで階段をダッシュするなど社内を走り回った。人を巻き込めるようになったことと、情報を文章にして整理し残したりQ&Aを作成したりする習慣ができていたので、私の問い合わせ解決数はチーム内で一番になった。
あるとき、お客様先を訪問した社員から、お客様が私の問い合わせ対応について「この人はすごいね」と褒めてくださっていたと聞いた。すると、他の社員からも次々にお客様の褒め言葉を伝えてくれた。顔も合わせたことのない、文章だけでやりとりしていた私への褒め言葉。なんとも嬉しかった。
吃音のことはずっと隠していたわけではなかった。私がどもって話すのに時間がかかると相手の時間を使ってしまうことは事実であるし、電話でどもっていると電話や電波の調子が悪いという誤解を与えてしまい、余計な修理やアンテナ工事等が発生してしまう恐れもある。だから、仕事をするうえで吃音者であることは隠していていいものではないと気付いた。ただ、吃音者であることを人前で自分の口から伝えるのは勇気がいる。それに全員に言って回ることはできないので、社内の連絡先検索サイトのプロフィールに「吃音という言語障害持ちです」と書いておいた。書いておくことで自分の気持ちも楽だった。このプロフィールを見て私が吃音者であることを知った人は多いが、誰一人吃音を馬鹿にしたり差別したりしなかった。苦手な電話が減ってメールでの問い合わせが増えてほしいという希望も少し込めていたが、変わらず電話がかかってきたので、吃音を気にしていない人が多いことが複雑だが嬉しかった。
就職して8年が経ち、結婚・妊娠して産休に入る際にチームメンバーが送別会を開いてくれた。参加者は数人だと聞いていたが、サプライズで40人近く来てくれた。私はどもって言えない言葉がたくさんあるので飲み会や送別会には基本的に参加しないし、社内に友達は一人もいない。そんな私のためにこんなにも人が集まってくれたのだ。もらった色紙には、「あなたがいたから問い合わせ対応チームが成功した」、「あなたが書いたQ&Aや整理された情報に何度も助けられた」、「あなたの仕事に対する姿勢に多くの人が影響を受けていた」、「あなたの活躍はレジェンドだと思う」など、私の仕事ぶりについて先輩・後輩両方から「尊敬」「感心」「感謝」の言葉がたくさん書かれていた。
仕事という全く新しい環境で、最初は吃音のことで頭がいっぱいだった私は、自分を恥じ、仕事において本当に悩まなければならないことを第一に考えるようになった。そのうえで吃音者である自分はどうすればいいのかを考えた。本当に悩むべきことは吃音じゃない。けれども吃音を持ってサバイバルしていかなければならない。「吃音があったからこういうことができた」とか「吃音があってよかった」のように、吃音を肯定することはできないけれど、吃音者として人生を生き延び、生き抜きたくて行ったことが、結果的に評価されたり感謝されたりした。活躍したかった私は、ちゃんと活躍できた。
子供が産まれ、これからは私の書き言葉ではなく、私の話す言葉で子供を育てていかなければならない。この先、言葉を話すことが普通とされている場面がどんどん出てくるだろう。しかし、きっと頭をフル回転させて別の方法がないか考えるだろうし、伝えなければならないことはどもってでも伝えるだろう。一番は子供のことなのだから。(了)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/8/13